俺みたいなクソいつ死んでもいいんやけど

今朝「おーーーい!入道!!!おらんかぁーーー!」とやかましく入ってこられた近所のおじさんが、ハチクと根昆布をまた持ってきてくださいました。

「これはな、湯がいてから水につけておけば三日ほど持つ。こいつはこのひらひらしたところ、干したらそのまんまでもうまいぞ」

そんな話からだんだん脱線していって30分ほど玄関先で話し込んでました。息子さんが癌を患てらして「あいつの分、俺みたいなクソが癌に成ればよかったんや。何でこんな理不尽なんや」と涙を浮かべて嘆かれていたその方も、一年ほど前に癌を患いました。癌を摘出し人工肛門になっても山に入って木を切る仕事を今でもされています。

「なんや、死にかけたくせに会うたびに顔色いいやないか」

「そやろ?医者も驚いてるんや。おっかしいなー言うて首ひねっとる」

「やっぱりな、憎まれっ子世にはばかる言うのはほんとやな」

「なんやと。でもそやねん。俺みたいなクソいつ死んでもいいんやけどな。世の中おっかしいわ」

休日に慈海がいると酒臭い息を吐きながら「おおおーーーーーーい!にゅうどーーーーーぉ!」と夢おどろかす声をあげながら境内に入ってきます。

その方が帰られた後も立て続けにお客さんあり、先ほど予約されていた一座経のお参りを終えて、寺務所から境内を眺めています。雲ひとつなく気持ちよく晴れて、まぶしく境内が輝いてます。ふらりとお参りに入ってこられる方々の足音が心地よくて、ついついお念仏がこぼれます。

なんまんだぶ

毎朝ご文章を拝読していると

毎朝ご文章を拝読していると、その日その日のご文章が、その日その日の私のすがたに合わせて蓮如上人がお説教をしてくださっているように思える。

“ちかごろは当流念仏者のなかにおいて、わざと人目にみえて一流のすがたをあらはして、これをもつてわが宗の名望のやうにおもひて、ことに他宗をこなしおとしめんとおもへり。これ言語道断の次第なり。さらに聖人の定めましましたる御意にふかくあひそむけり。そのゆゑは、「すでに牛を盗みたる人とはいはるとも、当流のすがたをみゆべからず」(改邪鈔・三意)とこそ仰せられたり。この御ことばをもつてよくよくこころうべし。”

二帖十三通のご文章を拝読する。お勤めの後、上人のお顔を見るのが恥ずかしなってお御堂をあとにする。「たふとむ人より、たふとがる人ぞたふとかりける」と上人が昔仰せになられたことを懐かしく思い出し、お勤めのあとお聖教を開いて、しばらくお聖教から目が離せなくなる。

「ありがたいもの」になるために仏さまの前に座るのではないし、お勤めをしても言葉を知ってもどれだけお念仏をしてもそのようなものに成れるわけではない。

大悲どころか、中悲も小悲も持ち合わせていない、自己顕示と自己憐憫の慢心で出来上がっている私がいくら着飾ってもいくら装っても、滑稽に見えるだけでそれを蓮如上人は静かに窘められる。

昨日夕暮れの境内に出て、この景色をしばらくゆっくり眺めていると、この場所でいずれ朽ちていくのかもとあらためて思い、最高だなと思った。

今朝のお勤めの後、穏やかに晴れた境内を眺めながら、また最高だなと思う。居場所も落ち着き場所も持ち得ない慈海が、ここであれば右往左往したままでいられる。

なんまんだぶ

まるで、阿弥陀様のようなお方

毎朝の晨朝勤行の際、遠方にいらっしゃる方と携帯電話を通話状態にして、一緒にお勤めしています。その方は以前吉崎に少しの期間住んでいらしたとき、毎朝お掃除を手伝ってくださり、晨朝勤行にも欠かさずお参りに来られていた方でした。

いつも喚鐘を鳴らす前にこちらから電話をかけて、お互いに「よろしくお願いします」とあいさつし、携帯をスピーカーフォンにして外陣に置いておきます。ですので、お勤め中には微かに外陣からその方の声が聞こえてきます。まるで今でも振り返ればその方がいらっしゃるような気がする時があります。

さて、先ほど吉崎に帰って、もうお昼になってしまいましたけど、吉崎でのおあさじをしました。その際、いつも通りその方に電話をかけるとすぐに「はいはいー!」と元気な声が聞こえてきました。

昨日お電話した際に「明日は時間が分かりませんけど吉崎に帰ったらお勤めするので~」とお話ししていたのですが、その方は、繕い物をしながら、今か今かとずっとお仏壇の前で電話を待っていらしたそうです。

そして、いつも通り本堂で正信偈和讃、中宗堂で讃仏偈のお勤めを終え、今朝の御文章を拝読し、短いお話し(たいていその日に拝読した御文章のことを簡単にお話ししています)をすると、携帯から「ナンマンダブ ナンマンダブ ナンマンダブ ……」とささやくようにとめどなくお念仏が聞こえてきます。

最後に領解文を一緒に出言してお互いに「ありがとうございました」と言い合っていると、「何かいいことありました?」と尋ねられました。

毎朝電話で話しているので、慈海の調子を一番よくご存じなのは、もしかするとその方かもしれません。調子が悪い時にはそれを察知して心配そうな声で尋ねてくださるし、ちょっと凹んでいるときにも「だいじょうぶ?」と悲しそうな声でまた心配してくださいます。そして今日みたいにうれしいことがあったりすると、とてもうれしそうな、明るい声で「何かいいことありました?」と尋ねてくださいます。

今日は、特にいいことがあったわけではないのですけど、こうして慈海が吉崎に帰るのを待っていてくださって、一緒にお勤めしてくださるのがうれしかったので、ついつい声も大きくなっていたかもしれません。その方にそう伝えると「こちらこそ本当にありがとう」と何度も何度も言ってくださいます。こちらも何度も何度も「ありがとうございます」と繰り返します。ひとしきり「ありがとう」の応酬がつづいて、ではまた明日朝にと電話を切りました。

まるで、阿弥陀様のようなお方です。
電話をかけて「はいはいー!」と声が聞こえるたびに、なんだか励まされている気がして、シャッキリせんとなぁと気持ちが引き締まります。

なんまんだぶ

やかましいったらありゃしない

福井別院の晨朝後、吉崎に帰山し二度目の晨朝(というよりもう日中の時間でしたけど)のお勤めをしていると、境内を歩かれる方の足音がする。日曜日だから、観光の方も多くいらっしゃる。

お御堂に入ってこられる方の気配を背中に感じるけれども、そのままお勤めに集中していると、ひとり、二人、三人と次々に人が入ってこられるように感じて、そのうち、まるで満堂に人が集まり、座り、ご一緒にお勤めされているような息づかいにつつまれる。

いや、実際はそんなことないのだけど、お御堂でお勤めをしているとそんな気がして仕方がない時がある。きっと、これまでこの吉崎を支えてこられ、既にお浄土に移住していかれた先人方が集まってくださっているのかもしれないなぁ、と思って、ついお勤めの声も大きくなる。

この大きな伽藍に一人で住んでいて寂しくないかとよく尋ねられるけれども、これまで寂しいと感じたことは一度もない。無数の方々のお念仏の声がしみ込んでいるこの場所に、伽藍に、寂しさといったセンチメンタルな感情が潜む隙間は一分もない。なによりも、蓮如上人は如来様のお手替わりとして今でも獅子吼のように法を演舌され続けていらっしゃる。(やかましいったらありゃしない)

「真宗門徒を転宗させようと思へば、まず御文章を棄てさせねばならぬ」と、ある方が仰ったということが杉紫郎和上の『御文章講話』の中にある。

ほんの数年前までは真宗門徒の定義としては、毎朝夕に正信偈のお勤めをし、御文章を欠かさず拝読している集団と言われることもあったそうだ。

だが、現在では朝夕の勤行どころか御文章を眼に当てたことも、聞いたこともない、かろうじて『聖人一流章』を法座で耳にしたことがあるか、文化的な知識として『白骨章』の「朝には紅顔あって夕べには白骨となれる身なり」の文章を知っているくらいの人の方が多いのではないだろうか。

杉紫郎和上の『御文章講話』中にある文章はさらに厳しく、「小恩には時に感ずるも、大恩は却って忘れがちである」とある。毎朝夕『御文章』を拝読して殆ど暗記するまでであっても、この御恩を感じていないものが多いのではないかと文章が続いている。

ということはつまり、御文章を拝読する事がなくなった現代においては、大恩どころか小恩さえも知らない時代になったということかもしれない。

同じく板敷きの場所に座り、ひざを突き合わせてこの私の後生の一大事のご心配くださり、モノゴトを知らぬ私のために、百のことを十に、十のことを一に選りつづめ、どうにか御開山聖人御一流の御勧化を何とかこの私に知らしめんとしたためてくださった『御文章』をないがしろにし、よりどころの道しるべを見失った慈海がやっていることといえば、御開山聖人(宗祖親鸞聖人)のお示しくださった生死を超えた教えを、あまりにも卑近にもてあそび、我が往生極楽の道を手あかにまみれた俗語でごまかそうとしてばかりなのではないだろかと、不安になることがあるけれども、それはまた別の話。

なんまんだぶ

自分が、今思う自分ではなくなったとしても

先日、東京にいる兄が一年ぶりに帰省してきた。久々に家族みんなでご飯を食べようと相談していたところ、偶然にも台湾にいたときの知り合いが家族旅行で日本に来ているという連絡があった。それもちょうど金沢に来ているというので、父母と兄と慈海と四人で金沢まで行くことになった。

その台湾の知り合いは、私たちが台湾にいた当時はまだ学生さんで、父に日本語を教えてほしいと毎週住んでいたマンションに通っていた人であった。会うのはそれから30年ぶりになる。

兼六園で昼食をとる予定だというので、その時間に合わせて私たちも兼六園で会うことになったが、ツアーの時間もあるので、会って話をできたのは15分くらいしかなかった。

だけれども、たったそれだけの時間でも心は三十年前に一瞬で戻っていく。握手をしながら、一緒に写真を撮りながら、当時の思い出があふれるように頭の中に浮かんできた。

父も母も同じであったのだろう、大はしゃぎで、父はもう汗だくになって、でもとても上機嫌で話し続けていた。母もニコニコ顔で同じことを何度も何度も繰り返しながら、写真を撮ろう写真を撮ろうとにぎやかであった。

短い時間ながら、みんなが懐かしい思いを胸いっぱいにしてその場では別れ、またふたたび家族四人で福井までのドライブとなった。車の中で、母は何度も何度も「今どこにいったんやっけ?」「今からどこに行くんや?」と繰り返し、そのたびに「**さんが台湾から家族旅行で金沢に来たから~」と説明をくりかえし、「お母さんあかんわぁーぼけてもたんやわぁ」と母は笑い、あわせて父も兄も私も笑ってと、にぎやかな車中であった。

2時間弱で金沢から実家に戻り、しばらくくつろいだ後夕食を食べに行こうということになった。近くの焼き鳥屋に行くことになったのだが、母と一緒に外食に行くのはとても緊張するのだ。

というのは、母は頭に浮かんだことがどんどん言葉となって出てきてしまう。アルツハイマーの症状なのだろう。そして思ったことはすぐに行動に移してしまう。

たとえば、店員さんの愛想が少し悪いだけで食って掛かって行ったり、注文したものが出てこないと(といっても注文したすぐ後でもそうなのだが)まだ出てこない!と店員さんにまた食って掛かったりする。隣の席に座っている女性の化粧にケチをつけてみたり、席が空くのを待っている家族連れにやたら話しかけに行ったり、まぁ、なんというか幼稚園児の子供のような感じかもしれない。落ち着きがないのだ。

なので、座る場所もできるだけ店内を広く見渡すことのできない場所で、通路側じゃないところに座らせて、私と父とでいろんな店内の刺激(人の動きや、しゃべり声やそういったもの)からガードする形で食事をするのだ。結構これがしんどい。

そして、何かに反応してしまったら、即座に「そういえばお母さん!あれってなんだっけ?」という感じで話題を変えたり興味を逸らしたりしながら、母の関心が外に向かわないように腐心する。怒ってもかわいそうだし、解決にならないし、雰囲気悪くなるだけなので、なんとか母の注意をどんどん逸らしていくという作戦である。結構これがうまくいって、なんとか平穏に食事を楽しむことができた。

そして、慈海は吉崎に帰る時間になった。
父がどうしても吉崎まで送っていきたいというので(ごめん、実はお酒を飲んでしまったので、父が送ってやるということになった)、兄は疲れて眠りたいというので、父と母と慈海と三人が車に乗り、吉崎までのドライブとなった。

その車中でのこと、母は何度も何度も父に質問をするのである。

「いま、誰か家にいるんか?」

兄が帰省していて今家で寝てるよと言うと、今度は布団を引いたやろうか?とか、そういうことを繰り返し尋ねてくる。「ちゃんと布団準備してたし、兄貴もゆっくりくつろいでるよ」と何度言っても、またすぐ「今誰か家にいるんか?」と質問が来る。そのたびに、何度も何度も同じ答えを始めて答えるように繰り返す。

あれだけ兄と会うのを毎日楽しみにして、兄に会いたい会いたいと言ってばかりいる母であるのに、兄が福井に帰ってきたことも、一緒に金沢までドライブしたことも、そしてほんのさっきまで一緒に食事をしていたことさえも、全部忘れてしまっているのだ。

何度も何度も「今兄貴が帰ってきてて、今日のお昼台湾の**さんが旅行に来てるから、金沢まで行ったんやよ。そんで、・・・・」と今日一日のことを説明を始めて話すかのように繰り返していくうちに、心の中がどんどん、どんどん、重くなっていく。重くなるのに抵抗するように、口ぶりはおどけてどんどん軽くなっていく。

そして、母は、全く同じ調子で、説明を聞いたその直後にまた同じ質問を繰り返す。

「忘れる」ということは、残酷なことなのだろうか。憶えている私たちから見れば、それはとても残酷なことのように感じるけれども、残酷なことだと、かわいそうなことだと、母のことを思うことの方が、母にとってはさらに残酷なことかもしれない。

どんなに忘れても、どんなに「世間」から取り残されたとしても、忘れたことも忘れ、取り残されたことさえもわからないままになったとしても、それでも、決して忘れてくださらい仏様がいらっしゃる、ということを、聞かされたとしても、そのことさえも忘れてしまうのでは、何の救いになるのだろうか。

忘れたって、自分が、今思う自分ではなくなったとしても、それでも私は、私でいられるのだろうか。ねぇ?母は、母のままでいられるのでしょうか?

そう思いながら、なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ と吉崎についてから、一人布団の中で繰り返さざるを得なかった。

なんまんだぶ

一に掃除、二に掃除…

休日ですが吉崎にいます。つまりいつもと変わらない土曜日です。

外で剪定をしていると、少し涼しくなったからか、久々の晴れ間だからか、週末だからか、やっぱり土日祝日限定のバスが運行されたからか、ご参拝の方が平日よりもちらほら多くいらっしゃいます。

汚い格好なので、掃除のおじさんだろう的にみられているのでしょう(実際そうなんですけど)だれも私に注意を払うことはありません。境内の景色に溶け込んでいる気分はちょっとうれしかったりします。

体重を減らそうと思って、食事とかエクササイズとか考えたりしてましたけど、「一に掃除、二に掃除…」と尊敬している方からお言葉をいただいて、( ゚д゚)ハッ! となりました。

掃除に際限はないですし、片づけたいところもきれいにしたいところもまだまだたくさんあるのに、減量なんてもんにかまけているから太るんだ(矛盾)と思いいたりました。そんなこと考えている間に箒一振り、雑巾ひとがけするもんでした。せっかく汗を流すなら、ご奉公に汗を流すべきです。あー情けない…

40過ぎても、慈海を見ててくださり、教えて聞かせてくださる方がいらっしゃるというのは、ほんとうにもったいないことだなぁと、パチパチ剪定をしながら考えていました。

なんまんだぶ

道場の役割を集落センターが

戦没者追悼法要での勤行とお取り次ぎのため、春江町江留中の集落センターにうかがいました。

代務でしたのでうかがったのは初めてだったのですが、お荘厳がまるで寺院のように立派で「え?ここ、集落センターだよね?」とちょっと混乱するくらいでした。

この辺は集落センターに必ずと言っていいほどお仏壇があります。蓮如上人が吉崎にらしてから爆発的に全国に広まった「道場」は、真宗寺院の礎になっていきます。人が集まり、寄り合いを結び、後生の話を聞き、仏様に手を合わせ、信心の打ち明け話を語り合う場所であった場所が、行政から集落センターを作ることになった際にその役割も集落センターが担うようになっていったのかもしれません。 「人の集まるところに仏さんお迎えせんわけにはいかんやろ」と先人が集落センターを作る際におっしゃっていたんだろうなぁと想像すると、ここでお勤めさせていただくのがなんともかたじけなく思えました。

なんまんだぶ

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戦没者追悼法要での勤行とお取り次ぎのため、春江町江留中の集落センターにうかがいました。 代務でしたのでうかがったのは初めてだったのですが、お荘厳がまるで寺院のように立派で「え?ここ、集落センターだよね?」とちょっと混乱するくらいでした。 この辺は集落センターに必ずと言っていいほどお仏壇があります。蓮如上人が吉崎にらしてから爆発的に全国に広まった「道場」は、真宗寺院の礎になっていきます。人が集まり、寄り合いを結び、後生の話を聞き、仏様に手を合わせ、信心の打ち明け話を語り合う場所であった場所が、行政から集落センターを作ることになった際にその役割も集落センターが担うようになっていったのかもしれません。 「人の集まるところに仏さんお迎えせんわけにはいかんやろ」と先人が集落センターを作る際におっしゃっていたんだろうなぁと想像すると、ここでお勤めさせていただくのがなんともかたじけなく思えました。 なんまんだぶ

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できることなら背負って境内まで、そして本堂まで

今日は念力門まわりを綺麗にしてました。

時期の過ぎた紫陽花の花を刈り取り、絡まった蔦を取り除き、草を引き、ゴミを片付け、伸びすぎたもみじの枝を切り落とし、ツツジの形を整えとしていたら、あれだけ吹き出していた汗がピタリと止まっているのに気づきました。

そういえばなんだか吐き気がするし、ほんのり頭もいたいけど、でもまだまだ動けるし、もうちょっと頑張ろうとしたところで、脚がちょっともつれて階段を踏み外しそうになり、「あ、これは危ないのかも」と、取り急ぎフラフラと会館のなかへ入りました。

こうなるかもと予想して、準備していた経口補水液をチビチビ舐めるように飲んでみると、さっきまで止まっていた汗がだらだらと流れ落ちはじめて、みるみる足元に水溜まりができるくらいの汗が吹き出てきました。

今日は一人きりだったので、万が一のことがあると下手すると月曜の朝まで誰にも気づかれず…と想像したらちょっと怖くなりました。もう少し気を付けないとですね。

ところで、門のまわりを綺麗にしていると地元の方やお参りにこられた方に声をかけられます。

そして門を見上げて皆様「気持ちのいい景色ですねぇ」とおっしゃっていかれます。

そして、中には手を合わせて「(脚が悪くて)上にはあがられないけど…」と申し訳なさそうにおっしゃっていかれる方もいます。

できることなら背負って境内まで、そして本堂までお連れして差し上げたいけど、さすがに恐縮されてしまって叶いませんが…

夕陽に照らされるこの念力門の景色が、慈海も好きです。朽ちかけてもこうして西の光を浴びて、西の風を受けて、人知れずくぐっていかれる方々のお念仏の声を黙って聞き続けている、こんな門のような者に慈海も成れたらと憧れます。

なんまんだぶ

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今日は念力門まわりを綺麗にしてました。 時期の過ぎた紫陽花の花を刈り取り、絡まった蔦を取り除き、草を引き、ゴミを片付け、伸びすぎたもみじの枝を切り落とし、ツツジの形を整えとしていたら、あれだけ吹き出していた汗がピタリと止まっているのに気づきました。 そういえばなんだか吐き気がするし、ほんのり頭もいたいけど、でもまだまだ動けるし、もうちょっと頑張ろうとしたところで、脚がちょっともつれて階段を踏み外しそうになり、「あ、これは危ないのかも」と、取り急ぎフラフラと会館のなかへ入りました。 こうなるかもと予想して、準備していた経口補水液をチビチビ舐めるように飲んでみると、さっきまで止まっていた汗がだらだらと流れ落ちはじめて、みるみる足元に水溜まりができるくらいの汗が吹き出てきました。 今日は一人きりだったので、万が一のことがあると下手すると月曜の朝まで誰にも気づかれず…と想像したらちょっと怖くなりました。もう少し気を付けないとですね。 ところで、門のまわりを綺麗にしていると地元の方やお参りにこられた方に声をかけられます。 そして門を見上げて皆様「気持ちのいい景色ですねぇ」とおっしゃっていかれます。 そして、中には手を合わせて「(脚が悪くて)上にはあがられないけど…」と申し訳なさそうにおっしゃっていかれる方もいます。 できることなら背負って境内まで、そして本堂までお連れして差し上げたいけど、さすがに恐縮されてしまって叶いませんが… 夕陽に照らされるこの念力門の景色が、慈海も好きです。朽ちかけてもこうして西の光を浴びて、西の風を受けて、人知れずくぐっていかれる方々のお念仏の声を黙って聞き続けている、こんな門のような者に慈海も成れたらと、思います。 なんまんだぶ

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