自分が、今思う自分ではなくなったとしても

先日、東京にいる兄が一年ぶりに帰省してきた。久々に家族みんなでご飯を食べようと相談していたところ、偶然にも台湾にいたときの知り合いが家族旅行で日本に来ているという連絡があった。それもちょうど金沢に来ているというので、父母と兄と慈海と四人で金沢まで行くことになった。

その台湾の知り合いは、私たちが台湾にいた当時はまだ学生さんで、父に日本語を教えてほしいと毎週住んでいたマンションに通っていた人であった。会うのはそれから30年ぶりになる。

兼六園で昼食をとる予定だというので、その時間に合わせて私たちも兼六園で会うことになったが、ツアーの時間もあるので、会って話をできたのは15分くらいしかなかった。

だけれども、たったそれだけの時間でも心は三十年前に一瞬で戻っていく。握手をしながら、一緒に写真を撮りながら、当時の思い出があふれるように頭の中に浮かんできた。

父も母も同じであったのだろう、大はしゃぎで、父はもう汗だくになって、でもとても上機嫌で話し続けていた。母もニコニコ顔で同じことを何度も何度も繰り返しながら、写真を撮ろう写真を撮ろうとにぎやかであった。

短い時間ながら、みんなが懐かしい思いを胸いっぱいにしてその場では別れ、またふたたび家族四人で福井までのドライブとなった。車の中で、母は何度も何度も「今どこにいったんやっけ?」「今からどこに行くんや?」と繰り返し、そのたびに「**さんが台湾から家族旅行で金沢に来たから~」と説明をくりかえし、「お母さんあかんわぁーぼけてもたんやわぁ」と母は笑い、あわせて父も兄も私も笑ってと、にぎやかな車中であった。

2時間弱で金沢から実家に戻り、しばらくくつろいだ後夕食を食べに行こうということになった。近くの焼き鳥屋に行くことになったのだが、母と一緒に外食に行くのはとても緊張するのだ。

というのは、母は頭に浮かんだことがどんどん言葉となって出てきてしまう。アルツハイマーの症状なのだろう。そして思ったことはすぐに行動に移してしまう。

たとえば、店員さんの愛想が少し悪いだけで食って掛かって行ったり、注文したものが出てこないと(といっても注文したすぐ後でもそうなのだが)まだ出てこない!と店員さんにまた食って掛かったりする。隣の席に座っている女性の化粧にケチをつけてみたり、席が空くのを待っている家族連れにやたら話しかけに行ったり、まぁ、なんというか幼稚園児の子供のような感じかもしれない。落ち着きがないのだ。

なので、座る場所もできるだけ店内を広く見渡すことのできない場所で、通路側じゃないところに座らせて、私と父とでいろんな店内の刺激(人の動きや、しゃべり声やそういったもの)からガードする形で食事をするのだ。結構これがしんどい。

そして、何かに反応してしまったら、即座に「そういえばお母さん!あれってなんだっけ?」という感じで話題を変えたり興味を逸らしたりしながら、母の関心が外に向かわないように腐心する。怒ってもかわいそうだし、解決にならないし、雰囲気悪くなるだけなので、なんとか母の注意をどんどん逸らしていくという作戦である。結構これがうまくいって、なんとか平穏に食事を楽しむことができた。

そして、慈海は吉崎に帰る時間になった。
父がどうしても吉崎まで送っていきたいというので(ごめん、実はお酒を飲んでしまったので、父が送ってやるということになった)、兄は疲れて眠りたいというので、父と母と慈海と三人が車に乗り、吉崎までのドライブとなった。

その車中でのこと、母は何度も何度も父に質問をするのである。

「いま、誰か家にいるんか?」

兄が帰省していて今家で寝てるよと言うと、今度は布団を引いたやろうか?とか、そういうことを繰り返し尋ねてくる。「ちゃんと布団準備してたし、兄貴もゆっくりくつろいでるよ」と何度言っても、またすぐ「今誰か家にいるんか?」と質問が来る。そのたびに、何度も何度も同じ答えを始めて答えるように繰り返す。

あれだけ兄と会うのを毎日楽しみにして、兄に会いたい会いたいと言ってばかりいる母であるのに、兄が福井に帰ってきたことも、一緒に金沢までドライブしたことも、そしてほんのさっきまで一緒に食事をしていたことさえも、全部忘れてしまっているのだ。

何度も何度も「今兄貴が帰ってきてて、今日のお昼台湾の**さんが旅行に来てるから、金沢まで行ったんやよ。そんで、・・・・」と今日一日のことを説明を始めて話すかのように繰り返していくうちに、心の中がどんどん、どんどん、重くなっていく。重くなるのに抵抗するように、口ぶりはおどけてどんどん軽くなっていく。

そして、母は、全く同じ調子で、説明を聞いたその直後にまた同じ質問を繰り返す。

「忘れる」ということは、残酷なことなのだろうか。憶えている私たちから見れば、それはとても残酷なことのように感じるけれども、残酷なことだと、かわいそうなことだと、母のことを思うことの方が、母にとってはさらに残酷なことかもしれない。

どんなに忘れても、どんなに「世間」から取り残されたとしても、忘れたことも忘れ、取り残されたことさえもわからないままになったとしても、それでも、決して忘れてくださらい仏様がいらっしゃる、ということを、聞かされたとしても、そのことさえも忘れてしまうのでは、何の救いになるのだろうか。

忘れたって、自分が、今思う自分ではなくなったとしても、それでも私は、私でいられるのだろうか。ねぇ?母は、母のままでいられるのでしょうか?

そう思いながら、なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ と吉崎についてから、一人布団の中で繰り返さざるを得なかった。

なんまんだぶ