聞見会について

聞見会(もんけんかい)は、
「安心してお念仏ができる場所と時間がもっとあったら」
という思いから開設されました。

仏教ブームと言われる昨今、仏教に関する本が多く出版され、メディアでも仏教を取り上げるコンテンツが目につきやすくなってきました。
手軽に個人間でのコミュニケーションが取りやすくなったインターネット上では、多くの僧侶方が身近な言葉でその教えを説き、これまで高い垣根の向こう側であった仏教の世界が、より親しみを持って、世間の中でも触れやすくなってきました。

しかし、これほど仏教と世俗の境目が曖昧になってきた今日であっても、仏教の本質というものに触れる機会というのは、実は少なくなってきているのかもしれません。

本当に、安心して、この教えを聞き、問い、味わえる時間と場所というのは、どれだけあるでしょうか?
そして、なによりも、恥ずかしがることなく、胸を張ってお念仏ができる時間と場所というのは、どれだけあるでしょうか?

かつては、挨拶のようにお念仏をし、事あるごとに「なんまんだぶ なんまんだぶ あんがたい」とお念仏をされる方がたくさんおられました。
特に越前の田舎では、お念仏をされる方を「ありがたい方だ」と褒め称える文化がありました。
しかし、現代では、人混みの中でお念仏する人がいれば、気持ち悪がられます。
昔の時代でもそういうことはあったかもしれませんが、現代では更にお念仏がしにくい社会になってきました。

とあるお寺さんはこのようにおっしゃいました。
「お念仏をしない方でもお寺にいらっしゃってください。」
寺院は、お念仏をされる方の集まりの場所だったはずです。
しかし、参拝者が少なくなってきた昨今、念仏者の家であり、安心して声高にお念仏ができる砦であった寺院が、このように声をかけなければいけない時代になってしまいました。

浄土真宗は、「安心して不安を生きる」ことのできる宗教です。
汚く、醜く、みっともなく、生きて生きて死んでいける教えです。
生きて、そして死んでいくことは、決して綺麗事だけではありません。
その綺麗事ではない生と死の現場で、安心して、その生死(しょうじ)を越えていく道を聞き、問い、味わっていく時間と場所を増やしていきたい。
そして、安心して、それぞれの方が、それぞれの思いの中で、「なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ ……」と、お念仏ができる社会を作っていきたい。
そういう思いで、この聞見会という会を作りました。

あなたが、安心して、腹いっぱいお念仏ができる時間と場所が、ここにあります。
そして、一緒に、そんな安心して腹いっぱいお念仏ができるような時間と場所を、増やしていきませんか?

2015年4月10日
聞見会代表 釋慈海

なんまんだぶ