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聞見会

お念仏の会

顕浄土真実教行証文類

ネコの家出

2014年12月11日 by 慈海

一緒に住んでいる白ネコは、隙を突いてすぐに家出をする。

慈海坊は車通りの多い道沿いにあるので、事故が心配なため、ネコ達を家からは出さないようにしている。それでもネコ達にしてみたら、風に揺れるヒゲの感触、心をざわつかせる草木の青い匂い、肉球をひんやりと濡らす地面の冷たさが恋しいのかどうかは知らないけれど、気を抜くと、家の中に姿がなく、脱走した形跡だけを見つけることがよくある。窓の隙間や、引き戸の隙間をこじ開けて、時には網戸を爪で引き裂いて、自由な外の世界に飛び出していく。

先日も白ネコが、玄関の扉がきちんと閉まっていなかったのを目ざとく見つけ、外に飛び出していった。気がついた時には家の中はもちろん、家の周りをぐるりと見回っても姿がない。心配だけれども、まぁ食事の時間になれば帰ってくるだろうと、高をくくっていたが、丸一日経っても帰ってこないので少し心配になってきた。

夜には冷たい雨が降りはじめ、凍えていやしないか、もしや怪我してやいまいかと、幾度と無く夜中に探しに出る。いつもいる場所を何度覗いても姿も気配もない。とうとう車にでも轢かれたのかもと、道路に血の跡がないか探したり、側溝を覗きこんだりするが、なんの形跡もない。

思えば、この白猫はもともとノラ猫であった。
海辺を散歩していたら、ノラのくせに人懐こく寄ってきて、怖がるどころか連れの背中に登ってきたのだった。

「きっと一緒に行きたいのよ」
うちでは飼えないよといくら言っても、連れがきかないので、しぶしぶ連れて帰った猫であった。
部屋に入れたその日から、まるでそれがすでに決まっていたかのように、物怖じすることも、嫌がる様子もなく、勝手気ままにくつろいで、気がつけばもう8年ほどになるだろうか、一緒に暮らしたのだった

一緒に暮らしている時間が、彼を慈海の家族にした。
ただの猫とはいえ、彼との思い出も多い。

「自分から出て行ったのだ、戻ってきたかったら自分から戻ってくる。彼の居場所は、彼が決めるのだ。慈海が閉じ込めておく道理もない。暖かくて、安全な家に閉じ込めておくことが彼の幸せなのだろうか。いわゆる動物愛護とかいうモラルで言えば、それが正しいのかもしれないけれども、そういった正義の言い訳は、実は慈海の傲慢さから出てくる考えかもしれない。命が安全な場所が安心な場所じゃないのだ。心地よい場所が、安心な場所ではないのだ。彼の居場所は彼が決めるのだ。彼の安心な場所は、彼にしか決められないのだ。帰ってきたかったら、彼の方から帰ってくる。そうしたら、また一緒に暮らせばいいじゃないか。もし死んでしまったとしても、彼の命に対して慈海がどうのこうのいう話じゃない。慈海はあの白い猫にさえ依存心を起こしているのか云々……」

そう考えよう。そう考えるべきだと、理性を懸命に働かせて、頭のなかでブツブツ自分を説得しようと試みる。が、それでも不安な気持ちは、心のなかでグログロとうずを巻いて押さえつけようがない。
たかが飼い猫。されど飼いネコ。
「恩愛甚だ断ちがたく~」の言葉通りかもしれないなどと、さらにブツクサ。

としていたところ、近所のおじさんとすれ違ったので、
「うちのネコみかけませんでした?」
と声をかけると
「さっきうちの庭にいたよ」と、意外な返事。

「えぇ!そ、それはどれくらい前ですか?」
「50分ほど前かなぁ。でも、もういないと思うよ。」
「一応覗いていっていいですか?」

そんなやりとりをしながら、近所のおじさんの庭を覗くと、大きな庭石の上に、まるで置物のようなとよく言われる喩えそのままに、チンと鎮座している白ネコが目に入った。まるで、そこの庭の主か、はたまた妖怪か。家の中では見たことのない、ある意味威厳のある姿で、静かに座っていた。

名前を呼ぶと、妖怪がゆっくりとこちらを見据える。
しかし、口を開け、ニャァと応えた時には、もう妖怪ではなくなっていた。
そろそろと庭石から降り、テテテと慈海の足元に走りより、脛におでこを擦りつけてくるので、それじゃぁ帰ろうかと抱きかかえ、暖かい慈海の家に連れて帰ったのだった。

 

「安心(あんじん)ちゅうのは、心の置き場所ちゅうことやな。不安であろうがなんであろうが、その不安な心の置き場所が定まることを、安心(あんじん)ちゅうんやろうな。」
と聞いた。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
(『草枕』夏目漱石)

考えなしに虚勢は大きく意味なく角ばかり立てて、情に流され地に足つかず、意気地もないのに意地を張り、わかったつもりで、慈海は何にも身についてない。

心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す
(顕浄土真実教行証文類 後序)

心の置き場所。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: ネコ, 安心, 後序, 顕浄土真実教行証文類

「安心」ってなんや

2014年2月5日 by 慈海
安心

安心

家の中に女が独り、佇んでいる。
そんな様子が「安」という文字だそうだ。

いくら風がオンオンと吹き荒もうとも、
いくら雨がザラザラと降り荒もうとも、
屋根と壁に守られて、女は、心安く、落ち着いて、悠々とした様子だ。
外の景色とは異なった、生ぬるい空気に、心地よくまどろむ姿だろうか。
その女は、身の置き場所が決まったのだ。

心の置き場所が定まることを、「安心」するという。
不安であろうとも、不安の心のまま、置き場所が決まれば、それは安心なのだ。
不安でしかいられないその心を、安置することを、安心というのだろう。

人によって、心を安置させる場所は異なる。
それぞれが、暴れる心を落ち・着かせて、置き、定めて、
その場所に根を張るのだ。

慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。

(顕浄土方便化身土文類 (末))

しかし、それを「信心」というのではない。
「信心」と「安心」は別だ。
信心は、ひとつの場所に、とどまらない。

なんまんだぶ

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: 書, 言葉, 顕浄土真実教行証文類

「教」は変えさせようとする力

2014年1月8日 by 慈海

教

【教】

「教え」というのは、「働きかけ」だ。
この慈海を、変えさせようという力だ。

聞いたからには、変わっていくことが、その「教え」に適うことである。
だけれども、そう簡単に、人は変われるもんじゃない。
でも、こちらが変わろうと変わるまいと、「教え」自体は変わらない。
「教え」自体は不変だ。
よかった。聞く方には、まだ変わる余地がある。

智慧は、智慧のままとどまっているだけでは、智慧じゃない。
「教」を慈海が聞くとき、智慧が能動的に働きだす。

弥陀、誓を超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れんで選んで功徳の宝を施することを致す。釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲すなり。
(顕浄土真実教文類)

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: 書, 顕浄土真実教行証文類

モノ・コト

2014年1月5日 by 慈海

モノコト

「物事(ものごと)」は、「物(モノ)」と「事(コト)」

「物(モノ)」は、手に取って、もしくは手に触れて、あるいは、目に見えて、それを知ることができる。
「事(コト)」は、手に取ることも、触れることも、目に見えて知ることは無いけれども、確かにあった。

それら二つを合わせて、「物事」と表現するこの言葉を最初に使った方のセンスには脱帽だ。
やっぱり言葉って面白い。

生きるというのは、この「物(モノ)」と「事(コト)」にさらされ続けるということだ。
色んな物事の中に、慈海はいる。

そしてまた、それら「物(モノ)」と「事(コト)」によって、慈海はつくられる。

いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。ここをもつて、耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。まことに知んぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり。
(顕浄土真実教行証文類 行文類)

元照律師の釈七文を、ご開山は引文された箇所。

「名をもつて物を接したまふ」
なんまんだぶ という、名を持って、この慈海というモノを、摂取されるという。
まぁ、ここで仰る物というのは、「者」という意味であろうが。

しかしこれは、事件だ。
大事件である。

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: 元照律師, 書, 言葉, 顕浄土真実教行証文類

「口耳四寸」

2013年10月9日 by 慈海

「口耳四寸(こうじしすん)の学(がく)」という言葉がある。デジタル大辞泉によれば

《「荀子」勧学から。口と耳との間でする学問の意》聞いたことをそのまま人に伝えるだけの、身につかない学問。受け売りの学問。

ということらしい。(コトバンク>「口耳四寸の学」より)

上記の通り、耳に入ってきた言葉を、全く自分というフィルターを通さず、疑問や考えなしに耳から四寸下の口からそのままアウトプットすることを言うようだ。一般的にはあまり良い意味では使われない。

ところで、仏教の経典の殆どは「如是我聞(にょぜがもん)」 もしくは「我聞如是(がもんにょぜ)」という言葉から始まる。
これは、仏教の経典というのは釈尊の著作ではなく、釈尊が涅槃に入った後、釈尊のお弟子さんである阿難尊者(あなんそんじゃ)が「私はこのように(お釈迦様のお話を)聞きました」と書き残したためという。いわば、仏教の経典に書かれていることは、口耳四寸の教えであろう。もし、佛の言に、聞いた人の領解の言葉が含まれてしまったり、もしくはその領解にあわせて言葉が抜き取られてしまっていたら、それは仏語では無い。禅宗では教えを師から弟子に受け継いでいくことを、コップに注がれた水をそのまま空のコップに注いでいくように、教えを伝えていくらしい。仏教は聞いた教えをそのまま伝えていく。まさに口耳四寸の学であるからこそ、ありがたいのかもしれない。

とはいえ、親鸞聖人の教行証文類を開くと、引文してきた漢文を(おそらくあえて)読み変えされていて「よくこんな読み変え出来るなぁ。」と、オソロシイ引文の仕方をされていたりするのであるが、これは言葉そのものではなく、言葉の表しているところをみているからこそできることなのかもしれない。また、大乗非仏説とかいうことを主張されてる方もいるが、そのへんのことについては、別の機会にまとめよう。

ここ数日ブログをどうしようかといろいろ考えていた。自分の学んだこと、聞いた話を受けて、それに自分の領解や味わいを付加し、面白く、わかりやすく、お念仏の教えをシェアしたい、と思いながらも、いざ文章を書き始めると、言葉の壁の前にウロウロとして結局放り出してしまう。(事実下書きにたくさん書きかけの記事があるけど、とても公開できるほどの記事になってない)

師には常日頃「言葉を超えたところの話を、あえて言葉にして伝えてくださっている教えだからこそ、お念仏の教えというのは、言葉に厳しくなければいかん。」と示していただいている。だからこそ、いざ聞いた話を元に記事を書こうとしても、自分の言語能力に疑問を感じ、言葉を発することが怖くなってしまう。言葉はオソロシイ。

であれば「如是我聞」私も同じように、聞いた話をそのまま受け売りでシェアするしか無いなと、ブログのタイトルを「口耳四寸記(こうじしすんき)」として、言葉を残していくことにした。実は、この口耳四寸の学というのは、これはこれで難しい。聞いた話を聞いたままに伝えていくことは、自分の意見を廃し、自分の余計な領解がふくまれることで、正しく言葉が伝わらないことがあるかもしれないからだ。自己の承認欲求が先に立つと、この口耳四寸の学というのは難しい。もともと他人の言を自分の言葉のように受け売りすることも承認欲求のはけ口的なことかもしれないが、本当の受け売りというのは、承認欲求を廃したところにあるのかもしれない。

さて、この「口耳四寸」という言葉、お念仏にも深く関係がある。
法然聖人のご消息や問答をまとめた「拾遺黒谷語灯録」というのがあるがその中に、
「(お念仏の声は)我が耳に聞こゆる程に」と言う言葉がある。(参照)*
お念仏のする時の声は、大きければいいのか、それとも小さいほうがいいのか?と、慈海にもたまに質問される時があるが、この法然聖人の言葉を受けて、慈海は「お念仏は仏さまの呼び声。その呼び声が自分の耳に聞こえるほどで良いのでは」とお話している。
我が口から飛び出て来なさった仏さまが、四寸上の我が耳に届くほどに、お念仏されればよろしいのでしょう。

「口耳四寸」私の耳に入ってきた仏の教えが、私の口からそのまま出ていくように。
そして、私の口から出てきた佛が、そのまま私の耳に届く程に。

合掌 なんまんだぶ

*「拾遺黒谷語灯録」下記箇所について詳細別記事で後日更に深める予定

三業とは、身と口と意とを申候也。しかも仏の本願の称名なるかゆへに、声を本体とはおほしめすへきにて候。さてわかみみにきこゆる程に申候は、高声念仏のうちにて候なり。高声は大仏をおかみ、念ずるは仏のかずへ[40]もなど申げに候。いつれも往生の業にて候へく候。

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: お釈迦様, 三業, 仏教, 拾遺黒谷語灯録, 法然聖人, 経典, 荀子, 親鸞聖人, 言葉, 顕浄土真実教行証文類

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