まだ私が小学生だった頃、おばば様に「いい子や」といわれるのがうれしくて、毎晩のおつとめの時、おばば様の隣で、お念仏の真似事をしていました。
お仏壇の前におばば様と並んで座り、おばば様の持つ手垢で縁が黒ずんだ聖典を、一生懸命覗き込んで、足がしびれるのをじっと我慢して、「いい子や」といってもらうために、おばばさんの口真似をしていました。
そんな私も、物心がつき始めると、おつとめよりもテレビや友達と夜更けまで遊んでる方が楽しくて、だんだんとほとけさんから遠くなっていきました。
あれから20年近くたつでしょうか。
今年に入って、ふと、そんな子供の頃を思い出し、お念仏について興味を持ちました。
「南無阿弥陀仏ってどういう意味なんだろう?」
単に雑学を仕入れる程度の興味だったかもしれません。
便利なもので、ネットで調べると色々と情報が載っています。
“南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ、南無阿弥陀佛、南無阿彌陀佛)とは、「南無」はnamo (sanskrit) の音写語で「わたくしは帰依します」と意味し、「阿弥陀仏」は、そのサンスクリット語の「無量の寿命の大仏 (amitaayus)」「無量の光明の仏 (amitaabha)」の「はかることのできない」という部分のamita (sanskrit) を略出したものである。”
(出展:wikipedia)
あちこちのサイトや情報を見ては、「へー」と言葉の上でわかったつもりになって、知ったつもりになって、雑学的に興味を持っていきました。
でも、調べるほどによくわからなくなる。
「なんでお念仏を唱えるのか?」
「お念仏を唱えると、何かいいことがあるのか?」
「不思議な呪文なのか?それとも自己暗示なのか?」
「結局、ほとけさんは今のこの私を助けてはくれん。
お金がなくて苦しくても、天からお金を降らしてくれるわけでもない。
飢餓で苦しんでいる人に米を与えてくれるわけでもない。
なによりも、今の自殺者の多いこと。
何でほとけさんはそんな生きる苦しみから救ってくれんのか。
お念仏といっても弱者の逃げ口上じゃないのか?
結局、お念仏を唱えたからってなんなんだ?」
そんな疑問と自己満足で独りよがりな自問自答を繰り返し、哲学ごっこ遊びをしていた時、おばば様が亡くなりました。
葬式のために実家に帰る新幹線の中で、今までのおばば様の人生を思いました。
苦労や、悲しみや、悔しさや、腹立たしさが多くあったであろうおばば様の一生。
そんな一生で、おばば様は幸せだったんだろうか。
孫どころか息子までも東京に行ってしまい、恨んで死んでいったんじゃないだろうか。
寂しい思いで、独り死んでいったんじゃないだろうか。
『なまんだぶつ なまんだぶつ あんがたい』
毎日朝晩おつとめを欠かさず、ことあるごとにそうお念仏されていたおばば様でした。
お寺さんにもよく通い、本当に南無阿弥陀仏と一緒に生きてきたようなおばば様でした。
そんなおばば様なのに、ほとけさんは何をしてくれたのか。
信心深く、お念仏をほんとに百万遍、億万遍唱えてきたおばば様なのに、最後は息子にも孫にもなかなか会えず、寂しい思いをして行ってしまわれた。
「お念仏を唱えたって、幸せに死ねるわけではないではないか。」
そんなことを思いながら、新幹線の外の風景がだんだん雪景色になっていくのを見つめていました。
ふるさとは大雪でした。
実家についた頃には夜も更け、激しくも静かに舞う雪が、実家の玄関を彼岸の入り口のように感じさせました。
最近はめったに寄り付かなくなってしまった実家でしたが、それでも、玄関の前に立つと、いつも強烈に「帰ってきた」という実感がこみ上げてくるものでした。
でも、その時はなぜか、実家に帰った実感がわかず、玄関の前で数分立ち尽くしてしまいました。
おばば様はいつも、私が帰るのを心待ちにしていたそうです。
そんな気持ちをわかっていながら、日々の忙しさにかまけ、いや、言い訳にして、ここ数年ほとんど帰って来なかった自分。
そんな不孝者の私でも、たまに帰ると抱き合って、涙を流して迎えてくれるおばば様でした。
「カタかったか(元気だったか)?」
-うん、カタかったよ。おばばさんこそカタかったか?
「おなか減ってないか?」
-うん、さっき駅で食べてきた。けど、おばばちゃんのあの菜っ葉の炊いたの食べたい。
「雪ひどかったやろ、はよ仏さんに手合わせて、ストーブにあたりね(暖まりなさいね)。」
-うん、うん、うん……
玄関を開けても、そんないつものやり取りは、もうありません。
むせ返るようなお香の香り。
母が何か言いながら出てきます。
雪を払い、仏間の方に向かいます。
ストーブの上でやかんの蓋がカチカチとなっています。
やつれた父の顔、
「おう」といいながら顔を上げる兄の顔、
懐かしい親戚の顔。
お仏壇の前、仏間の真ん中に、横たわるおばば様。
泣いてしまうだろうか、と思っていました。
でも、不思議と、冷静にその情景を眺めていました。
おばば様は死んだのだろうか?
そう思ってしまうくらい、死が現実的ではありませんでした。
ただ、おばば様の顔にかけられた白い布が、
「死んでいる」ということを静かに表現していました。
死は、「別れ」でしかないと思っていました。
しかし、死は「縁」の一端なのかもしれないと思いました。
おばば様の肉体が、福井の実家で過ごす最後の晩、死はまだ出来事でしかありませんでした。
そこに、亡くなったおばば様が、保冷剤に包まれて、着物を着て、布団を掛けられて、横たわっています。
父と母は、葬式に呼ぶ人のリストを作るために、古ぼけた年賀状やら台帳やらをひっくり返して叫んでいます。
兄は、香炉の前で、燃え尽きそうな線香を変えるタイミングをぼうっと待っています。
姪は、非日常が楽しいのか、でも不謹慎というのは分かっているのか、暇を持て余して、誰かかれかにまとわりつき、居場所がないのが分かると、寝てしまいました。
私は、そんな景色を、絵を描く時のように、何も考えず見つめている。
そこには、非日常という日常があるだけでした。
死は、出来事でしかないと、ぼんやりと考えていました。
仏教っていうのは、その日常を非日常として再認識させてくれるためにあるのかもしれない、とぼんやりと思っていました。
「線香は、その場の空気が日常であってはいけない、と嗅覚に訴えているのかもしれない。
燈明は、その場の風景が日常であってはいけないと、視覚に訴えているのかもしれない。
そして念仏は……、念仏というのは、聴覚にそれを訴えるのだろうか。
すべては思い込みであって、錯覚でしかなくて、暗示であって、納得するための術(すべ)なのかもしれない。」
事実、おばば様はそこに、躯として、あります。
毎日念仏を欠かさず、事あるごとに「なまんだぶつ なまんだぶつ あんがたい」と口ずさんでいたおばば様の人生が、終わった今、そこに何が残っているのでしょうか。
死は、出来事でしかない。
それが事実なんだろうと、頭が痺れたように思っていました。
(つづく)