聞見会新聞【第七号(平成29年8月1日発行)】が出来上がりました。
聞見会新聞 第七号 が、出来上がりました。
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今回のコンテンツは、本願寺派布教使 小林顯英師 によるご法話となっています。
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日常の中の、非日常という日常
吉崎での生活が「日常」と思わなくなるくらいに、慈海の日常となっていたようだ。
先週末、仏教婦人会の方々が本願寺吉崎別院での清掃奉仕にいらしてくださった。おかげさまで境内どこもピカピカになり、今朝の朝掃除がとても楽であった。
朝起きて、掃除をして、晨朝勤行(じんじょうごんぎょう、朝のお勤め)の準備をする。炭をコンロにかけ、火をおこしてお御堂の香炉でお参りされた方がお焼香できるようにする。少し汗を拭いて、着替え、勤行。お勤めが終わったら、ひとり朝ごはんをいただく。一人だから簡単な食事だ。
なんとなく、まだこの「お寺ぐらし」の生活に慣れていない気分もあるのだけれども、この”ぐうたら”な慈海が誰かにお尻を叩かれなくても一人で起きて、自然と掃除に体が動く。
今朝は、掃除をしながらたくさん違和感を感じた。
ホースの片付け方、雑巾の場所、ちょっとしたものたちの風景が、いつもの景色と少しづつ違っている。そうか、仏教婦人会の方々が掃除してくださったからだと、改めてそのことに気づいて新鮮な気持ちになる。
見慣れているはずのいつもの景色が、ほんの少し変わるだけで新鮮な気持ちになることがある。
日常の中に、また別の日常が、非日常的に立ち現れて、またそれが日常の景色となっていく。
お念仏の話を聞くと、そんな気持ちになる。
この口から 「なんまんだぶ」と聞こえる風景は、非日常的なことかもしれないけれども、それがまた、日常の景色と溶け合っていく。この無常の身を常に照らす。
なんまんだぶ
今年も真夏の報恩講が始まります
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期間は8月7日から9日まで。
7日と8日は、午前10時からと、午後1時半から。
9日は午前10時からのみです。
7日と8日はお斎(オトキ、法要の時に出るお食事)がでますよ。
※お斎を召し上がりたい方には御懇志1000円以上をお願いされています。
真夏の報恩講。
汗だらだらで御聴聞です。
今年の御講師様は、福井県千福寺ご住職の高務先生です。
大きなお体から軽快な語り口でお取次ぎされるご法話、慈海も今からとても楽しみです。
毎年恒例、真夏の報恩講法要。
報恩講と聞くと、この御文章を思い出します。
そもそも、今度一七箇日報恩講のあひだにおいて、多屋内方もそのほかの人も、大略信心を決定したまへるよしきこえたり。めでたく本望これにすぐべからず。さりながら、そのままうちすて候へば、信心もうせ候ふべし。細々に信心の溝をさらへて、弥陀の法水を流せといへることありげに候ふ。(略)
<帖内 二帖1通目「御浚え」の御文章より>
「細々に信心の溝をさらへて、弥陀の法水を流せといへることありげに候ふ」
マメにこの信心の溝をさらって、如来様の法の水を流しなさいな。
こういう表現って、蓮如さんやなぁと思いますよね。
昔の人は「耳を育ててもらった」なんて表現をよくされたそうですが、世事にかまけ、浮世に耳を奪われ、その中でついつい「正しさ」という耳でモノゴトを聞くクセがついてしまいますけど、マメにこの耳に法を聞かせててやらにゃぁ、ついついこの慈海は如来様をこちらに引き寄せて考え始め、自己弁護、自己正当化、自己満足の道具にしようとしてしまいます。
「御信心」がなにかそういったモノがあるように思い込み、「御信心」を頭でカタチ作り、「御信心」を少ない言葉で小さくまとめようとしてしまう。
そんでもって、いつか、どこかで、だれかが、わけのわからないものに成るといった、わけのわからない話をし始めるのです。
信心の溝は、この耳にある。この慈海の耳を通って、如来様の御信心が なんまんだぶ と流れてくださる。
暑いさなかだけれども、どうぞどうぞ、この「溝さらい」に吉崎までいらしてください。
汗を流しながら、法の水をこの耳に流し込んでもらいましょ。
さて、ということで、吉崎のこの報恩講がおわるとすぐにお盆です。
なんだかんだ言って、日本人なら一年で一番「仏教」に触れる機会が多くなるのが、このお盆の時期じゃないでしょうか。
お寺さん界隈は、全国的にざわざわと忙しい時期に入って、なんだか浮かれた感じにもなってきますが、この時期、何を願い、何を拠り所とするのか、一緒にゆっくり味わえたらいいですね。
なんまんだぶ
2017年夏。近況報告的なお知らせです。

活動しているのかしていないのか、代表の慈海さえもよく
整理と言っても、店じまいではなくむしろ、よりフットワ
(いやその前にお前がダイエットしろ的なツッコミ禁止)
その一環として、管理が煩雑なうえに今後あんまりインプ
だって、アナウンス的なこと、FB上では慈海個人のこの
(いやそれはお前がちゃんと運営していないからだろ的な
で、前からクライとかヨクワカラナイとかさんざんないわ
(けど、本人は気に入ってるからこれでいいのです。意見
(※サイト等への新ロゴ切り替えは、テキトーに気が向いた時に切り替えていきます。)
で、出す出す詐欺をしていた「聞見会新聞」ですが、やっ
で、聞見会サイトの方ですが、リニューアルというか、サ
ま、ほかにもいろいろあるかもですが、とりあえず、聞見
では、みなさま、お念仏は、いいぞぉ。
なんまんだぶ
手紙を送る。手紙をもらう。
たまに母に手紙を送る。
離れたところで暮らしているとはいえ、週に一度は父母と食事をしたりしてちょくちょくと顔を合わせている。だから、あらたまって手紙を書くのも気恥ずかしいのだが、痴呆が進む母にとって息子からの手紙はいい刺激にもなるようだ。むず痒い照れはあるものの、そんな感情を押しのけてたまに手紙を書いている。
用事で父に電話をすると「今泣いて読んでたわ」と笑っていた。早速返事を書いているそうである。
色々と出来ないことも増え、忘れることも多くなり、今後自分がどうなってしまうのか、自分が自分でなくなるような、おそらくそんな恐怖と常に戦っている母ではあるが、筆を持つと「自信」を取り戻す。
これまでと同じように返事を書いたことはおろか、息子から手紙が届いたことさえも明日朝には忘れてしまうかもしれないが、何か嬉しいことがあった感情だけは心に残っていて、機嫌がよくなるようである。そして、たまに引き出しから忘れてしまっていたその手紙を見つけ、「あらこんなのもろてたんやわぁ!」とまた新鮮な気持ちで読んで涙ぐんでくださるのであろう。
「忘れる」ということは、ときに幸せなことでもあるのかもしれない。
会えばいつも同じ話を繰り返し、「あんたここだけの話やけど」を何十回も繰り返してはまた同じ話が始まる。一緒に生活している父にとってはまるで苦行のようであるそうだが(笑)、文句も愚痴だけでなく、喜びまでも、何度も何度も新鮮に味わっているのかもしれない。
母の息子であるから、慈海もいずれ同じにように痴呆になるのかもしれない。
今、母が見せてくださっているように、なんども同じことに腹を立て、なんども同じことに悲しみ、なんども同じことに喜ぶようになるのであろうか。
慈海には手紙を書いてくれるような子はその時にはいないであろうが、今とりかえしとりかえし戴いているこの蓮如さんからのたくさんのお手紙(文章様)に、なんども同じように頭が下がり、なんども同じように喜べる、そんな爺になりたいものだ。
自分が何者かも忘れ、どこにいてどこに向かっているのかさえもまたわからなくなったその時に、「摂取不捨」のすくいを新鮮に驚けるのは、すこし楽しみかもしれない。
そのときに、慈海の口からお念仏が溢れてくれたら。
なんまんだぶ
残響
久々に晴天が続き、風雪厳しいこの吉崎にも春の兆しを感じ始めた。
冬の間は特にお参りの方の足音も聞こえず、いつもにもまして寂びさびとした境内であったが、ふらりと訪れてはお念仏を申されて帰って行かれる方の姿もぽつぽつと見かけるようになった。早朝には鳥たちが「アーサムイサムイ!スヲツクロウ!スヲツクロウ!」と騒がしくなり、床を掃除すると風で飛ばされてきた花粉が雑巾を黄色く染めるようになってきた。
今日から三月である。
春の兆しを感じ始めたとはいえ今朝も霜が降った。お御堂に入るとひんやりと冷えた空気が鼻の奥をくすぐる。明かりを灯し、香を焚き、お仏飯をお供えし、いつもと同じく晨朝勤行(おあさじ、朝の勤行のこと)をお勤めする。たまにお参りの方もいらっしゃることがあるがほとんど一人きりのおあさじである。昔は毎朝通われた方もいらっしゃったそうであるが、そういった方々も高齢になり、また先に往生されていかれたそうだ。しかし誰も来ないからといって、この別院で晨朝勤行をしないわけにはいかない。
まだまだへたくそだけれどもせめて声だけでも大きくと、正信偈を誦しながら阿弥陀様のお顔を見上げるとその表情が明るい。この時間でも日が本堂に差し込むようになってきたからか、お優しくて柔らかい如来様のその表情にみとれながらひとり声を出し続ける。
二百年以上前から残る総欅(ケヤキ)の伽藍に、自分の声が反響して心地いい。大きなお御堂でのおあさじは、どんな日でも本当に気持ちいいものだ。ふと、昨日お参りに来られたご夫婦と、この本堂で会話したときの話を思い出す。
そのご夫婦は、以前にもご参拝にこられたことがありその時も慈海とお話をしていた。愛想よく始終嬉しそうに笑われる旦那様と、静かに優しくたたずまれる奥様は、仏様のお話をとても喜ばれ、お二人ともとても聞き上手であった。ついつい話も長くなり、そろそろお帰りになられるとのことで、最後にご一緒にと、仏様の方に向かって手を合わせると、不意に旦那様が「なんか聞こえんか?」と奥様に尋ねられた。「なんかお念仏聞こえる。聞こえんか?」三人で息をひそめ、阿弥陀様の方に向かって耳を澄ませる。
風の音であろうか、それともストーブの音であろうか、かすかに高くすんだ声のお念仏のような声が聞こえた気がした。「この本堂はもう二百年以上お念仏がしみ込ませ続けていますから、もしかすると過去無数の方々のお念仏が、柱やら壁やら天井やらからしみだしてるのかもしれないですね。」と慈海が言うと、「あははは!それは間違いない。間違いない!そうかもしれん!」と旦那様たいそう喜ばれた。
無数の方々が、それぞれの人生のなか、それぞれの思いを抱え、それぞれの口から、なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ ……とこの吉崎でお念仏をされてきた。蓮如さんの当時からしみこみ続けたその響きの記憶と、今私の口から聞こえるお念仏の声とが、共鳴するかのようである。そういう意味で言えば、「聖地」という言い方はあまり当流では言わないかもしれないが、やはりまさしくここはお念仏の聖地であったか。少なくとも慈海にとってここは、お念仏の聖地であり、僧侶としての原点の地でもある。
軒を連ねるお隣の大谷派さまの別院では、毎年蓮如上人御忌法要にあわせ、京都のお東のご本山さまから吉崎まで、蓮如上人の御影を御輿に乗せて往復歩いてお運びされている(蓮如上人御影道中)。毎年、この道中を往復全て歩かれていらっしゃるという方がある。中には八十を過ぎてらっしゃる方もいらっしゃるそうだ。六年前、たった片道だけ歩いただけで自身の誇りに思ってしまっていた時もあった。六年前の三月一日、京都のご本山(西本願寺)を出発して、この吉崎に向かった。七日間の旅路であった。片道であるから240キロほどであったか、もっと短い距離だったかもしれない。しかし、毎年八十過ぎて往復500キロほどを踏破されるうえに、十日間の法要も泊りがけでお勤めされるような、そんなバケモノのような方の話を聞くと、なんだか自分が恥ずかしくなる。
数年前、まだ吉崎に住み込みでご奉公することになるなんて夢にも思っていなかったとき、夜中にふと蓮如さんに会いたくなり、実家からこの吉崎別院まで車を走らせたことがあった。境内の前、石階段の下から念力門を見上げると、その門の屋根の向こうに見事な満月が見えた。つい時を忘れ、その念力門と満月の景色をしばらく眺めた。自分自身が慈海なのか、念力門なのか、はたまた月であるのか、眺めている方であるのか眺められている方であるのか、仰いでいる方なのか仰がれている方であるのか、分からなくなるような、不思議なひと時であった。
数限りない方が、お念仏とともにくぐられ、お念仏喜ぶ方々の力によってこの地に運ばれ、今日もまた様々な方のお念仏を聞きながら、念力門はこの地にたたずんでいる。
ああ、いずれこの慈海の口から聞こえるお念仏も、この地の残響となるのであろうか。
なんともったいないことであろうか。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
春の兆し
早朝の鳥の声がまた賑やかになってきました。夜中にネコの唸り声を聞いたり、日中から本堂脇にイタチを見かけたり、夜にはタヌキも喧嘩しながら通り過ぎて行ったり、動物たちもにわかに活気づいてきました。もうすぐ春だなぁ。梅の香りでも探しに行きたくなります。今日はいい天気。
歳を重ねるごとに、冬の寒さのなかで春の兆しに気づくようになってきたのは、季節はめぐることを知ったからでしょうか。
先日、父が急に
「おい、お念仏があってよかったな!」
と声を上げました。
何事かと思ったら、死ぬということがわからなかったけれども、行くところがあるということやなぁと。それはとても幸せなことやなぁと、しみじみ語り始めました。
ありがたいことです。
なんまんだぶ
コンビニ坊主
デイサービスでのご法話お取次ぎ。
雪のため早めに出たら早くつきすぎてしまったので、時間つぶしのため近くのコンビニへ入った。
友人が店長をやっているコンビニで、タイミングよくその友人がカウンターの中にいた。
「おー久し振りだねー!元気だった?」
の挨拶から始まる悪態の応酬。
「この生臭ぼうすめ!」的なイジリを華麗に受け流し時には逆襲しながら、しばし雑談。
「じゃぁそろそろ行くわー」と出たところで「ちょっとちょっと」と呼び戻される。
「彼女がさこの前もらった”大丈夫”をお守りにもっててさ。話してやってよ!」
店長をやっているその友人には、以前「書いてほしい」と言われて『大丈夫』と筆で書いた色紙をプレゼントしていた。
たまたまその時コンビニで同じシフトにはいっていたアルバイトの女性が、同じく『大丈夫』と刺繍されたお守りを身につけていたらしい。
「ぜひその”大丈夫”の意味聞かせてあげてよ」
とのことなので、カウンター越しに少しだけお話をした。
「ね?仏教って面白いでしょ?」
そう語る慈海の言葉に、そのアルバイトの方は、ぽかんとした顔で「へえーーーーーー」と応えられた。
少し”コンビニ坊主”だった頃を思い出しながら、ああ、でも今も同じかもなと嬉しくなって、吹雪の中、デイサービスのご法話に向かった。
いつも思うことだけれども、慈海は自分自身には全く自信というものが持てない。
仏教の話を聴き始めたのも三十半ばからだし、教学といったものも専門的なところでしっかり学んだわけでもない。本を沢山読んでいるわけでもないし、勉強もサボってばかりだ。もともと憶えが悪く、ちょっと読んだり聴いたりしても聴いたことさえもすぐに忘れてしまう。じっくり何かに取り組む性分でもないし、サボり症で、志してもすぐに挫折してきてきた。何かを成し遂げた、大成した、という経験が無いのだ。大学も中退し、仕事も中途半端で都落ちして、僧侶の格好に、そういったどうしようもしなかった自分自身から逃げながら生きている。
慈海は、自分自身にはかけらほどの自信をもてるはずがないのだ。
そんな慈海が語れる話というのは、聞いてきた仏さまの話しかなかった。こんなどうしょうもない慈海が、慈海と名乗るまでにさせしめた話だ。
慈海が、この身で聞いた話だけは、自信を持って話せる。
なぜなら、それは慈海の話ではないからだ。
吹雪の中、吉崎にお参りに来られる方があった。
たまたま雪で濡れた縁側の通路の拭き掃除をしていたので、少し話しかけると、遠い都市圏からいらっしゃったという。
吉崎は観光地でもある。隣町は温泉街だ。
つい、「旅行のついでにいらっしゃったんですか?」と聞くと、「いえ吉崎に来たくて朝電車に乗ったんです」とおっしゃる。
この、吉崎にお参りに来たくて、日帰りのつもりでいらっしゃったという。
「もしお時間があるのでしたら、すこし吉崎と蓮如さんのお話をしましょうか?」と尋ねると、嬉しそうに座ってくださった。
三十分ほどであろうか。ストーブをつけたとはいえ、寒い本堂の中、たくさんの話をした。吉崎と蓮如さんの話。蓮如さんが口やかましくおっしゃった『後生の一大事』の話。すべて、慈海が聞いた話の受け売りだ。しかし、慈海が驚いた話でもある。慈海がよろこんだ話でもある。それは、過去無数の方々が、同じように驚き、喜ばれた話であろう。この慈海を仏にするという話であった。
「こんなご縁にあえるなんて」
とよろこばれて、何度もお互いに合掌しながらお別れした。
こんな出会いが、昨年の四月、この吉崎、蓮如さんのもとに住み込みでご奉仕するようになってから、ある意味「逃げついて」から、幾度と無くあった。
まちなかのコンビニであろうとも、僻地と言われるこの吉崎であろうとも、同じ場所であったかもしれない。同じく、やはり、コンビニ坊主であるのだろうかと、デイサービスの施設でお取り次ぎしながら、ゆっくり、自分の中に聞こえてくださったこれまでの言葉を解き、そしてまた紡いで、始終手を合わせてうなづきながら聞いてくださる人生の大先輩方の前で、この「おみのり(御法り)」を、伴にお聴聞した。
お念仏を勧められるこの「教え」というのは、ああ、ほんとうに、面白いぞ。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ