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聞見会

お念仏の会

口耳四寸記

「獨」

2014年1月5日 by 慈海

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「獨」
犀角獨歩
獨生獨死獨去獨来
なんまんだぶ

平成25年の慈海のテーマは「聞」。
今年平成26年の、慈海のテーマは「獨」。
孤独の「独」。「独り」ということ。ちなみに、↑は気分で旧字で書いた。

【犀角獨歩 (さいかくどっぽ)】
古い経典といわれる『スッタニパータ』の中に、この言葉は出てくる。
『スッタニパータ』とは、釈尊の言葉を、詩編として残されたもの。
”犀角”というのは、つまり、犀(サイ)の角(ツノ)。
“獨歩”というのは、つまり、独り歩めということ。
「犀の角のように、ただ独り歩め」
そのように、40篇にもわたって、繰り返されている。
あえてここでは紹介しないが、興味がある方は、
[ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)]
をご覧になってみると、面白いと思う。

【獨生獨死獨去獨来 (どくしょうどくしどっこどくらい)】
仏説無量寿経巻下の、三毒段といわれる個所にある言葉。
この言葉が出てくるか所を読み下しするならば、下記の通り。

人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。行に当りて苦楽の地に至り趣く。身みづからこれを当くるに、代るものあることなし。善悪変化して、殃福処を異にし、あらかじめ厳しく待ちてまさに独り趣入すべし。遠く他所に到りぬればよく見るものなし。
(仏説無量寿経 巻下 三毒段)

ちなみに、「孤独」という言葉。
手元の漢和辞典(新字源)によると、
「孤」は、みなしご(孤児)の意味らしい。
「独(獨)」は、身寄りがないという意味らしい。

浄土真宗は、在家仏教といわれる。
”世間愛欲”の中にあるこの身を悲嘆しつつ、仏の方に心の向きを定められないこの身を慙愧しつつ、それでも、いや、だからこそ、この身にはたらく如来の大悲に縋り、報ずることも、謝することも知らない愚かさに、智慧の光が照らされているということを、なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ との、このお念仏に、聞かされ、生死を超えていく道ではなかったか。

御開山聖人の、悲嘆述懐和讃を、寂しいくて暗いという人もいるけれど、
本当の独りになれるということは、そこに、光が照らしているからであろう。
あれは、とても明るい和讃だと、慈海は聞いた。

「獨(独)」ということばは、何とも、寂しくて、明るい言葉であろうか。
そのことを、この一年、じっくりと、深められるようにしたい。

そんな思いで、今年の書初めは、「獨」と書いた。

なんまんだぶ

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: スッタニバータ, 仏説無量寿経, 書, 書初め, 犀角独歩, 言葉

モノ・コト

2014年1月5日 by 慈海

モノコト

「物事(ものごと)」は、「物(モノ)」と「事(コト)」

「物(モノ)」は、手に取って、もしくは手に触れて、あるいは、目に見えて、それを知ることができる。
「事(コト)」は、手に取ることも、触れることも、目に見えて知ることは無いけれども、確かにあった。

それら二つを合わせて、「物事」と表現するこの言葉を最初に使った方のセンスには脱帽だ。
やっぱり言葉って面白い。

生きるというのは、この「物(モノ)」と「事(コト)」にさらされ続けるということだ。
色んな物事の中に、慈海はいる。

そしてまた、それら「物(モノ)」と「事(コト)」によって、慈海はつくられる。

いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。ここをもつて、耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。まことに知んぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり。
(顕浄土真実教行証文類 行文類)

元照律師の釈七文を、ご開山は引文された箇所。

「名をもつて物を接したまふ」
なんまんだぶ という、名を持って、この慈海というモノを、摂取されるという。
まぁ、ここで仰る物というのは、「者」という意味であろうが。

しかしこれは、事件だ。
大事件である。

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: 元照律師, 書, 言葉, 顕浄土真実教行証文類

阿呆堕落偈(あほだらけ)

2014年1月2日 by 慈海

阿呆

 

《あ》 阿呆になりたや、底抜け阿呆に、阿呆になれたら楽だろな。阿呆になられん阿呆がここに居る。
*阿呆堕落偈(あほだらけ)前川 五郎松 著

世間には、「賢くなる」勉強があふれている。
「賢くなる」というのは、「言葉」を知っていくことであろう。
より多くの言葉を知り、その言葉の使い方を身に着け、言葉を自在に使いこなせるようになることが、「賢くなる」ということだ。

「言葉」は単なるコミュニケーションの道具だけではない。
意思疎通する際にのみ、この「言葉」が必要なのではない。

人は、モノ・コトを考えるとき、自分の頭の中でも「言葉」を羅列させる。
逆に言えば、「言葉」があるからこそ、人はモノ・コトを考えることができる。
考えるということは、その対象となるモノ・コトを認知するということでもあるだろう。

より多くの「言葉」を知り、その「言葉」の意味を知り、その「言葉」の使い方を身に着け、それをコミュニケーションはもとより、自己の思考を深めることが、世間では「賢くなる」ということではないだろうか。

しかし、この「言葉」という道具を使っているつもりが、逆にこの「言葉」に使われてしまっているということがある。

人は、知性を手に入れた。
それは、この「知性」に支配されたということかもしれない。

『この世には、阿呆になる勉強があるのかもしれんなぁ』
そう、慈海は聞いた。

賢くなる勉強はあまたあふれている。
賢くなることは、強くなることかもしれない。
賢くなることは、生き抜く術かもしれない。

しかし、「賢くなる」ことにかまけて、この「言葉」にならない「思い」を、置いてけぼりにしてしまうことは無いだろうか。

『賢くなる勉強はようけあるけどなぁ、阿呆になる勉強ほど、難しいことは無いかもしれんなぁ』
『お前はな、小阿呆になるなよ。どうせ阿呆になるんなら、大阿呆にならんとなぁ』

阿呆を装うことも、また「賢さ」である。

本物の阿呆になる道は、険しい。

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: 前川五郎松, 書, 言葉, 阿呆堕落偈

海までの道を歩いたロードストーリー的な思い出話

2013年10月22日 by 慈海

江戸中期、臨済宗に白隠禅師という方がいらっしゃいました。
白隠禅師は幼い頃に教えられた地獄の噺に怯えながら、地獄の恐ろしさから逃れるために、仏門に入られた方だったそうです。
そして、地獄とは、自分の周りにある状況でも、おとぎ話の世界の話でもなく、自分の心のなかにこそあるのだと、さとられたそうです。

この白隠禅師のお話を聴いたとき、ふと若かったころに無茶をしたことを思い出します。
ここからお話しするのは、慈海が慈海になるずっと前、そんな、ある親友とちょっと無茶をした時のお話です。

親友、彼の名前は、仮にヨタロウということにします。
ヨタロウは、ちょっと変わったヤツでした。
よく言えば、自分の世界をしっかりと持った、独創性豊かな性格の持ち主ですが、悪く言えば、自分勝手で頑固なやつでした。
彼とは中学校時代からの友人で、なぜか私とウマが合い、気がつくと、いつもつるんで悪さをしたり、悪さをしたり、大人になっても一緒に悪さをしたりしてばかりいました。

あるとき、中学時代担任だった先生が、教師をやめてサーフショップを始めたのがきっかけで、ヨタロウと私はサーフィンをはじめました。
毎週のように二人で海に行って、波乗りの楽しさ、テクニックについて分析したり、アドバイスしあったり、そして自然と遊ぶことの精神性的なことを語り合ったり、自分の将来の夢とか語ってみたり、そういう時期がしばらく続きました。

しかし、ある出来事をきっかけに、私の事情が大きく変わって行きました。

その事情というのはお金の問題でした。
仕事に行くための電車賃にさえ困る、その日暮らしのような毎日。
お金がないので大切にしていたサーフボードも売らければいけなくなり、サーフィンどころか、たまに友人と会って酒を飲むことも、ヨタロウとは別の大親友の結婚式に招待されても、着ていく服がなくて行けないような、そんな日々を過ごしていました。

そんな折、しばらく連絡を取り合っていなかったヨタロウから電話がかかってきて、その日の夜に久々に会うことになりました。
その時住んでいたところの近くのファミレスで、世間話やら、最近の話やらしているうちに、だんだん私の愚痴っぽい話になっていきました。

私 「海行きてーなー……。見るだけでもいいから海に行きたい。でも、電車賃もない状態だし……」

するとヨタロウは、

ヨタ 「よし、じゃぁ今から鵠沼(江の島近くの海岸)行くか」
私 「え、でもオレ金少ないし……」
ヨタ 「歩いていけばいいじゃん」
私 「は? ここからどんだけ距離あると思ってんだよ。それに道もわからないし、明日おまえは朝からバイトって言ってたじゃん。」
ヨタ 「一晩歩けば行けるって。道なんてたぶん246沿いに歩けば着くんじゃね?最悪誰かに聞けばいい。」

その時にいたのは、東京の下北沢でした。そこから目的地の鵠沼までは、直線距離でも50kmくらいあったと思います。
実際に歩く距離はもっとあるでしょう。
今と違ってスマートフォンなんてない時代です。
道も知らないまま一晩で歩けるような距離ではないです。
さらに、その時は二人とも国道246線沿いにいっても海までは行けないことは、知りませんでした。
つまり、彼が言っていたのはあてずっぽだったんです。
ちゃんとした道も知らないなんて、自殺行為に近いかもしれません。

でも、彼がこういう風に決めた時は、何を言っても効果がありません。
私は、危険を感じたらすぐにあきらめることを条件に、しぶしぶその話に乗ることにしました。
内心、道もわからないし、1時間くらい歩けばすぐにギブアップとなるんじゃないかと思っていたこともあります。

しぶしぶながら「じゃぁ行くか」と返事をしたものの、やっぱりグダグダ言っている私に、ヨタは 「だーいじょうぶだって。なんとかなるって!」と繰り返しながら、渋る私を半分引きずるようにして、歩き出しました。

歩き始めて10分後、まず第一の関門に気付きました。
246に出るにはどうすればよいかわからない……
たまたま信号待ちしていたタクシーを捕まえて、246に出るまでの方法を教えてもらいました。
(今思うと、その時鵠沼までの行き方を聞いておけばよかったのですが、若い私たちはバカでした。)

1時間後、ちょっと足が痛くなってきましたが、意外と歩けるもんだなぁと、ちょっとテンションが上がってきました。

思い出話とか、どうやったら女の子にモテるのかとか、ここでは書けないような下品な話とか、かと思えば、戦争の話とか、将来の話とか、真面目なことを語り合っているうちに、どんどん道沿いのビルが少なくなり、4時間ほど歩いた頃には、山の中の道を歩いていました。
道を走る車は、トラックとか、トレーラーばかりになり、そのうち雨も降り出す始末。

ここらで一回休憩するかと、ヨタロウと私は、とうに閉店時間が過ぎている真っ暗な喫茶店の駐車場で、缶ジュースを飲みながら休憩することにしました。

その時、彼が私に言ったセリフを忘れることはできません。

ヨタ 「できないことばっかり考えるよりもさ、できること考えてた方が楽しくね?」

私は、その時、彼がなぜ急に海まで歩こうと言い出したのかが、やっとわかりました。
正直なところ、その時までは、いつもの気まぐれで言い出しただけで、遊び半分で言い出したことだとばかり思っていました。
私は、彼の気まぐれに付き合ってやってる、とさえ思っていました。

「あれができない。」
「これは無理。」
「これをしたいけど状況的に難しい。」

その頃、人生で一番最初の大きな壁、どう考えても越えること何て絶対に無理と思えるような、蟻地獄のような状況に陥ってしまっていた私は、周りの状況や、”現実”という思い込みにとらわれて、やりたいことを押し殺して、できないことばかりを並べては、不幸だ不幸だと自分に言い聞かせていました。

ヨタロウのその一言に、私はなんて返事をしたのか覚えていません。
たぶん、私はそのあとしばらく無言だったんじゃないかと思います。
彼もそのあと何も言わなかったような気がします。
じっと私が考えているのを、黙って知らん顔をしてたような気がします。

しばらく休むと、「時間もないし、行くか!」と、ヨタロウが声を上げると、二人で気合いを入れ直し、皮がめくれ始めてきた足の痛みも忘れて、また歩き出しました。

その後、何を話したのかはあまり覚えていません。
またくだらない話をしていたのか、それとも何もしゃべらなかったのか……。

歩き始めて7時間後、だんだん明るくなってきました。
時計を見ると朝の5時半。
その頃はもう小雨でしたが、雨の中を長距離歩いてきたこともあって、二人ともくたくたになっていました。

ヨタ 「この辺が限界かな」
私 「いや、まだいける」
ヨタ 「バイトあるし、一回帰らないと。それにお前、足もう限界だろ」
私 「そか……」
ヨタ 「まぁ、無理はイカンよ」

誘ったのはお前のほうなのに、この期に及んでそんなことを言うかと、二人で爆笑しましたが、確かに無理はいけないなと、海までの道を行くのは諦めて、近くの駅を探すことになりました。

しばらく歩くと小田急線の線路が見えてきました。
今思うと、奇跡的だと思います。よく簡単に見つかったもんだ。

線路沿いに歩いて、駅にたどり着き、当然のように新宿行き(下北沢方面)の切符を買おうと思ったときです。

ヨタ 「あとは、電車で行けばいいよ。悔しいかもだけど、電車に乗ってでもいいから、海見るだけ見て帰れば?」

といって、彼は千円札を私に押しつけました。
私の持っている小銭が、帰りの電車賃でギリギリだというのが分かっていたのかもしれません。

ヨタ 「俺もお前も、今日のことは自慢できるな。ここまで歩けた、というのは間違いない事実だ。おれも自信ついたわ。」

そう言って、最後に「風邪ひくなよ」とだけ言って、彼だけ新宿行きの電車に乗っていきました。

私は、鵠沼方面へ行く反対側の電車に乗り、1年近くぶりに海を見ました。
もやがかかって、ぼんやりとした景色でしたが、あの時見た海の色は、とてもやさしかったのを覚えています。

この時から、もうすでに十数年経ちました。
いまだに私は、できないことばかりを数えて、無理だ無理だと言い訳を並べてばかりいます。
情けないなぁと、本当に自分を信じられなくなったりすることもありますが、このときのことをふと思い出すと、また選択する自由があること、試してない道があることを、思いだすことができます。

「無理」というのは、状況や現実ではなくて、
自分が自分で作りあげた、思い込みなのかもしれません。
もしくは、自分が「無理」と思いたいだけなのかもしれません。

実は、ヨタロウは、数年前に音信不通になり、今では連絡が取れなくなっています。

でも、彼は今でも独自な世界をしっかりと守って、彼なりに悩んだり、迷ったりしながら楽しく生きてるんじゃないかなぁと思います。
きっと本当に困った時は、今度は彼から私に連絡をしてくるでしょう。

冒頭にお話しした、白隠禅師は「南無地獄大菩薩」と唱え、地獄こそが私に仏法を聞かせてくれたと喜び、いくつもの書を残されていきました。

地獄は自分の外にあるのではなく、自分の中にこそあるのでしょう。
満たされない思い、迷い、執着といった、心のなかの澱みが、自分で自分の中に地獄を作るのかもしれません。
しかし、その地獄こそが、私の心の中にある「苦」の材料を、そのまま見せてくれているのかもしれません。
私の中の地獄を、そのまま、ありのままに観ることができたとき、それこそが、実は仏の境地なのかもしれません。

南無地獄大菩薩
南無阿弥陀仏

合掌

※別のブログに数年前書いた記事を一部編集して転載しました。

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: ロードストーリー, 下北沢, 南無地獄大菩薩, 地獄, 海, 白隠禅師, 親友, 鵠沼

「口耳四寸」

2013年10月9日 by 慈海

「口耳四寸(こうじしすん)の学(がく)」という言葉がある。デジタル大辞泉によれば

《「荀子」勧学から。口と耳との間でする学問の意》聞いたことをそのまま人に伝えるだけの、身につかない学問。受け売りの学問。

ということらしい。(コトバンク>「口耳四寸の学」より)

上記の通り、耳に入ってきた言葉を、全く自分というフィルターを通さず、疑問や考えなしに耳から四寸下の口からそのままアウトプットすることを言うようだ。一般的にはあまり良い意味では使われない。

ところで、仏教の経典の殆どは「如是我聞(にょぜがもん)」 もしくは「我聞如是(がもんにょぜ)」という言葉から始まる。
これは、仏教の経典というのは釈尊の著作ではなく、釈尊が涅槃に入った後、釈尊のお弟子さんである阿難尊者(あなんそんじゃ)が「私はこのように(お釈迦様のお話を)聞きました」と書き残したためという。いわば、仏教の経典に書かれていることは、口耳四寸の教えであろう。もし、佛の言に、聞いた人の領解の言葉が含まれてしまったり、もしくはその領解にあわせて言葉が抜き取られてしまっていたら、それは仏語では無い。禅宗では教えを師から弟子に受け継いでいくことを、コップに注がれた水をそのまま空のコップに注いでいくように、教えを伝えていくらしい。仏教は聞いた教えをそのまま伝えていく。まさに口耳四寸の学であるからこそ、ありがたいのかもしれない。

とはいえ、親鸞聖人の教行証文類を開くと、引文してきた漢文を(おそらくあえて)読み変えされていて「よくこんな読み変え出来るなぁ。」と、オソロシイ引文の仕方をされていたりするのであるが、これは言葉そのものではなく、言葉の表しているところをみているからこそできることなのかもしれない。また、大乗非仏説とかいうことを主張されてる方もいるが、そのへんのことについては、別の機会にまとめよう。

ここ数日ブログをどうしようかといろいろ考えていた。自分の学んだこと、聞いた話を受けて、それに自分の領解や味わいを付加し、面白く、わかりやすく、お念仏の教えをシェアしたい、と思いながらも、いざ文章を書き始めると、言葉の壁の前にウロウロとして結局放り出してしまう。(事実下書きにたくさん書きかけの記事があるけど、とても公開できるほどの記事になってない)

師には常日頃「言葉を超えたところの話を、あえて言葉にして伝えてくださっている教えだからこそ、お念仏の教えというのは、言葉に厳しくなければいかん。」と示していただいている。だからこそ、いざ聞いた話を元に記事を書こうとしても、自分の言語能力に疑問を感じ、言葉を発することが怖くなってしまう。言葉はオソロシイ。

であれば「如是我聞」私も同じように、聞いた話をそのまま受け売りでシェアするしか無いなと、ブログのタイトルを「口耳四寸記(こうじしすんき)」として、言葉を残していくことにした。実は、この口耳四寸の学というのは、これはこれで難しい。聞いた話を聞いたままに伝えていくことは、自分の意見を廃し、自分の余計な領解がふくまれることで、正しく言葉が伝わらないことがあるかもしれないからだ。自己の承認欲求が先に立つと、この口耳四寸の学というのは難しい。もともと他人の言を自分の言葉のように受け売りすることも承認欲求のはけ口的なことかもしれないが、本当の受け売りというのは、承認欲求を廃したところにあるのかもしれない。

さて、この「口耳四寸」という言葉、お念仏にも深く関係がある。
法然聖人のご消息や問答をまとめた「拾遺黒谷語灯録」というのがあるがその中に、
「(お念仏の声は)我が耳に聞こゆる程に」と言う言葉がある。(参照)*
お念仏のする時の声は、大きければいいのか、それとも小さいほうがいいのか?と、慈海にもたまに質問される時があるが、この法然聖人の言葉を受けて、慈海は「お念仏は仏さまの呼び声。その呼び声が自分の耳に聞こえるほどで良いのでは」とお話している。
我が口から飛び出て来なさった仏さまが、四寸上の我が耳に届くほどに、お念仏されればよろしいのでしょう。

「口耳四寸」私の耳に入ってきた仏の教えが、私の口からそのまま出ていくように。
そして、私の口から出てきた佛が、そのまま私の耳に届く程に。

合掌 なんまんだぶ

*「拾遺黒谷語灯録」下記箇所について詳細別記事で後日更に深める予定

三業とは、身と口と意とを申候也。しかも仏の本願の称名なるかゆへに、声を本体とはおほしめすへきにて候。さてわかみみにきこゆる程に申候は、高声念仏のうちにて候なり。高声は大仏をおかみ、念ずるは仏のかずへ[40]もなど申げに候。いつれも往生の業にて候へく候。

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: お釈迦様, 三業, 仏教, 拾遺黒谷語灯録, 法然聖人, 経典, 荀子, 親鸞聖人, 言葉, 顕浄土真実教行証文類

宗教は沈黙であってほしい。~「沈黙を聞く」というということ~

2013年10月9日 by 慈海

今は福井の片田舎で、一人でぶらぶらしている私ですが、2010年の夏までは東京でインターネット関係の仕事をしていました。

多くの会社を転々としていましたが、ある一時期務めていた会社の近くに、自由に出入できるキリスト教の教会がありました。
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カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: 宗教, 慈海, 築地本願寺
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