月に一度、聞見会主催の仏教勉強会を、福井駅前の「スペースおいち」さんをお借りして開催している。
先月から、新しいカリキュラム「書いて・聴いて・味わう仏教講座」というのを始めた。
正信念仏偈を毎回少しづつ書いていって、それを音読し、そして味わってみようという試みだ。
仏教講座ということで、少し敷居が高いかなと思われるかも知れないが、仏語に触れて、仏語という「言葉」が開いていく世界を、一緒に味わってみようという思いで始めてみた。
そして、先月末の第1回目は、まずは「言葉」を書いて、聞いて、味わうということを、オリエンテーション的にやってみようということで、参加者の方にご自身の名前を書いていただき、そしてそれを各自自分で読み上げ、感じたことをみんなで話し合ってみた。
思いつきでやってみたことではあるが、これがなかなか面白かった。
自分の名前を、丁寧にじっくりと大きく紙に筆で書く、なんていうことは、めったにないことだ。
さらに、その自分の名前を、改まって声に出して読むということをしたことがある人は、あまりいないのではないだろうか。
名前と言うのは、「言葉」である。
自分と認識している存在に与えられた「言葉」である。
紛れも無く、その「言葉」は、自分自身を指し示しているのであって、自分自身もそのことを自覚しないままに、その「言葉」を受け入れている。
その「言葉」の背景に広がっているものというのがある。
その「言葉」は、「言葉」を超えたものを、「言葉」として具現している。
よくよく考えてみると、実は、自分自身でさえも、自分の名前という「言葉」の持つ働きについて、あまり知っていないのかもしれない。
とても新鮮な経験であった。
「人から名前を呼ばれると、嬉しい」
と、参加者のお一方がおっしゃった。
名前を呼ばれると、嬉しいというのは、どこからくる喜びだろう。
「お念仏は呼び声やぞ」と聞いた。
仏の名を呼ぶ声で、喜ぶのは、私だろうか、仏だろうか。
きっと、師にたずねれば、
「問いが間違っとる。おんなじことやろ。」
と言われそうだ。わからんけど。
明日12月9日の19時から、先月やったこの講座と同じことを、再度開催することになった。
告知後、早速女性の方からも参加の申し出があった。
たくさんの方に来てもらいたい、そして、一緒に「言葉」のひらく世界というのを、一緒に語ってみたいという思いがある。
ぜひ多くの方が来てくださったらと、楽しみだ。
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