それでも、そのままに照らされていると聞かされることは

おあさじの時に、お荘厳がまぶしく輝くときがあります。

太陽の角度とお天気の影響でしょうが、それでもなんとも美しくて、かたじけなくもったいない気持ちになります。

昨日は衣替えでした。

季節が変わり気温が変わると着ている装いを変えていかなければなりません。春が来れば春服に、夏が来れば夏服に、秋が来れば秋服に、冬が来れば冬服に。

環境に合わせて装いを変えるのは、着ているものだけじゃありません。TPOとかいいますけど、状況に合わせて世間に合わせて、私というものはその都度言葉やふるまいといった装いを変えていかざるを得ないものです。

周りの目を見て、空気を読んで、その時その状況に合わせて生きているのが私です。

あ、ちなみに、周りに流されない自分というのも、周りに流されない自分っていうのがカッコいいという世間の風潮に合わせた姿っすからね。

そんな私自身が、「本当の私」とかいう幻想に追い回されてふらふらしたままに、照らされている世界があります。

それは、聞いた話でしょうか。聞かされた話でしょうか。

それでも、そのままに照らされていると聞かされることは、なんともかたじけなくてもったいない気持ちになります。

なんまんだぶ