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聞見会

お念仏の会

作者別: 慈海

非日常という日常

2013年10月20日 by 慈海

まだ私が小学生だった頃、おばば様に「いい子や」といわれるのがうれしくて、毎晩のおつとめの時、おばば様の隣で、お念仏の真似事をしていました。

お仏壇の前におばば様と並んで座り、おばば様の持つ手垢で縁が黒ずんだ聖典を、一生懸命覗き込んで、足がしびれるのをじっと我慢して、「いい子や」といってもらうために、おばばさんの口真似をしていました。

そんな私も、物心がつき始めると、おつとめよりもテレビや友達と夜更けまで遊んでる方が楽しくて、だんだんとほとけさんから遠くなっていきました。

あれから20年近くたつでしょうか。

今年に入って、ふと、そんな子供の頃を思い出し、お念仏について興味を持ちました。
「南無阿弥陀仏ってどういう意味なんだろう?」

単に雑学を仕入れる程度の興味だったかもしれません。
便利なもので、ネットで調べると色々と情報が載っています。

“南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ、南無阿弥陀佛、南無阿彌陀佛)とは、「南無」はnamo (sanskrit) の音写語で「わたくしは帰依します」と意味し、「阿弥陀仏」は、そのサンスクリット語の「無量の寿命の大仏 (amitaayus)」「無量の光明の仏 (amitaabha)」の「はかることのできない」という部分のamita (sanskrit) を略出したものである。”
(出展:wikipedia)

あちこちのサイトや情報を見ては、「へー」と言葉の上でわかったつもりになって、知ったつもりになって、雑学的に興味を持っていきました。

でも、調べるほどによくわからなくなる。

「なんでお念仏を唱えるのか?」
「お念仏を唱えると、何かいいことがあるのか?」

「不思議な呪文なのか?それとも自己暗示なのか?」

「結局、ほとけさんは今のこの私を助けてはくれん。
お金がなくて苦しくても、天からお金を降らしてくれるわけでもない。
飢餓で苦しんでいる人に米を与えてくれるわけでもない。
なによりも、今の自殺者の多いこと。
何でほとけさんはそんな生きる苦しみから救ってくれんのか。
お念仏といっても弱者の逃げ口上じゃないのか?
結局、お念仏を唱えたからってなんなんだ?」

そんな疑問と自己満足で独りよがりな自問自答を繰り返し、哲学ごっこ遊びをしていた時、おばば様が亡くなりました。

葬式のために実家に帰る新幹線の中で、今までのおばば様の人生を思いました。

苦労や、悲しみや、悔しさや、腹立たしさが多くあったであろうおばば様の一生。
そんな一生で、おばば様は幸せだったんだろうか。
孫どころか息子までも東京に行ってしまい、恨んで死んでいったんじゃないだろうか。
寂しい思いで、独り死んでいったんじゃないだろうか。

『なまんだぶつ なまんだぶつ あんがたい』

毎日朝晩おつとめを欠かさず、ことあるごとにそうお念仏されていたおばば様でした。
お寺さんにもよく通い、本当に南無阿弥陀仏と一緒に生きてきたようなおばば様でした。

そんなおばば様なのに、ほとけさんは何をしてくれたのか。
信心深く、お念仏をほんとに百万遍、億万遍唱えてきたおばば様なのに、最後は息子にも孫にもなかなか会えず、寂しい思いをして行ってしまわれた。

「お念仏を唱えたって、幸せに死ねるわけではないではないか。」

そんなことを思いながら、新幹線の外の風景がだんだん雪景色になっていくのを見つめていました。

ふるさとは大雪でした。
実家についた頃には夜も更け、激しくも静かに舞う雪が、実家の玄関を彼岸の入り口のように感じさせました。

最近はめったに寄り付かなくなってしまった実家でしたが、それでも、玄関の前に立つと、いつも強烈に「帰ってきた」という実感がこみ上げてくるものでした。
でも、その時はなぜか、実家に帰った実感がわかず、玄関の前で数分立ち尽くしてしまいました。

おばば様はいつも、私が帰るのを心待ちにしていたそうです。
そんな気持ちをわかっていながら、日々の忙しさにかまけ、いや、言い訳にして、ここ数年ほとんど帰って来なかった自分。

そんな不孝者の私でも、たまに帰ると抱き合って、涙を流して迎えてくれるおばば様でした。

「カタかったか(元気だったか)?」
-うん、カタかったよ。おばばさんこそカタかったか?

「おなか減ってないか?」
-うん、さっき駅で食べてきた。けど、おばばちゃんのあの菜っ葉の炊いたの食べたい。

「雪ひどかったやろ、はよ仏さんに手合わせて、ストーブにあたりね(暖まりなさいね)。」
-うん、うん、うん……

玄関を開けても、そんないつものやり取りは、もうありません。

むせ返るようなお香の香り。
母が何か言いながら出てきます。
雪を払い、仏間の方に向かいます。
ストーブの上でやかんの蓋がカチカチとなっています。
やつれた父の顔、
「おう」といいながら顔を上げる兄の顔、
懐かしい親戚の顔。
お仏壇の前、仏間の真ん中に、横たわるおばば様。

泣いてしまうだろうか、と思っていました。
でも、不思議と、冷静にその情景を眺めていました。
おばば様は死んだのだろうか?
そう思ってしまうくらい、死が現実的ではありませんでした。
ただ、おばば様の顔にかけられた白い布が、
「死んでいる」ということを静かに表現していました。

死は、「別れ」でしかないと思っていました。
しかし、死は「縁」の一端なのかもしれないと思いました。

おばば様の肉体が、福井の実家で過ごす最後の晩、死はまだ出来事でしかありませんでした。
そこに、亡くなったおばば様が、保冷剤に包まれて、着物を着て、布団を掛けられて、横たわっています。
父と母は、葬式に呼ぶ人のリストを作るために、古ぼけた年賀状やら台帳やらをひっくり返して叫んでいます。
兄は、香炉の前で、燃え尽きそうな線香を変えるタイミングをぼうっと待っています。
姪は、非日常が楽しいのか、でも不謹慎というのは分かっているのか、暇を持て余して、誰かかれかにまとわりつき、居場所がないのが分かると、寝てしまいました。

私は、そんな景色を、絵を描く時のように、何も考えず見つめている。

そこには、非日常という日常があるだけでした。
死は、出来事でしかないと、ぼんやりと考えていました。
仏教っていうのは、その日常を非日常として再認識させてくれるためにあるのかもしれない、とぼんやりと思っていました。

「線香は、その場の空気が日常であってはいけない、と嗅覚に訴えているのかもしれない。
燈明は、その場の風景が日常であってはいけないと、視覚に訴えているのかもしれない。
そして念仏は……、念仏というのは、聴覚にそれを訴えるのだろうか。
すべては思い込みであって、錯覚でしかなくて、暗示であって、納得するための術(すべ)なのかもしれない。」

事実、おばば様はそこに、躯として、あります。
毎日念仏を欠かさず、事あるごとに「なまんだぶつ なまんだぶつ あんがたい」と口ずさんでいたおばば様の人生が、終わった今、そこに何が残っているのでしょうか。

死は、出来事でしかない。
それが事実なんだろうと、頭が痺れたように思っていました。

(つづく)

カテゴリー: おつとめ タグ: おつとめ, おばば様, 仏教, 南無阿弥陀仏, 宗教, 念仏, 慈海, 死, 葬式

今だから読んでもらいたい「念力門」の話(プロローグ)

2013年10月15日 by 慈海

福井県と石川県の県境に、吉崎御坊跡という史跡があります。
ここは、浄土真宗中興の祖と言われる、蓮如上人(本願寺第八世法主)という方が、北陸における布教の拠点として建立した坊舎でした。

吉崎山の山頂にあるこの史跡のふもとに、浄土真宗本願寺派(お西)の別院と、真宗大谷派(お東)の別院があります。
そして、この本願寺派(お西)の別院にある山門を、「念力門(ねんりきもん)」と呼びます。

この「念力門」は、もともと京都にある本願寺の「北乃総門」、通称「天狗門(てんぐもん)」という門でした。それがなぜ、60里以上(約250キロ)も離れた、越前の国の山奥にひっそりと建っているのか。

そして、なぜ「念力門」と呼ばれるようになったのか。
それには、心震えるドラマがありました。
2011年3月、関東で大きな地震がありました。
この地震、そしてその地震による大津波によって、多くの方が家を失い、家族を失い、命を落とされました。
原発の問題も深刻です。2年以上経った今でも、家に帰ることのできない方がいらっしゃいます。
いまだに復興が叫ばれ、あの時の記憶はまだ生々しいものがあります。

或る時、京都に住む友人に、この「念力門」の話をしました。
すると、その友人は

「その話は、今したほうがいい。」

と、慈海の目を見て、力強く言ってくれました。
その言葉を受け、この「念力門」の話をもう一度調べ、こうしてネット上に公開しようと思い立ちました。

これからお話しするのは、念仏の力によって、京都本願寺から、福井県の山奥にある吉崎の地に運ばれた、「念力門」のお話です。
それは、今から60数年前に実際にあったお話です。

以前、別のブログに書いたこのお話を、再構成しなおし、あらためてここに連載していく予定です。
再構成するにあたって、聞見会会員である河久保道場水上さんのご協力がありました。
貴重な資料などをデジタル化された御苦労は、大変なものだったと思います。
改めてここでお礼を申し上げます。

さて、本編は後日徐々に公開していきます。
どうぞご期待ください。

合掌
なもあみだぶ

カテゴリー: 念力門 タグ: 京都, 吉崎, 吉崎御坊, 天狗門, 念力門, 本願寺, 水上さん, 河久保道場, 石川県, 福井県, 蓮如上人

聞見会のFacebookグループあります

2013年10月11日 by 慈海

コミュニティ的なやり取りは、やっぱりSNSのほうが便利ですよね。
情報の共有、意見のやり取り、協力申請、などなどコミュニティ的なやり取りをしやすいように、Facebookに聞見会のグループを作りました。
よろしければ、ご活用くださいませ。

 

聞見会Facebookグループ

 
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カテゴリー: お知らせ

10月2日にまちづくり福井さんの「まちゼミ」に出講しました

2013年10月10日 by 慈海

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第三セクターまちづくり福井さんが企画した、”福井市の中心市街地にある店の店主らが講師となり、プロの技を教える「まちなか店舗体験ゼミナール(まちゼミ)」” というイベントが、先日9月28日から10月4日まで開催されました。 [続きを読む]

カテゴリー: お知らせ タグ: まちゼミ, スペースおいち, 仏教どうでしょう?, 仏教を学ぼう, 勉強会, 宗教, 福井

聞見会新聞【第2号】

2013年10月9日 by 慈海

聞見会新聞第二号 [続きを読む]

カテゴリー: 聞見会新聞 タグ: コンビニ坊主, 慈海, 法話, 聞見会新聞, 言葉

「口耳四寸」

2013年10月9日 by 慈海

「口耳四寸(こうじしすん)の学(がく)」という言葉がある。デジタル大辞泉によれば

《「荀子」勧学から。口と耳との間でする学問の意》聞いたことをそのまま人に伝えるだけの、身につかない学問。受け売りの学問。

ということらしい。(コトバンク>「口耳四寸の学」より)

上記の通り、耳に入ってきた言葉を、全く自分というフィルターを通さず、疑問や考えなしに耳から四寸下の口からそのままアウトプットすることを言うようだ。一般的にはあまり良い意味では使われない。

ところで、仏教の経典の殆どは「如是我聞(にょぜがもん)」 もしくは「我聞如是(がもんにょぜ)」という言葉から始まる。
これは、仏教の経典というのは釈尊の著作ではなく、釈尊が涅槃に入った後、釈尊のお弟子さんである阿難尊者(あなんそんじゃ)が「私はこのように(お釈迦様のお話を)聞きました」と書き残したためという。いわば、仏教の経典に書かれていることは、口耳四寸の教えであろう。もし、佛の言に、聞いた人の領解の言葉が含まれてしまったり、もしくはその領解にあわせて言葉が抜き取られてしまっていたら、それは仏語では無い。禅宗では教えを師から弟子に受け継いでいくことを、コップに注がれた水をそのまま空のコップに注いでいくように、教えを伝えていくらしい。仏教は聞いた教えをそのまま伝えていく。まさに口耳四寸の学であるからこそ、ありがたいのかもしれない。

とはいえ、親鸞聖人の教行証文類を開くと、引文してきた漢文を(おそらくあえて)読み変えされていて「よくこんな読み変え出来るなぁ。」と、オソロシイ引文の仕方をされていたりするのであるが、これは言葉そのものではなく、言葉の表しているところをみているからこそできることなのかもしれない。また、大乗非仏説とかいうことを主張されてる方もいるが、そのへんのことについては、別の機会にまとめよう。

ここ数日ブログをどうしようかといろいろ考えていた。自分の学んだこと、聞いた話を受けて、それに自分の領解や味わいを付加し、面白く、わかりやすく、お念仏の教えをシェアしたい、と思いながらも、いざ文章を書き始めると、言葉の壁の前にウロウロとして結局放り出してしまう。(事実下書きにたくさん書きかけの記事があるけど、とても公開できるほどの記事になってない)

師には常日頃「言葉を超えたところの話を、あえて言葉にして伝えてくださっている教えだからこそ、お念仏の教えというのは、言葉に厳しくなければいかん。」と示していただいている。だからこそ、いざ聞いた話を元に記事を書こうとしても、自分の言語能力に疑問を感じ、言葉を発することが怖くなってしまう。言葉はオソロシイ。

であれば「如是我聞」私も同じように、聞いた話をそのまま受け売りでシェアするしか無いなと、ブログのタイトルを「口耳四寸記(こうじしすんき)」として、言葉を残していくことにした。実は、この口耳四寸の学というのは、これはこれで難しい。聞いた話を聞いたままに伝えていくことは、自分の意見を廃し、自分の余計な領解がふくまれることで、正しく言葉が伝わらないことがあるかもしれないからだ。自己の承認欲求が先に立つと、この口耳四寸の学というのは難しい。もともと他人の言を自分の言葉のように受け売りすることも承認欲求のはけ口的なことかもしれないが、本当の受け売りというのは、承認欲求を廃したところにあるのかもしれない。

さて、この「口耳四寸」という言葉、お念仏にも深く関係がある。
法然聖人のご消息や問答をまとめた「拾遺黒谷語灯録」というのがあるがその中に、
「(お念仏の声は)我が耳に聞こゆる程に」と言う言葉がある。(参照)*
お念仏のする時の声は、大きければいいのか、それとも小さいほうがいいのか?と、慈海にもたまに質問される時があるが、この法然聖人の言葉を受けて、慈海は「お念仏は仏さまの呼び声。その呼び声が自分の耳に聞こえるほどで良いのでは」とお話している。
我が口から飛び出て来なさった仏さまが、四寸上の我が耳に届くほどに、お念仏されればよろしいのでしょう。

「口耳四寸」私の耳に入ってきた仏の教えが、私の口からそのまま出ていくように。
そして、私の口から出てきた佛が、そのまま私の耳に届く程に。

合掌 なんまんだぶ

*「拾遺黒谷語灯録」下記箇所について詳細別記事で後日更に深める予定

三業とは、身と口と意とを申候也。しかも仏の本願の称名なるかゆへに、声を本体とはおほしめすへきにて候。さてわかみみにきこゆる程に申候は、高声念仏のうちにて候なり。高声は大仏をおかみ、念ずるは仏のかずへ[40]もなど申げに候。いつれも往生の業にて候へく候。

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: お釈迦様, 三業, 仏教, 拾遺黒谷語灯録, 法然聖人, 経典, 荀子, 親鸞聖人, 言葉, 顕浄土真実教行証文類

宗教は沈黙であってほしい。~「沈黙を聞く」というということ~

2013年10月9日 by 慈海

今は福井の片田舎で、一人でぶらぶらしている私ですが、2010年の夏までは東京でインターネット関係の仕事をしていました。

多くの会社を転々としていましたが、ある一時期務めていた会社の近くに、自由に出入できるキリスト教の教会がありました。
[続きを読む]

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: 宗教, 慈海, 築地本願寺

仏教を学ぼう 第4回|仏教どうでしょう?@スペースおいち

2013年10月9日 by 慈海

《仏教どうでしょう?》では、福井駅前「スペースおいち」さんのスペースをお借りして、毎月勉強会を開催しています。

今回は、その第4回目。
「宗教ってナニ? (宗教概論) その4」です。

前回まで、「宗教」の語義と定義、世界のいろんな宗教について学んできました。
今回はそれらを総括して、では結局宗教というのはなんなのか?
自分が生きていく上で、生活の上で、この宗教という世界がどう関わっているのか?
というところを学んでいきます。
[続きを読む]

カテゴリー: お知らせ タグ: スペースおいち, 仏教, 仏教どうでしょう?, 仏教を学ぼう, 勉強会, 宗教

聞見会新聞【創刊号】

2013年10月8日 by 慈海

聞見会新聞 創刊号 [続きを読む]

カテゴリー: 聞見会新聞 タグ: コンビニ坊主, 慈海, 法話, 聞見会新聞, 言葉
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