掃く落ち葉の軽さに人の世の無常を
今日は午後から冷たい風が吉崎別院の境内に吹き込み始めました。
木枯らし、でしょうか。その言葉通り、木々から吹き飛ばされた枯葉が境内をくるくると舞いあがり、境内の木々たちはみるみる寂しい装いになっていきます。
先月、とある方からお手紙をいただきました。
以前、毎月のように県外からご夫婦で吉崎までお参りに来られていた、その奥様からでした。
最近お顔を見ていないなと、気にしていた矢先でありました。
お手紙には、旦那様が重い病気にかかられたこと、そのため吉崎まで足を運べなくなったこと、先日旦那様に最後に行きたいところをたずねたら、吉崎に行きたいと言われ家族でお参りにいらしたことなどが書かれておりました。
残念ながら、そのお参りにいらした日は慈海は不在しており、お会いできませんでした。
「今は残りわずかな日々を一日一日ありがたく二人で南無阿弥陀仏をとなえながら過ごしております。」
手紙はそう締めくくられておりました。
先日銀杏を拾いながら、その方のことがふと思い起こされました。
そのご夫婦は、いつも吉崎にいらっしゃるときに、地元の名産という銀杏餅をお供えにとお持ちくださっていました。
落ち葉をよけながら一つ一つ銀杏の実を拾いつつ、またお会いできるだろうか、お会い出来たらどんな話をしようかと考えておりました。
お見舞いに行きたかったのですが、あちらの体調のこともあり、逆に気を使わせてしまうと思い、奥様と電話でお話はしましたが断念することにしました。
その代わり、お手紙を差し上げることにしました。
ですが、何を書いてよいのかまとまらず、筆が進みませんでした。
そこで、私の下手な文章よりも、蓮如さんにお手紙をいただくことにしました。
一念大利章を賜り、代筆して吉崎の境内で拾った銀杏と一緒にお送りしました。
郵便局からの帰り、母から電話がありました。
実家にハガキが届いているという連絡でした。
くだんの奥様からの年賀欠礼のご挨拶でした。
お手紙をいただいた数日後、旦那様が御往生されたそうでした。
行き違いになってしまいました。
どうしてもっと早くお送りしなかったのでしょう。
後生の一大事、遠慮なんてせずにお見舞いに行けばよかったかもしれません。
そして、もう一度だけでも後生をよろこびあうことができたらと、今、悔やまれて仕方がありません。
次に会う時は、お浄土でしょうか。
いや、もうすでにこの吉崎にいらしているのかもしれません。
掃く落ち葉の軽さに、人の世の無常を思います。
拾う銀杏の実一つ一つに、これまで作り続けた自らの悪業煩悩を思います。
それらが、この境内のすべてが、この慈海にお念仏せいよと勧めてくださいます。
「ちょっと静かにして!今、お内陣のほうからお念仏聞こえてこんかったか?」
最後にお会いしたとき、本堂で話し込んでいると、その旦那様が唐突にそうおっしゃいました。
旦那様と、奥様と、慈海三人が、本堂中で、言われれば聞こえてくるような気がするその、微かなお念仏の声に耳を澄ませ、三人でお念仏を申したことが懐かしく思い返されます。
きっとこれからは、その旦那様がこの境内に、お御堂に、しみこませていかれたお念仏の声もまた、この慈海にお念仏を勧め続けてくださるでしょう。
なんまんだぶ