大千世界にみてらん火をも過ぎゆきて、なもあみだぶ が聞こえる。
二年たっても相変わらず透明なお湯が溜まらないので(ボイラーの中が錆びている)、たまに下山してあわら温泉にお風呂に入りに行っている。温泉宿によっては、宿泊しなくても時間帯を限ってお風呂だけ入らせてくださるところがあって重宝している。銭湯替わりに温泉というのは、なかなか贅沢だ。
先日火災で全焼した「べにや」さんにもこれまで何回か入りに行ったことがあった。あわら随一の老舗旅館で、詳しい方が言うには泉質が一番良いのがこの「べにや」さんだったらしい。たしかに、本当の源泉かけ流しで、少し塩気の味がするお湯だったので、真冬であってもお湯から出た後一晩中体が熱いくらいに温かくなった。
御忌の疲れが残ったままな感じだったし、プライベートでもちょっといろいろ続いてなんだか気分が塞ぎぎみでもあったから、こんな時はそんな「べにや」さんの温泉に入りたいところであった。しかし、先にも書いた通り先日火災に遭われて全焼してしまったので、近くの別の温泉宿に入りに行った。
「べにや」さんの前を通ると、見事なまでに焼け崩れていた。ニュースで聞いていた以上に広範囲が炭と化していた。おもわずため息に混じって声が漏れた。
幸いにもケガをされた方も亡くなった方もいなかったようだけれども、「べにや」の方々はどんな思いで火柱を上げながら崩れ落ちていく様子を眺めていたのだろう。想像してすこし身震いがした。
吉崎も火事が多いところである。蓮如上人が御逗留されていらっしゃった際にも、吉崎御坊が火災によって灰塵に帰した。その際の逸話として有名なのが「本光坊了顕腹籠りの聖教」である。
吉崎御山の上の坊舎が火に巻かれたとき、顕浄土真実教行証文類の証巻が建物の中に残されていることを知った本光坊了顕が、上人の制止を振り切り火の中に飛び込んで、そのお聖教を見つけるや否や短刀で自らの腹を裂き、腹中にお聖教をおさめてお聖教を火の手から守ったという話だ。
この逸話をもとに、我々の勤行本の表紙が朱色になったという説もある。
この話が史実かどうか疑わしいとかいう方もいらっしゃるようだけれども、史実かどうかを確かめるよりも先に、思い出さねばならない御開山聖人の御和讃があった。
たとひ大千世界に
みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名をきくひとは
ながく不退にかなふなり
(浄土和讃)
大千世界を埋め尽くす火の海をかいくぐってでも、「なもあみだぶ」の一言、この仏名一声に、遇われて行かれた方がいらっしゃったのである。この私の口から「なもあみだぶ」の一声が、この私の耳に聞こえるということは、そういう方がこれまでに間違いなくいらっしゃったからこそなのである。
命よりも大事なことがある。たとえこの身が業火に燃やし尽くされることになろうとも、たった一声聞かねばならぬ言葉がある。そういうものがこの世界にはあるのだ。そういう世界に今この私が、火災の跡にでさえも身震いするようなこの私が、同じく、大千世界を燃やし尽くす火の海をかいくぐってこられた方と同じように、この「なもあみだぶ」の一声をこの口から聞かされているのだ。
焼け焦げた温泉宿の跡を眺めながら、私の足元を思わず見つめ、手が合わさる。私が今、立っているこの場所は、どこだ。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ