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聞見会

お念仏の会

正像末和讃

一遍さんのような方が必要なんじゃないだろうか。

2014年1月29日 by 慈海

信心ばかりが先行してしまった今、行を見直す時なんじゃないかとふと思う時がある。
本覚思想とか揶揄されようとも、一遍さんのような方が、今の時代必要なんじゃないだろうか。
頭でっかちに語り、理解したつもりのそれは、決して「信心」ではない。行を無くした信なんていうのはありえない。

五濁悪世の衆生の
選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の
功徳は行者の身にみてり
(高僧和讃:結讃 / 正像末和讃)

信心ちゅうのは、不可称不可説不可思議、つまり、称(はか)ることも、説くことも、思い議することこもできるわけがない。
それを、頂いたとかいう発想を、もういっぺんきちんと見つめなおしたほうが良いのだろう。
「信心」という「概念」をもろうてるんちゃうんや。

念仏ましませ。
なんまんだぶ とその口からその耳に聞いてみなされ。
阿呆になって、なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ と称えてみなせ。

本願を信じさせ、念仏を申させしめて、仏とならしめる、如来さまのはたらきやったなぁ。

なんまんだぶ

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: 一遍, 不可称不可説不可思議, 信, 信心, 念仏, 正像末和讃, 行, 高僧和讃

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