「獨」
「獨」
犀角獨歩
獨生獨死獨去獨来
なんまんだぶ
平成25年の慈海のテーマは「聞」。
今年平成26年の、慈海のテーマは「獨」。
孤独の「独」。「独り」ということ。ちなみに、↑は気分で旧字で書いた。
【犀角獨歩 (さいかくどっぽ)】
古い経典といわれる『スッタニパータ』の中に、この言葉は出てくる。
『スッタニパータ』とは、釈尊の言葉を、詩編として残されたもの。
”犀角”というのは、つまり、犀(サイ)の角(ツノ)。
“獨歩”というのは、つまり、独り歩めということ。
「犀の角のように、ただ独り歩め」
そのように、40篇にもわたって、繰り返されている。
あえてここでは紹介しないが、興味がある方は、
[ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)]
をご覧になってみると、面白いと思う。
【獨生獨死獨去獨来 (どくしょうどくしどっこどくらい)】
仏説無量寿経巻下の、三毒段といわれる個所にある言葉。
この言葉が出てくるか所を読み下しするならば、下記の通り。
人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。行に当りて苦楽の地に至り趣く。身みづからこれを当くるに、代るものあることなし。善悪変化して、殃福処を異にし、あらかじめ厳しく待ちてまさに独り趣入すべし。遠く他所に到りぬればよく見るものなし。
(仏説無量寿経 巻下 三毒段)
ちなみに、「孤独」という言葉。
手元の漢和辞典(新字源)によると、
「孤」は、みなしご(孤児)の意味らしい。
「独(獨)」は、身寄りがないという意味らしい。
浄土真宗は、在家仏教といわれる。
”世間愛欲”の中にあるこの身を悲嘆しつつ、仏の方に心の向きを定められないこの身を慙愧しつつ、それでも、いや、だからこそ、この身にはたらく如来の大悲に縋り、報ずることも、謝することも知らない愚かさに、智慧の光が照らされているということを、なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ との、このお念仏に、聞かされ、生死を超えていく道ではなかったか。
御開山聖人の、悲嘆述懐和讃を、寂しいくて暗いという人もいるけれど、
本当の独りになれるということは、そこに、光が照らしているからであろう。
あれは、とても明るい和讃だと、慈海は聞いた。
「獨(独)」ということばは、何とも、寂しくて、明るい言葉であろうか。
そのことを、この一年、じっくりと、深められるようにしたい。
そんな思いで、今年の書初めは、「獨」と書いた。
なんまんだぶ