親不孝
父が帰福した。
二日ほどしか滞在していないので、確認しておくこと、相談しておかなきゃならないことなど、じっくり語り合う。
祖母の思い出話から、自然と仏様の話になり、せっかくだから御法話のDVDでも観ようかとなる。
先日お浄土に移住された梯和上の御法話を、父母とともに御聴聞。
もしかつての自分がタイムスリップして、今この光景を目にしたら、何が起きてるんだと信じられないだろう。
まさに、「有難い」ひとときだった。
御法話が終わり、また祖母の話や昔話が始まる。あの時はこうだった、この時は実はこんなだった。何度も聞いた話。慈海の耳に痛い話も多い。そのうち、父がいつものようにポツリポツリと話始める。
― おれは親孝行しなかった、最後死に目にも会えんかった、なんてひどい息子だったか。俺も自分のことに一生懸命だったのだけど、それもいいわけにはならん。
そう言って目に涙を浮かべる。
「父ちゃん、仏さんの話でな、昔ある人が親殺しをして、結果地獄に堕ちるのが恐ろしゅうなって、心身共に病んでしまったんやと。そりゃぁひどい状態で、身体中かさぶただらけで熱もひどいわ、まぁえらいことやったらしい。そんでな、その人になえらーいお医者さんがきてな、
善いかな善いかな、王罪をなすといへども、心に重悔を生じて慚愧を懐けり。大王、諸仏世尊つねにこの言を説きたまはく、二つの白法あり、よく衆生を救く。
一つには慚、二つには愧なり。慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。
無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。
慚愧あるがゆゑに、すなはちよく父母・師長を恭敬す。慚愧あるがゆゑに、父母・兄弟・姉妹あることを説く。善きかな大王、つぶさに慚愧あり。*
て言うたんやと。
つまりな、慚愧あるからこそ、人なんやなと。慚愧があるちゅうことを誉めてなさるんやわ。そんでな、お釈迦様がいらしてお説教なさるんやけど、そんだら、この人、
世尊、もしわれあきらかによく衆生のもろもろの悪心を破壊せば、われつねに阿鼻地獄にありて、無量劫のうちにもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もつて苦とせず*
って、地獄に行っても苦にしない!と、菩提心を起こされたんやと。お釈迦様は、仏様ちゅうのは、やっぱとんでもないのぉ。
『慚愧なき真宗は外道や』と聞いたよ。まさに今お目当ての真っ只中やん。」
と言うような話をしたら、ほうか、ほうかと、父がうなずく。
親不孝ものと、親不孝したと悔やむその父との会話。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ