• お知らせ
  • 聞見会新聞
  • 口耳四寸記(慈海ブログ)
  • 聞見会について
    • 聞見会について
    • 「聞見会」という名称
    • 寄付のお願い
  • 動画
    • 御文章どうでしょう? 01 はじめに
    • 御文章どうでしょう? 02 「聖人一流章」(1)
    • 御文章どうでしょう? 03 「聖人一流章」(2)
    • 御文章どうでしょう? 04 「聖人一流章」(3)
聞見会

お念仏の会

帰命

ありがたくもないものを

2014年11月22日 by 慈海

月忌のお参り先で、珍しく若い息子さんが仏間に顔を出されていた。

慣れてきてしまった慈海の読誦する声の後ろから、たどたどしくも大きな声で一緒についてくる声が聞こえる。

お勤めのあと、いつも短い法話を取り次ぐのだけれども、この日のお取り次ぎはしんどかった。

目の前に自分が座ってるような気がしたからだ。

必死で見よう見まねで真似をして、それも最近こなれてきた。それが見透かされている気がして、歴史の話に終始した。しゃべっていて、しゃべってる本人がくそつまらんと聞いていた。「しばらく法の話はせんほうがいいかもしれない。」そう思い始めていた。

ありがたいとも思っていないものを、ありがたそうに語るのは嘘だ。ありがたくないなら、ありがたくないというのが本当だろう。

「手に入ったもんは、手放しで話ができる」と聞いた。

「手に入ってないもんの話をしようとすると、話を作るようになるぞ。それは妄語やぞ。お説教で嘘は絶対アカン!お前はそれをやる。」とも聞かされた。

お取り次ぎのあと、お茶を出してくださり、しばし世間話。そのうち、お店をやっているお宅なので、先程の息子さんと二人きりになる。すると、質問をされた。

「さっきのお経の一番最初に『帰命』ってあったけど、前から気になってたけど、これってどういう意味?」

“疑問”というのは素晴らしい。同じような疑問から、慈海も始まったのだった。初心を思い出す。

さっきまで、法の話がしんどかったはずなのに、気がつけば小一時間語り合う。

法の話は、やっぱり楽しい。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

 

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: 帰命, 月参り, 月忌, 法話, 疑問

最近の投稿

  • 灯台もとくらし
  • 学習能力が無い
  • そしてまたご一緒に
  • だからねぇ……
  • 忘れるってことは、悪いことばかりじゃないです

アーカイブ

2025年6月
月 火 水 木 金 土 日
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30  
« 7月    

Copyright © 2025 聞見会.

Omega WordPress Theme by ThemeHall