だからこそ、この場所があって、この身があるのではなかったか。

たしか今くらいだったかなと思って、昨年の記録を見返してみた。
昨年10月23日に、台風によって吉崎別院は大きな被害を受けた。一晩中続く暴風雨にオロオロしながら何度もお御堂を点検しに行ったり境内を見回ったりした。真っ暗な境内からはガタガタと何かが飛んで行ったり風にあおられる音がしていたけれども、何もできず必死で懐中電灯で境内を照らしながら目を凝らしていた。
朝になって明るくなって、境内を見ると経堂の屋根の銅板が吹き飛ばされ、境内に散乱していた。現実感のない光景に唖然としながら、吹き込んできた葉っぱや枝などでぐちゃぐちゃになった通路を駆け、本堂に入ると扉が吹き飛ばされて土埃が舞っていた。畳の上はもちろん、お内陣の仏様の周りまでも埃だらけになっていて、慌ててご本尊や御開山聖人、勝如上人様、七高僧様、聖徳太子様の安全を確認し、仏具に異常がないかを確認して回った。
停電していたのでお仏飯が炊けておらず、電気がなければご飯も炊けないことに慣れてしまった現代の自分が情けなく思った。とにかく電線が切れて漏電している可能性もあるし、建物に被害がないか確認するために、境内に散乱した銅板やクギなどに気を付けながら外に出て見回りしたけれども、とにかくお御堂の屋根瓦が落ちていたり、御山の土砂崩れなどがないことを確認してすこしほっとしたところで、境内の荒れ果てた状況を眺め、これを今から一人で片づけるのかと段取りを頭の中で考えながら少し涙が出た。
とにかくまずは、こんな日でも朝が来た、朝が来た限りは晨朝勤行をしなければと、法衣に着替え、いまだ埃っぽい風が吹き荒れるお御堂のなかで、ひとり座り、お勤めをした。汚いまま荒れたままの上、お仏飯も無いままで晨朝のお勤めをしているのが、仏様に申し訳なくて申し訳なくて、読経中なんども声が詰まった。
いつもは一人でも誰かお参りに来てくれないかなと思っているのに、この日ばかりは誰にもこんな状況の中でお参りしてほしくなくて、だれも来るな誰も来るなと思いながらずっと掃除していた。けれども、そんな日にもかかわらずお参りに来られる方はいらっしゃる。埃だらけのお御堂を掃除していると、ご家族でお参りに来られた方があった。こんな状況でごめんなさい、どうぞ土足でお入りくださいとお通しして、荒れた本堂の中で蓮如さんとお念仏の話をした。何よりもこの時が一番申し訳ない気持ちになったかもしれない。
とりあえずの掃除や応急処置的なことはその日のうちに終わらせたけれども、それから1か月以上はお内陣や本堂の掃除が大変だった。散乱した経堂の銅板は半年以上放置されたままで、経堂自体は今も屋根がむき出しのままだ。雨雪にさらされて徐々に朽ちて行っているのを見守るだけしかできないのが今も続いている。
※とりあえずお御堂の中はその日のうちに綺麗にした
※経堂は1年たっても修復のめどが立っていない
この日まで、吉崎に入って1年半、必死で境内もお御堂もきれいにしてきたつもりだった。もちろん自分だけの力じゃないけれども、お参りに来られた方が「結構さびれてるって聞いてたけど、全然きれいにされているじゃない」とか「ここに上がるとほんと風が気持ちいわ」とかそんな言葉がちらほら聞こえるようになって、ちょっと得意になっていたし、何よりも気持ちよくお念仏してくださる方々の姿がうれしかった。
けれども、たった一晩で、吉崎に入る前以上に荒れ果てた状況になってしまった景色に、なんとも言えないむなしさを感じていた。もちろん、結果を求めるために頑張っていたつもりじゃなかったけれども、それでもやっぱり、どうしても、こころの隅に佇むむなしさは去ってはくれないままであった。
そんなことがあってぼうっとしていたのかもしれないし、たまたまかもしれないけれども、昨年11月4日に交通事故に遭った。相手の責任が九割の自己であった。乗っていた自分の車のフロント部分が大破し廃車になった。幸いに相手も自分も怪我ひとつなかった。しかし、エアバックが開いた瞬間のことを今もたまに思い出す。事故の後数日間、自分の人生というものが消えてなくなるのもまた一瞬のことなんだなと、命ということのむなしさが頭から離れなかった。
なんだか、いつも自分が語っていることも、また空しくて、そんなことを偉そうに人に向かって話しているのかと、自分がとても阿呆に思えて仕方なくなった。
そんな時、たしか昨年の11月の終わりのころだったかと思う。年末も近づいてきたし、おみがきをしなければと、夜中におみがきがてら、本堂のお内陣を夜中に掃除していた。台風でお御堂の中に吹き込んできた埃がまだ隙間に残っていたので、年を越す前にせめてお内陣だけでもピカピカにしたくて、いろいろな仏具を拭きつつ、移動させながら、はいつくばって床を水拭きしたりしていた。
深夜過ぎまで掃除していただろうか。疲れもあってか、お内陣の床をふきながら眠ってしまったのかもしれない。ふと気配を感じてご本尊の方を見ると、宮殿(くうでん)から金色に光る阿弥陀様が降りて歩いて降りてこられた。夢うつつな気持ちで<あぁ阿弥陀さんが降りてきなさった……>と不思議に別に驚く気持ちも起きずぼんやりとその様子を眺めていると、今度は外陣の戸の方に気配を感じる。お御堂の明かりがついていたので、夜中にもかかわらずお参りの方が入ってこられたのかと、その時はとっさにそう思った。慌てて振り返ると、黒い衣を着た僧侶らしき人が外陣からこちらを覗いていた。
「すみません、今掃除中で……」と言いかけながらその方の顔をみると、なんとなく見覚えがある。ニコニコとした表情でこちらを見てらっしゃる。<蓮如さんや!!>なぜか確信をもってその方が蓮如さんだと理解した。「ももも……申し訳ありません!こんな格好でお内陣も片付いていなくて!!!」と言いかけたところで、蓮如さんらしきかたがおっしゃる「がんばってるねぇ。あんまり根詰めなさんなやぁ。」あまりにもったいなくてかたじけなくもったいなくて、土下座して何か言おうとしたところで目が覚めた。
もちろんご本尊の阿弥陀様はいつもと同じく宮殿の中に静かに立っていらっしゃるし、外陣には誰もいない。夢だったのか、幻だったのか、なんだか不思議な気持ちのまま、しばらく動けないでいた。今思えばもちろんただ眠ってしまっていただけであろう。特別な体験というわけでもないし、あらたかなことがあったというわけでもない。ただ夜中に掃除してて眠りこけて夢を見てしまっただけだと思う。
けれども、「本願力に遇いぬれば 空しくすぐる人ぞ無き」の御和讃のお言葉がこの一年何度も何度も頭の中に浮かんで聞こえてくる。
いずれこの身も朽ちていく。それも唐突にそういう時があるかもしれない。今日かもしれない。明日かもしれない。同じくどんなに歴史的な場所であっても、どれほど文化的にも宗教的にも貴重な場所だといっても、そういう場所が永遠に続くわけでもない。この身と同じく、無常の風が吹けば簡単に吹き飛ばされるような、そういう世界に私もこの場所も、ある。
だからこそ、この場所があって、この身があるのではなかったか。だからこそ、この場所で、この身で、後生の一大事を聞かされてきたのではなかったか。だからこそ、過去無数の方々が、この慈海に、お念仏を聞く身になっておくれよ、浄土に参るものであるぞと、大千世界にみてらん火をも厭わず、慈海にこの場所にあらせしめ、慈海にお念仏称えさせしめているのではなかったか。
今年も銀杏がたくさん落ち始めた。掃除が邪魔くさいとも思う。朝早く起きて晨朝勤行するのもしんどいと思う。邪魔くさい、しんどいと思う慈海だからこそ、掃除する場所も、勤行を勤める場所も用意くださってたのかもしれない。
なんまんだぶ
(ちなみに、この昨年の台風被害の後、記録的な大豪雪で雪に閉ざされてしまったのは、また別の話……)