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聞見会

お念仏の会

吉崎

だからこそ、この場所があって、この身があるのではなかったか。

2018年11月1日 by 慈海
どんだけ古くなっても、傷んでも、ガタが来ても、光り続けるこの御内陣の床は、紛れもなく先ににお浄土に往かれた先輩方が日々磨き続けた証であり、先輩方の御恩報謝のおスガタであり、慈海に往生勧めてくださるカタチであって、この床を、先輩方の真似をして同じように光らせ続けられる間は、どうか慈海にご奉公を続けさせてほしいと思うんです。

たしか今くらいだったかなと思って、昨年の記録を見返してみた。

昨年10月23日に、台風によって吉崎別院は大きな被害を受けた。一晩中続く暴風雨にオロオロしながら何度もお御堂を点検しに行ったり境内を見回ったりした。真っ暗な境内からはガタガタと何かが飛んで行ったり風にあおられる音がしていたけれども、何もできず必死で懐中電灯で境内を照らしながら目を凝らしていた。

朝になって明るくなって、境内を見ると経堂の屋根の銅板が吹き飛ばされ、境内に散乱していた。現実感のない光景に唖然としながら、吹き込んできた葉っぱや枝などでぐちゃぐちゃになった通路を駆け、本堂に入ると扉が吹き飛ばされて土埃が舞っていた。畳の上はもちろん、お内陣の仏様の周りまでも埃だらけになっていて、慌ててご本尊や御開山聖人、勝如上人様、七高僧様、聖徳太子様の安全を確認し、仏具に異常がないかを確認して回った。

停電していたのでお仏飯が炊けておらず、電気がなければご飯も炊けないことに慣れてしまった現代の自分が情けなく思った。とにかく電線が切れて漏電している可能性もあるし、建物に被害がないか確認するために、境内に散乱した銅板やクギなどに気を付けながら外に出て見回りしたけれども、とにかくお御堂の屋根瓦が落ちていたり、御山の土砂崩れなどがないことを確認してすこしほっとしたところで、境内の荒れ果てた状況を眺め、これを今から一人で片づけるのかと段取りを頭の中で考えながら少し涙が出た。

※その時の様子

とにかくまずは、こんな日でも朝が来た、朝が来た限りは晨朝勤行をしなければと、法衣に着替え、いまだ埃っぽい風が吹き荒れるお御堂のなかで、ひとり座り、お勤めをした。汚いまま荒れたままの上、お仏飯も無いままで晨朝のお勤めをしているのが、仏様に申し訳なくて申し訳なくて、読経中なんども声が詰まった。

いつもは一人でも誰かお参りに来てくれないかなと思っているのに、この日ばかりは誰にもこんな状況の中でお参りしてほしくなくて、だれも来るな誰も来るなと思いながらずっと掃除していた。けれども、そんな日にもかかわらずお参りに来られる方はいらっしゃる。埃だらけのお御堂を掃除していると、ご家族でお参りに来られた方があった。こんな状況でごめんなさい、どうぞ土足でお入りくださいとお通しして、荒れた本堂の中で蓮如さんとお念仏の話をした。何よりもこの時が一番申し訳ない気持ちになったかもしれない。

とりあえずの掃除や応急処置的なことはその日のうちに終わらせたけれども、それから1か月以上はお内陣や本堂の掃除が大変だった。散乱した経堂の銅板は半年以上放置されたままで、経堂自体は今も屋根がむき出しのままだ。雨雪にさらされて徐々に朽ちて行っているのを見守るだけしかできないのが今も続いている。

※とりあえずお御堂の中はその日のうちに綺麗にした
※経堂は1年たっても修復のめどが立っていない

この日まで、吉崎に入って1年半、必死で境内もお御堂もきれいにしてきたつもりだった。もちろん自分だけの力じゃないけれども、お参りに来られた方が「結構さびれてるって聞いてたけど、全然きれいにされているじゃない」とか「ここに上がるとほんと風が気持ちいわ」とかそんな言葉がちらほら聞こえるようになって、ちょっと得意になっていたし、何よりも気持ちよくお念仏してくださる方々の姿がうれしかった。

けれども、たった一晩で、吉崎に入る前以上に荒れ果てた状況になってしまった景色に、なんとも言えないむなしさを感じていた。もちろん、結果を求めるために頑張っていたつもりじゃなかったけれども、それでもやっぱり、どうしても、こころの隅に佇むむなしさは去ってはくれないままであった。

そんなことがあってぼうっとしていたのかもしれないし、たまたまかもしれないけれども、昨年11月4日に交通事故に遭った。相手の責任が九割の自己であった。乗っていた自分の車のフロント部分が大破し廃車になった。幸いに相手も自分も怪我ひとつなかった。しかし、エアバックが開いた瞬間のことを今もたまに思い出す。事故の後数日間、自分の人生というものが消えてなくなるのもまた一瞬のことなんだなと、命ということのむなしさが頭から離れなかった。

※事故の時の様子

なんだか、いつも自分が語っていることも、また空しくて、そんなことを偉そうに人に向かって話しているのかと、自分がとても阿呆に思えて仕方なくなった。

そんな時、たしか昨年の11月の終わりのころだったかと思う。年末も近づいてきたし、おみがきをしなければと、夜中におみがきがてら、本堂のお内陣を夜中に掃除していた。台風でお御堂の中に吹き込んできた埃がまだ隙間に残っていたので、年を越す前にせめてお内陣だけでもピカピカにしたくて、いろいろな仏具を拭きつつ、移動させながら、はいつくばって床を水拭きしたりしていた。

深夜過ぎまで掃除していただろうか。疲れもあってか、お内陣の床をふきながら眠ってしまったのかもしれない。ふと気配を感じてご本尊の方を見ると、宮殿(くうでん)から金色に光る阿弥陀様が降りて歩いて降りてこられた。夢うつつな気持ちで<あぁ阿弥陀さんが降りてきなさった……>と不思議に別に驚く気持ちも起きずぼんやりとその様子を眺めていると、今度は外陣の戸の方に気配を感じる。お御堂の明かりがついていたので、夜中にもかかわらずお参りの方が入ってこられたのかと、その時はとっさにそう思った。慌てて振り返ると、黒い衣を着た僧侶らしき人が外陣からこちらを覗いていた。

「すみません、今掃除中で……」と言いかけながらその方の顔をみると、なんとなく見覚えがある。ニコニコとした表情でこちらを見てらっしゃる。<蓮如さんや!!>なぜか確信をもってその方が蓮如さんだと理解した。「ももも……申し訳ありません!こんな格好でお内陣も片付いていなくて!!!」と言いかけたところで、蓮如さんらしきかたがおっしゃる「がんばってるねぇ。あんまり根詰めなさんなやぁ。」あまりにもったいなくてかたじけなくもったいなくて、土下座して何か言おうとしたところで目が覚めた。

もちろんご本尊の阿弥陀様はいつもと同じく宮殿の中に静かに立っていらっしゃるし、外陣には誰もいない。夢だったのか、幻だったのか、なんだか不思議な気持ちのまま、しばらく動けないでいた。今思えばもちろんただ眠ってしまっていただけであろう。特別な体験というわけでもないし、あらたかなことがあったというわけでもない。ただ夜中に掃除してて眠りこけて夢を見てしまっただけだと思う。

けれども、「本願力に遇いぬれば 空しくすぐる人ぞ無き」の御和讃のお言葉がこの一年何度も何度も頭の中に浮かんで聞こえてくる。

いずれこの身も朽ちていく。それも唐突にそういう時があるかもしれない。今日かもしれない。明日かもしれない。同じくどんなに歴史的な場所であっても、どれほど文化的にも宗教的にも貴重な場所だといっても、そういう場所が永遠に続くわけでもない。この身と同じく、無常の風が吹けば簡単に吹き飛ばされるような、そういう世界に私もこの場所も、ある。

だからこそ、この場所があって、この身があるのではなかったか。だからこそ、この場所で、この身で、後生の一大事を聞かされてきたのではなかったか。だからこそ、過去無数の方々が、この慈海に、お念仏を聞く身になっておくれよ、浄土に参るものであるぞと、大千世界にみてらん火をも厭わず、慈海にこの場所にあらせしめ、慈海にお念仏称えさせしめているのではなかったか。

今年も銀杏がたくさん落ち始めた。掃除が邪魔くさいとも思う。朝早く起きて晨朝勤行するのもしんどいと思う。邪魔くさい、しんどいと思う慈海だからこそ、掃除する場所も、勤行を勤める場所も用意くださってたのかもしれない。

なんまんだぶ

 

(ちなみに、この昨年の台風被害の後、記録的な大豪雪で雪に閉ざされてしまったのは、また別の話……)

カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: 台風, 吉崎, 吉崎別院, 吉崎御坊, 念仏, 掃除, 経堂, 蓮如さん, 蓮如上人

第四回聞見会念仏会のご報告

2014年4月29日 by 慈海

これまで念仏会(ねんぶつえ)を始め、活動した結果のご報告をきちんとしてませんでしたが、これからはちゃんと記録を残しておこうと思います。

さて、先日開催しました、第四回聞見会念仏会(もんけんかいねんぶつえ)の様子ご報告です。
告知時のご案内については、

【聞見会】吉崎で、蓮如さんといっしょに、ねてもさめても念仏申す会をやりますよ【蓮如忌】
【続報】吉崎で、蓮如さんといっしょに、ねてもさめても念仏申す会【4/25、28】

を御覧ください。

■経緯

蓮如上人御忌法要案内福井県あわら町吉崎では、毎年4月23日~5月2日にかけて、蓮如上人のご遺徳を偲び、東西別院ともに、蓮如忌(御忌)法要が行われています。
この御忌法要にあわせ、4月の聞見会念仏会は、吉崎の地で行うことにしました。

その理由として、まず第1に、近年、年を追うごとに吉崎参詣の人が少なくなっていることから、この吉崎の地で毎年行われている御忌法要を、改めて多くの方に知ってもらいたいという思いがありました。

その昔、この御忌法要には、100万の方がお参りに来られたと聞いています。ほんの数十年前までは、この御忌のシーズンになると、全国からお念仏をよろこび、今でも蓮如さんを慕う念仏者の方々が詰めかけたそうです。東西別院そして吉崎山のいたるところには人が溢れ、出店も競いあうように並び、法要中の本堂前には下駄が置く場所がないくらい並び、吉崎一帯にお念仏の声が響きわたっていたそうです。
この時期は、農家にとっては農繁期、田植えの時期です。それでも、年に一度は蓮如さんに会いに行かにゃぁ申し訳ないと、数日分の握り飯を携え、泊まりがけでお参りに来られた方も多くいらっしゃったそうです。夜の座のお説教が終わると、雑魚寝で布団を引っ張り合いながら、後生話に花を咲かせ、酒酌み交わしながら法談に夜を明かしたという話も聞きました。

しかし、近年ではこの御忌のお参りに来られる方もめっきりと減りました。休日の午前中は、それなりに多くの方がお参りに来られるものも、その数は、年々減り続け、夜になれば、しんと静まり返った吉崎山は、なんともさびさびとした雰囲気です。御忌の期間中でさえもそうなのです。出店の数も数えるほどになり、法要中の本堂には、座る人のいない白い座布団が目立ちます。

そもそも、この時期に吉崎の地で御忌法要があることを知らない方も多くなり、さらには、門徒の方でも吉崎の地名さえも知らないという方が多いことでした。

蓮如さんが、「御文章」をしたためられたその多くは、この吉崎の場所でと聞きます。朝晩に正信念仏偈をお勤めするのは、この蓮如さんがそう広められたからです。中興の祖といわれる、蓮如さんのことを知らない方も多くいらっしゃいます。

是非、この吉崎を改めて知ってもらいたい。この御忌法要に一人でもまた、多くの方がお参りされるようになってほしい、という思いがありました。

そして2つ目の理由は、正直に申し上げると、御忌法要にお参りに来られた方に、聞見会の活動を知ってもらいたいという気持ちもありました。
昔から比べれば少なくなったとはいえ、多くの方がお参りに来られるこの御忌の期間中に、聞見会としての催しをおこなうことで、こんなことを考えている会があるというのを、宣伝したいという気持ちもありました。

■会場

本願寺派吉崎別院 門徒会館 旧館二階大広間

本願寺派吉崎別院 門徒会館 旧館二階大広間

当初予定していたのは、六畳間の宿泊用のお部屋一室をお借りするつもりでおりましたが、吉崎別院さんがご好意により、一番大きな大広間一室すべてお貸し下さいました。

もし遠方からお越しになる方がいらっしゃっても、雑魚寝になるとはいえ、これでお泊まりいただく場所だけは確保できました。

■内容

いつもの念仏会であれば、休憩含め1時間半、ただお念仏をし、その後勉強会を行うという流れですが、今回は、せっかく吉崎の地で行うということもあり、念力門の記録DVDの上映会も行うことにしました。

念力門の記録DVDとは、今から10年ほど前に、吉崎別院サポーターの会によって作成された、『念力門 北へ行く ~ 百五名の尊い念力 (念力門 回顧録より)』というDVDです。今から六十数年前、京都の浄土真宗御本山本願寺から、9日間かけて歩いて吉崎まで運ばれた念力門の記録DVDです。(同じものをYoutubeからもご覧いただけます。)

■開催した日時

当初は、4月25日及び28日の夕方5時からの二回だけ開催する予定でしたが、夕方にはお参りされる方もほとんどいなくなってしまうことら、急遽27日のお昼にも開催しました。

■各会の詳細

<25日夕方の会>

4月25日念仏会の様子参加者7名。すべて御忌にお参りに来られた方と、御忌運営のお世話をされていらっしゃる方々でした。
DVDの上映中、旧譜での恩徳讃が流れ始めると、自然とご参加くださった方々口々に口ずさみはじめ、気がつけば全員で合唱していました。皆様ところどころ、思わず手が合さり、なによりも なんまんだぶ なんまんだぶ とお念仏申され、上映後にはこんなすごい話があったのかと、驚き、感心されていらっしゃいました。

上映後、参加者全員で1分ほどお念仏。

元々は、念仏会ですので、30分ほどただお念仏してみましょうと声をかけるつもりでしたが、できませんでした。(慈海の大きな反省点です)

<27日お昼の会>

参加者6名。25日に参加された方のうちお二人が、「もう一度観たい」と再度参加されておりました。
内容については25日と同じ。今回も、恩徳讃では皆さん合唱され別院さんでのお昼の法要の時間が迫っていたので、今回も念仏会はできませんでした。

<28日夕方の会>

参加者3名。うちお一人は「何度観ても涙出てありがたい」と、前回、前々回にも参加してくださった方。皆勤賞です。
DVD上映の最後数分のところで、食事の時間がきてしまい、途中でしたが終了となりました。

この日の夜は、慈海ひとりだけでしたが、せっかくの念仏会ですから、一人でもと思い、夜のお勤めが始まるまでの1時間ほど、本堂にて、独り念仏会を行いました。

■今回ご協力くださった方々

今回DVD上映するにあたり、機材が吉崎別院にもなく、慈海も持ち合わせていなかったので、下記の方々が機材をお貸し下さいました。
改めてこの場を借りてお礼申し上げます。

DVDプレイヤー: 本願寺派福井教区円陵組放光寺様
モニター: スペースおいち様

また、吉崎別院様には、門徒会館の大広間をお貸しくださっただけでなく、宣伝告知のためのチラシを快く掲示させてくださいました。
さらには、佐々木輪番様には念力門法要後の感話で、春江町西勝寺の大江先生にはご法話中に、DVD上映のこと申し添えくださいました。
とても嬉しかったです。この場を借りて改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。

■反省点

吉崎での開催を決めたのが、御忌法要が始まる数日前だったこともあり、準備が全く出来ていませんでした。
そのため、宣伝告知をあまり出来ていませんでした。ご参加くださった方の中からも「もっと大きなポスターで大きく宣伝せんと!」という声がありました。とにかく準備不足、計画不足でした。

計画、準備、宣伝、運営、撤収と、全部一人でやっていたので、とにかくバタバタでした。次回以降は、協力くださる方を募らないと、難しいと思いました。一人では限界がありました。

そして、なによりも、メインの「念仏会」ができなかったことが、痛恨の反省点です。
DVD上映はおまけのつもりでしたが、その中で、どうやって、聞見会としての思いを伝え、念仏会という会の趣旨を伝え、はらいっぱいお念仏申す時間と場所を作っていくか、というところを、何も考えていませんでした。ただのイベントにはしたくないという、ある意味慈海のひとりよがりな想いかもしれませんが、その点は、残念な気持ちが残っています。

とはいえ、念力門のDVDを通して、「お念仏の力」というのを、複数の方々と共有できたのはとても嬉しかったです。
参加してくださった方の半数以上が、このDVD欲しいとおっしゃってくださったので、後ほどお送りする予定です。
(DVDの準備には、水上さんがご協力くださいます。ありがとうございます)

かつては、お念仏を笑った時もありました。賢いつもりで、お念仏を称える人を笑ったこともありました。
ですが、今、慈海がそのお念仏に動かされています。
かつてアホと笑った、お念仏に動かされ、いのちを掛けてこられた方々のようになりたいと、思う慈海がいます。

ただ、念仏を称えるだけというのは、奇異にみられるかもしれません。
自力念仏と揶揄されることもあります。
お念仏の数にこだわる方からは多念義とそしられることもあります。

慈海は、かつてそういった声をおそれる時もありました。

聞見会は、お念仏の会です。
また、念仏会、やっていきますよ。

アホになる、場所と時間があっても、いいと思うのです。

なんまんだぶ

カテゴリー: お知らせ タグ: 吉崎, 吉崎別院, 御忌, 念仏会, 念力門, 蓮如忌

【続報】吉崎で、蓮如さんといっしょに、ねてもさめても念仏申す会【4/25、28】

2014年4月25日 by 慈海

本願寺吉崎別院にて、下記の通り、4月の聞見会の集いを開催します。
正式な告知が初日当日になってしまいましたが、ご都合合う方いらっしゃいましたら、是非一緒に吉崎の地でお念仏しましょう!
(先日簡単に告知した記事については、コチラ御覧ください。)

【第四回】聞見会 念仏会 (もんけんかい ねんぶつえ)

■日時■

【1日目】 4月25日(金) 17:00~
【2日目】 4月28日(月) 17:00~

※上記時間は、あくまで予定です。開始時間が前後する可能性もあります。

■場所■

本願寺吉崎西別院門徒会館(〒922-0679 福井県あわら市吉崎1丁目201)

※門徒会館の二階にある部屋の一室をお借りして開催します。
※門徒会館入口に案内のチラシを置かせてもらう予定ですので、そちらでどの部屋か確認してください。

 なお、当日のタイムテーブルは下記の通りです。

■当日の進行(予定)■

<17:00> ご挨拶
<17:30>
|  DVD『お念仏で運ばれた北乃総門』上映会
<18:30>
|  休憩
<19:00>
|  法要御参り

DVD『お念仏で運ばれた北乃総門』は、まさに吉崎別院に建っている念力門のおいわれのDVDです。
ぜひ、ぜひ、多くの方に知ってもらいたい念力門の話です。

夜は散会の時間を決めていません。
いらっしゃる方々と、思いのままに、お念仏するなり、後生話で盛り上がるなり、時間の許す限り蓮如さんのおひざもとで、お念仏をよろこび、お念仏の話を楽しみましょう!

上記スケジュールは、あくまで予定です。
状況によっては変更もありますので、予めご了承ください。

ぜひ、吉崎の地で、蓮如さんと、ねてもさめてもお念仏、聞かせていただきましょう。

合掌
なんまんだぶ

カテゴリー: お知らせ タグ: 吉崎, 吉崎別院, 御忌, 念仏会, 念力門, 聞見会, 蓮如忌

【聞見会】吉崎で、蓮如さんといっしょに、ねてもさめても念仏申す会をやりますよ【蓮如忌】

2014年4月16日 by 慈海

お念仏よろこばれてるみなさま!いよいよ今年も、この時期を迎えましたね!

蓮如上人御忌法要案内

吉崎別院(お西)での、蓮如忌!
その昔は、100万もの念仏者の方々が、ここ越前国吉崎に集ったという、蓮如忌(れんにょき)、いわゆる御忌(ぎょき)が、今年もいよいよお勤まりになります。

うちの村にも、先日、吉崎別院さんから→のような案内が届いていました。
あぁ、これって、まるで、春からのお便りみたい!

さて、そんな、春の陽気とあいまったワクワク感に載せられて、この一年に一度の大イベントに、聞見会も便乗しちゃおうと思い立ちました。

そうです。今月の聞見会の集いは、吉崎でやります!
題して、
『吉崎で、蓮如さんといっしょに、ねてもさめても念仏申す会(仮)』
です!

さて、もうちょっと具体的なところを言いますと、下記の通り。

まだ確定ではありませんが、4月25日(金)と、28日(月)の二日間、本願寺の吉崎別院にある門徒会館の一室を、聞見会としてお借りする予定です。

で、日中の法要をお参りしたあと(夕方5時くらいから)、このお借りした一室で、聞見会の集いを行います。

ちなみに、食事については、聞見会では今回はご用意できそうにありません。門徒会館でもあまり期待できないかもですので、各自お弁当をお持ちになるなど準備される必要があります。宿泊希望される方については、寝る場所は、布団は門徒会館からお借りすることできますが、完全に素泊まりの雑魚寝状態になると思います。もちろん、近くにある芦原温泉やビジネスホテルなどをご利用になるという方法もあるかと思います。が、せっかくなので夜通し後生話に花を咲かせて、布団引っ張りながらゴロゴロ寝っ転がっていっしょにお念仏するっていうのも、素敵かもですね!

内容としては、DVDの上映会などを予定していますが、メインは皆さんで集まって、後生話に花を咲かせたい、というのが慈海の気持ちです。そして、いっしょにお念仏をしましょう!

ちなみに、DVD上映会では、吉崎別院念力門についての映像を放映する予定です。
そう、あの、念力門の映像です!(なにそれ?って方は連載中のコチラをどうぞ)

ということで、実は、現在まだちゃんと計画がまとまってないのですが、取り急ぎ、日程も近くなってきていますので、先走って告知でした。

あまり整理しないままに書いていますので、なんだか脈絡なくわかりづらいかと思いますが、近日中に改めて詳細まとめまして、本サイト上で再度告知いたします。

どうぞどうぞ、いっしょにお念仏しましょう!

 

正式な告知はこちら

カテゴリー: お知らせ タグ: 吉崎, 吉崎別院, 御忌, 念仏会, 念力門, 聞見会, 蓮如忌

1.天狗の門 

2013年10月25日 by 慈海

その門は、特徴的なその大きな鬼瓦から、「天狗門(てんぐもん)」と呼ばれていました。

天正十九年(1591年)、当時の関白太政大臣であった豊臣秀吉の寄進によって、浄土真宗の本山である本願寺(ほんがんじ)が建立されました。
境内には、今でも桃山文化を代表する建造物や庭園が数多く残されています。
重要文化財の阿弥陀堂(あみだ堂)と御影堂(ごえいどう)。
秀吉の邸宅であった聚楽第(じゅらくだい)の一部を移築し、金閣、銀閣とあわせて京都三名閣と称される国宝飛雲閣(ひうんかく)。
同じく国宝の唐門(からもん)は、桃山時代の豪華な装飾彫刻が見事で、眺めていると日が暮れることを忘れてしまうほどであることから、「日暮しの門(ひぐらしのもん)」とも呼ばれていました。
そのほかにも国宝、重要文化財が数多く残されているこの本願寺は、平成六年(1994年)十二月には、ユネスコにより世界文化遺産に登録されました。

その本願寺の北側にあったのが、例の天狗門です。
正式には「北乃総門(きたのそうもん)」と呼ばれる、本願寺の北側の総門でした。
四脚唐門(しきゃくからもん)様式のこの門は、本願寺境内と同様に、秀吉によって寄進され、建立された門の一つでした。
国宝とされた唐門と比べれば質素ながら、数百年の間、お念仏とともに本願寺に参られ、またお念仏ととも帰って行かれる無数の方々の声を、黙って聞いてこられた門でありました。

元治元年(1864年)の夏、尊王攘夷を掲げる長州藩が、京都守護職であり、新撰組を配下にもつ会津藩主松平容保の排除を目指して挙兵し、京都御所西門の蛤御門で武力衝突しました。
後に言う蛤御門の変(禁門の変)です。
この変に伴い、京都の大半が火に包まれました。
鉄砲の音とともに、京のまちは手の施しようのないほど炎上し続け、東本願寺や本能寺をはじめとする、多くの寺院が焼失していきました。
この火災はみるみる火の手が広がっていく様から、「どんどん焼け」とも、鉄砲の音とともに火の手が広がっていくことから「鉄砲焼け」とも呼ばれたそうです。

本願寺にも火の手が迫ってきていました。
想像するに、おそらく火の手に追われた町の人たちが、多く本願寺境内に逃げ込んで来ていたことでしょう。
火の粉が舞い、あちこちで鉄砲の音が鳴り響き、京の空は赤く染まっています。
煙にむせながら、恐怖に震えつつも阿弥陀如来に、親鸞聖人の御影に、助けてくれ助けてくれと、お念仏を繰り返される方も数多くいたのではないかと思います。
走り回る僧侶の方々、叫びあい無事を確かめあう人々。
境内に響く無数のお念仏の声。
それでも本願寺の北側には、情け容赦なく火の手が迫ってきます。
しかし、その前に、本願寺北乃総門、通称天狗門と呼ばれたあの門が、立ちはだかりました。
かろうじてこの天狗門によって火の手は遮られ、本願寺の類焼は免れることとなりました。
そして、この天狗門は、以降「火止の御門(ひどめのごもん)」とも呼ばれるようになりました。

本願寺北乃総門、通称天狗門とも、火止の御門とも呼ばれたこの門は、静かに京の街を見つめ、本願寺を守り、行きかう人々のお念仏の声を聞きながら、それからも時代の移り変わりを黙って見つめ続けていました。
江戸幕府が朝廷に大政奉還し、明治時代、大正時代を経て、昭和の時代日本は太平洋戦争に突入し、そして敗戦します。

敗戦後の昭和二十五年(1950年)十月、京都の町を国際的な文化観光都市とする計画が立ち上がります。*
さて、このころ、京都の都市計画により、京都の道路や土地区画を整理することとなりました。
その際、本願寺北乃総門(天狗門、火止の御門)が、この計画によって、取り壊されることが決定しておりました。
秀吉の時代から350年以上、お念仏にすがる方々の姿を見守り続け、時には火の手にさらされながらも、威厳を持って静かに立ちつづけたこの門も、とうとう最後の時が迫ってきました。

この話を耳にした、ある男がおりました。
福井県あわら市にある西本願寺吉崎別院の輪番、巨橋義信(こばしぎしん)師でした。

(つづく)

今だから読んでもらいたい「念力門」の話(プロローグ) <

 

*この都市計画については、現在調査しなおしています。実際、いつ、どういった経緯で計画された、どのような計画なのか、わかりましたら、改めて追記いたします(2014年5月1日 慈海 注)

カテゴリー: 念力門 タグ: どんどん焼け, 世界文化遺産, 京都国際文化観光都市計画, 北乃総門, 吉崎, 唐門, 四脚唐門, 天狗門, 巨橋義信, 御影堂, 念仏, 日暮しの門, 本能寺, 本願寺, 東本願寺, 火止の御門, 火災, 禁門の変, 聚楽第, 蛤御門の変, 西本願寺, 輪番, 鉄砲焼け, 阿弥陀堂, 飛雲閣

今だから読んでもらいたい「念力門」の話(プロローグ)

2013年10月15日 by 慈海

福井県と石川県の県境に、吉崎御坊跡という史跡があります。
ここは、浄土真宗中興の祖と言われる、蓮如上人(本願寺第八世法主)という方が、北陸における布教の拠点として建立した坊舎でした。

吉崎山の山頂にあるこの史跡のふもとに、浄土真宗本願寺派(お西)の別院と、真宗大谷派(お東)の別院があります。
そして、この本願寺派(お西)の別院にある山門を、「念力門(ねんりきもん)」と呼びます。

この「念力門」は、もともと京都にある本願寺の「北乃総門」、通称「天狗門(てんぐもん)」という門でした。それがなぜ、60里以上(約250キロ)も離れた、越前の国の山奥にひっそりと建っているのか。

そして、なぜ「念力門」と呼ばれるようになったのか。
それには、心震えるドラマがありました。
2011年3月、関東で大きな地震がありました。
この地震、そしてその地震による大津波によって、多くの方が家を失い、家族を失い、命を落とされました。
原発の問題も深刻です。2年以上経った今でも、家に帰ることのできない方がいらっしゃいます。
いまだに復興が叫ばれ、あの時の記憶はまだ生々しいものがあります。

或る時、京都に住む友人に、この「念力門」の話をしました。
すると、その友人は

「その話は、今したほうがいい。」

と、慈海の目を見て、力強く言ってくれました。
その言葉を受け、この「念力門」の話をもう一度調べ、こうしてネット上に公開しようと思い立ちました。

これからお話しするのは、念仏の力によって、京都本願寺から、福井県の山奥にある吉崎の地に運ばれた、「念力門」のお話です。
それは、今から60数年前に実際にあったお話です。

以前、別のブログに書いたこのお話を、再構成しなおし、あらためてここに連載していく予定です。
再構成するにあたって、聞見会会員である河久保道場水上さんのご協力がありました。
貴重な資料などをデジタル化された御苦労は、大変なものだったと思います。
改めてここでお礼を申し上げます。

さて、本編は後日徐々に公開していきます。
どうぞご期待ください。

合掌
なもあみだぶ

カテゴリー: 念力門 タグ: 京都, 吉崎, 吉崎御坊, 天狗門, 念力門, 本願寺, 水上さん, 河久保道場, 石川県, 福井県, 蓮如上人

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