丁寧な言葉
「もっと自分の人生、丁寧に生きなさいな」
そう言われたこともあった。
何もかもが中途半端で、足が地についていないような、ふわふわとした生き方しかしてこなかった慈海を、きっとその方は見ていられなかったのだろう。
今になって、ふとその言葉を思い出して、あぁ変わらないなと落ち込むことがある。
丁寧に生きてこなかった。
丁寧な言葉を使ってこなかった。
丁寧にモノ・コトを考えてこなかった。
「丁寧」という言葉の語源は、
昔、中国の軍隊で、警戒や注意を知らせるために鳴らす楽器を「丁寧」といった。
そこから、注意深くすることを「丁寧」と言うようになり、細かい点まで注意が行き届いていることや、礼儀正しく手厚いことも意味するようになった。
だそうだ。(語源由来辞典サイトより)
丁寧な生き方をしてこなかったというのは、つまり、危機感がなかったということなのか。注意力が散漫だったということか。
まぁ、どちらも同じことか。
慈海の母は、素人にしては綺麗な字を書くので、たまに賞状や看板などを書いてくれと頼まれている。
そんな母に、「あんたの字は、丁寧じゃない。」とよくたしなめられる。
そしてまた、「綺麗な字っていうのは、丁寧に書けばいいのよ。丁寧に書いた字が、綺麗な字になるの。」とも聞かされる。
字は体を表す、といったところか。
今朝のおあさじの途中、ふと、お念仏が警鐘に聞こえた。
おとすまい おとすまい
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ