2014年11月30日に開かれました、第七回「聞見会念仏会(もんけんかいねんぶつえ)」の様子をご報告いたします。
■概要■
開催日:2014年11月30日
時間:14時~16時半頃まで
開催場所:慈海坊
会衆(参加者):四名
おやつ:人形焼
■タイムテーブル■
讃仏偈のお勤め
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お念仏(約30分)
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回向
休憩(約30分)
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重誓偈のお勤め
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お念仏(約30分)
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回向
休憩(約10分)
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ご法話朗読(『仏力を談ず』より「カプセル」のお話。朗読:慈海)
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世間話、のち、散会
今回は、初めて参加された方がいらっしゃいました。
初めて参加された方は、最初少し緊張した面持ちで仏間に入られていらっしゃいましたが、お念仏の時間になると、参加者それぞれが、それぞれの調子で、お念仏を「なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ……」とされていらっしゃいました。
休憩時には、(いつものことですが)林遊さんの独壇場でした。
ずーっとしゃべりっぱなし!ずーっと仏さんの話!!
慈海は幾度と無く聞かされたお話でしたが、別の方にお話している様子を、第三者的に横で聞いている、というのはまた感じ方が違って、(慈海的には)楽しかったです。
慈海の母も、今日はたまたま自宅にいたので、何度かお念仏の時間も出たり入ったりしていましたが、後で「アレなに!こんなの初めてやってるの見た!」と驚いた様子。
事前に、こういうことやってるよという話は何度かしていたのですが、実際に参加してみるのと、想像していたのとは違ったようです。
改めて思ったことですが、こういう場所と時間というのは、なかなか無いかもしれません。
普段の生活の中では、「意味のある」時間と場所ばかりで、こんな風に、なんの意味もない時間と場所を共有する機会は、殆ど無いかもしれません。
ただ、なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ と、大の大人が集まってブツブツつぶやいていることに、なんの意味があるでしょうか。
もし、癒やしを求めるならば、海や山に行ったほうがよっぽど有意義です。
もし、生きていく上でのヒントのようなものが欲しければ、素晴らしい小説でも読んだほうが、よっぽど効果的でしょう。
なんの意味もない時間を、意味のないまま、共有することができる。
そういう時間と場所にもなるんかもなぁと、慈海は思いました。
生きていく上でなんの意味もない時間と場所を共有して、その中で、この生死(しょうじ)には意味があったんやなぁということを、ほんのちょっとだけ聞かせてもらった、念仏会でした。
次回、第八回の念仏会は、12月23日(火)に開く予定です。
次回の案内は、別途またこのサイト上からもアナウンスいたします。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ