おすそわけしたいの。

吉崎別院での晨朝勤行(おあさじ、朝のお勤め)は、いい。

蓮如上人のご旧跡地、つまりお形見の場所で、蓮如上人のお形見の御真影の前で、蓮如上人のお形見のご法話であるご文章を聴き戴いて、今日という一日が始まる。

高い壇上から述べられる講釈を聞くのではなく、位の高い派手な衣を着たやんごとなき僧侶の読誦する経をいただくのではなく、同じ畳の上で、平座で、ご開山聖人のお示しである正信偈のお勤めを、蓮如さんと一緒に、僧俗ともに戴くのだ。

そして、そういう勤行の形が始まったのも、この吉崎からである。蓮如上人が正信偈そしてお念仏ご和讃を、われらが”日常”の勤行として、定めてくださった。

つまりは、吉崎でのおあさじというのは、まさにわれらが日常のお勤めのルーツともいえるかもしれない。

各々が、各々の心を持ち寄って、各々の口から、同じ時に、同じ場所で、同じお勤め、仏徳讃嘆ができるようになったのは、まさに蓮如上人の最大のご功績だ。

吉崎のおあさじは、ほんとうに気持ちがいい。

慈海はこの吉崎別院でおあさじをする日々を、誇りに思っている。この、無数の先人方の、念仏者方の、御恩報謝のカタチの上で、蓮如さんと一緒に、御恩報謝のなかでの日常を始めることができる。こんなにかたじけなく、そして誇りに思えることはないだろう。

とあるおばあさんが、自宅のお仏壇のお磨きをあえて若い人に手伝ってもらうのだという。それは、いわく
「だって、お仏壇のお磨きすると、とっても気持ちいいもんね。だから、その気持をおすそ分けしたいの」
だそうだ。

慈海もね、この吉崎でのお勤めのありがたさ、もったいなさを、ぜひ多くの方におすそ分けしたいの。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

忍びの末裔と、禅問答と、秋の味覚と、なんまんだぶ

「梨は?」と唐突に尋ねられ思わず「梨が?」
とわけのわからない返事をしてしまった。

今日の午後買い物のため車に乗り込んだら給油ランプが点灯していた。
ガソリン入れなきゃと、近くのガソリンスタンドに寄ると、出てきたのはいつものおじちゃんではなく奥さんらしい方であった。そういえばたしかおじさんはこの時間帯は昼寝の時間だったけかと思いながら、おばさんのナビに従って車を止め、給油カバーを開けながら「レギュラー満タンでお願いします」と告げた。
このガソリンスタンドには猫が沢山住み着いている。ほとんどが捨て猫らしい。「捨てたら面倒を見てくれると思われてか、時折隣の空き地に捨てて行かれてしまうんだよね」と以前おじさんがおっしゃっていた。

「給油の間、猫、見に行っていいですか?」とおばさんに声をかけて車の外に出ると、気配を察した猫達は物陰に隠れていった。何度も挨拶をしているのに、未だにどの猫も慈海の半径5メートル以内には近寄ってくれない。しゃがみこんで遠くから猫に話しかけていると、おばさんがいつの間にか慈海の後ろに立っていた。

「あの子は触らしてくれないのよ。あ、あそこの影にいる子は愛嬌がいいから触らせてくれるかも」
でかい図体のくせに子供言葉、まさしく猫なで声で、話しかけているのを聞かれてしまったのが少し恥ずかしくなりながらも、その愛嬌がいいという猫のほうに向かって手を伸ばしてみたけれども、白と茶色の縞模様のその猫は、こちらをちらりと見ただけで、興味なさそうに寝転がって毛づくろいを始めてしまった。餌でも持ってきたら振り向いてくれるのだろうか?いや、なんか流石にそこまですると”あざとい”だろうか。

諦めて自分の車の方をみると、もう満タンになったらしく、いつの間におばさんは給油ノズルをしまっているところであった。このおばさんは、なんだろう、気配を感じさせない。もしかすると”くノ一”の末裔かもしれない。歴史の闇に消えていった蓮如さんをお守りする忍びの集団が、もしかするといたのかもしれない。そんな妄想をはたらかせながらおばさんに「おいくらですか?」と尋ね、つげられた金額を財布から出していると、「どこの坊さん?」と、忍びの血を引いているかもしれないそのおばさんに尋ねられた。

「どこって、ここです。」
「ここって、どこの?」
「吉崎の西別院です。」
「西別院ってどこ?」
「西別院って、そこのですよ。」
「そこってあの駐車場のすぐのとこの?」
「はい。そこの別院に住み込んでるんです。」
「久しぶりに聞いたわ。」
「別院を、ですか?」
「住み込みって言葉。」

噛み合わないようで噛み合っているようで、やっぱり噛み合ってない気がするそんな言葉をかわしながらガソリン代をおばさんの手に渡しつつ慈海は考える。
もしかして、これは何かの符丁なのだろうか。さり気なく合言葉を求められているのかもしれない。もしくは何か怪しまれて、探られているのだろうか。返しの言葉如何によっては隠し持っていた手裏剣が慈海の眉間に飛んで来るのだろうか。

そんな妄想をしていると、そんな心の中を探るような眼差しで慈海の目をじっと見つめて

「梨は?」

と尋ねられたのであった。

もしかして、妄想なんかではなく本当に合言葉を言われているのだろうか?
ドキリとしながらなんて返事をしていいかわからず、つい「梨が?」とつい反射的に返してしまった。
しまった……
さっき梨を食べたせいで、果物の梨のことかとてっきり早とちりしてしまった。けれども「無しは?」とおっしゃったのかもしれない。これはもしかすると、禅問答的な問いだろうか?こいつは本当に坊主かと探られたのではないだろうか?いや、だとしてもなんて答えれば正解になるのだ。なにが無いことなのだ。信心が無いということか。それとも、無疑心ということか。ああ、いやまて、慈海には結局ほんとうの慚愧が無いとおっしゃりたかったのか!

「ちょっとまってね。傷もんやけどようけある(沢山ある)から…」
慌ただしい脳内に反して、キョトンとした表情の顔のままの慈海に背を向け、くノ一は事務所に戻っていく。

”傷物”とはなんだ。たくさん?慈海にもたしかに脛に傷は少しくらいはあるけれども、所詮あまちゃんで、人生経験だってそんな豊富でもない。え?で?何しに事務所に戻られたんだ?懐の手裏剣じゃなく、長ドスでも持ってくるのだろうか。ああ、信心得たり顔をした慈海に、ぞろりと抜いた長どすの切っ先を突きつけて「あんちゃん、覚悟はええか?」とでも訊かれるのか?
ああ、こたえてやるとも。覚悟なんてこれっぽっちもないさ!小便チビリながら逃げ回ってやる!

「傷もんやけど、たくさんもらったから持っていきね。梨食べるやろ?」
ガサガサと音を立てながら戻ってこられたそのおばさんの手には膨らんだビニール袋があった。覗き込むと沢山の梨が詰まっている。

あああああ、なんてことだ!

本当に”梨”であった。
果物の、慈海の大好物の、みずみずしてくて爽やかで秋の味覚の五本指に入る果物。
これは、梨だ!

「え?えぇ!?下さるんですか?」
「いっぱいもらったさけ(沢山もらったから)持って行きね。傷もんやけど。」
「ああああああありがとうございます!」

手を合わせると、ニコニコ顔で手を合わせ返してくださった。

助手席にそっとその膨れたビニール袋を置いて、もういちど「ありがとー!」と叫びながら車を出す。
後ろから「ありがとうございましたー」とおばさんの声が聞こえてきた。

メーターが満タンを指している車を走らせながら、疑問がむくむくと頭のなかに湧いてきた。
なぜおばさんは急に梨を下さろうとおもったのだろう?

以前にも一度だけガソリンを入れたときに対応してくださったことはあったけれども、たいして会話もしたわけでもなかった。そもそも慈海がどこの誰かさえも、もちろん慈海の名前さえも知らなかったであろう。まさかお客さん全てに梨を配っているわけでもないはずだ。慈海が、坊主の姿(作務衣を着ていたし、昨晩頭も剃ったばかりであった)をしているから?ただそれだけ?別院に住み込みと話したから?

布施ということが頭に浮かびながら、日頃の慈海のだらしないところを思い出す。
シートを少し背を伸ばして座り直し、本当の布施に応えきれるものになることは慈海には永遠にないのだろなと、口に仏名をつぶやくのであった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ……

 

#今日の出来事をもとにだいぶ創作が入ってます。

如来様の“ちょっぺのこ”(福井弁:溺愛するほどかわいくてしょうがない子という意味)

今日は祖母の月命日。

うちのおばばさまは、大正生まれということもあってか、それはもう口が悪くて、性格もキツかった。しかし、口もたつけどそれに行動が伴う人であった。器用になんでもこなして、ボーッとしてることがなかった。だから、キツイこと言われても誰も何も言い返せなくて、より一層めんどくさいばあさんだったかもしれない。

慈海が小学生の頃、膝にイボがたくさん出来てしまったので、祖母に連れられて皮膚科の病院に行き、それらのイボを取ってもらう処置を受けた。処置室に通されると、お医者さんがアルミの水筒のようなものを出してきて、その中に長いピンセットを突っ込むと、モクモクと煙を吹き出す綿だったか何かを取り出し、慈海の膝のイボにそれを押し当てた。たしかドライアイスでイボを焼きつぶす処置だったように思う。ドライアイスとは言いながらも、膝に当てられたそれはとても熱く感じて、膝からモクモクと立ち上るその煙の様子と相まってとても恐ろしかったことを覚えている。熱いのと怖いのとで泣き叫びそうになったけれども、「男の子だからがまんしてねー」という優しく声をかけてくださる看護婦さんに涙を見せるのが恥ずかしくて「泣かない!僕男の子だから泣かない!」と、心の中で唱えて必死で耐えていた。

涙をこらえながら、歯を食いしばりながら、ふと付き添いで私のそばに立っている祖母の表情を見る。いつもいかめしい表情をしている祖母であったが、その時見たその祖母の表情は、慈海と同じように歯を食いしばって、眼鏡の奥にうっすらと涙が滲んでいた。

そんな祖母の表情を見て「なんでおばば様が泣いてんだよ」と、ちょっとだけ可笑しくなって、そしてなんだか痛みと恐怖が和らいだ。

如来さまの慈悲というのは、こういうことなのかもしれない。

金子みすずさんの有名な詩にこんなのがある。

わたしがさびしいときに、
よその人は知らないの。

わたしがさびしいときに、
お友だちはわらうの。

わたしがさびしいときに、
お母さんはやさしいの。

わたしがさびしいときに、
ほとけさまはさびしいの。

慈海が苦しかった時、ほとけさまも同じように苦しかった。
これを、「同悲」というそうである。

慈悲とは、ポワンとして暖かいものと表現されるけど、慈海はそんな曖昧な慈悲などいらない。しかし、仏さまの慈悲とは、今この慈海のリアリティそのままなんだろう。慈海が歯を食いしばっているそのままが、如来さまの慈悲に包まれている姿だ。

慈海は如来様のひとり子と聞く。

なんまんだぶ

# 過去のFacebook 投稿記事をもとに加筆修正しました)

これから静かな秋そして厳しい冬の準備に入っていきます

報恩講も終わり、来年春の御忌法要まで吉崎別院では大きな法要もなく、これから静かな秋そして厳しい冬の準備に入っていきます。

おあさじ前の掃除ではちらほらと蝉たちの死骸を見つけるようになりました。

読経の声に反応してか、お勤めを始めると一斉に境内の蝉たちがにぎやかになりました。彼らにも無常を知るすべがあったのでしょうか。ただの恋の叫びには聞こえず、お勤めの声が少し大きくなります。

「それ帰命といふはすなはちたすけたまへと申すこころなり。されば一念に弥陀をたのむ衆生に無上大利の功徳をあたへたまふを、発願回向とは申すなり。」

今朝の御文章での蓮如上人のお示しではございました。(五帖十三通)

南無とたのませしめ、阿弥陀仏と大悲を味あわせしむ。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

吉崎別院報恩講二日目がおわってぐったり

報恩講二日目も終わってぐったり。明日の午前中で終わりです。

一番汗かいてくださってる調理場の方々が、せっかく綺麗に荘厳されて、お仏華も豪華な本堂で、報恩講のお勤めもお聴聞もできないのが申し訳なくて、やっと落ち着いた夕方、日没勤行かねて本堂にお誘いしてお勤め、そして「法話」とはいかないけど短いお話をしました。

ご本山を破却され命狙われながら転々とされた蓮如さんの悲願であったこの「報恩講」の法要。 それはなぜかと言えば、ただただ、この我の「安心(あんじん)」のためでした。

蓮如さんのようにはいかんけど、せめ一人でも多くの方とご一緒に「安心して不安を生かさせてくださる」このお念仏をいただきたいです。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

日常の中の、非日常という日常

吉崎での生活が「日常」と思わなくなるくらいに、慈海の日常となっていたようだ。

先週末、仏教婦人会の方々が本願寺吉崎別院での清掃奉仕にいらしてくださった。おかげさまで境内どこもピカピカになり、今朝の朝掃除がとても楽であった。

朝起きて、掃除をして、晨朝勤行(じんじょうごんぎょう、朝のお勤め)の準備をする。炭をコンロにかけ、火をおこしてお御堂の香炉でお参りされた方がお焼香できるようにする。少し汗を拭いて、着替え、勤行。お勤めが終わったら、ひとり朝ごはんをいただく。一人だから簡単な食事だ。

なんとなく、まだこの「お寺ぐらし」の生活に慣れていない気分もあるのだけれども、この”ぐうたら”な慈海が誰かにお尻を叩かれなくても一人で起きて、自然と掃除に体が動く。

今朝は、掃除をしながらたくさん違和感を感じた。
ホースの片付け方、雑巾の場所、ちょっとしたものたちの風景が、いつもの景色と少しづつ違っている。そうか、仏教婦人会の方々が掃除してくださったからだと、改めてそのことに気づいて新鮮な気持ちになる。

見慣れているはずのいつもの景色が、ほんの少し変わるだけで新鮮な気持ちになることがある。
日常の中に、また別の日常が、非日常的に立ち現れて、またそれが日常の景色となっていく。

お念仏の話を聞くと、そんな気持ちになる。

この口から 「なんまんだぶ」と聞こえる風景は、非日常的なことかもしれないけれども、それがまた、日常の景色と溶け合っていく。この無常の身を常に照らす。

なんまんだぶ

今年も真夏の報恩講が始まります

 

今年も本願寺吉崎別院の報恩講がお勤まりになります。

期間は8月7日から9日まで。
7日と8日は、午前10時からと、午後1時半から。
9日は午前10時からのみです。
7日と8日はお斎(オトキ、法要の時に出るお食事)がでますよ。
※お斎を召し上がりたい方には御懇志1000円以上をお願いされています。

真夏の報恩講。
汗だらだらで御聴聞です。
今年の御講師様は、福井県千福寺ご住職の高務先生です。
大きなお体から軽快な語り口でお取次ぎされるご法話、慈海も今からとても楽しみです。

毎年恒例、真夏の報恩講法要。
報恩講と聞くと、この御文章を思い出します。

そもそも、今度一七箇日報恩講のあひだにおいて、多屋内方もそのほかの人も、大略信心を決定したまへるよしきこえたり。めでたく本望これにすぐべからず。さりながら、そのままうちすて候へば、信心もうせ候ふべし。細々に信心の溝をさらへて、弥陀の法水を流せといへることありげに候ふ。(略)
<帖内 二帖1通目「御浚え」の御文章より>

「細々に信心の溝をさらへて、弥陀の法水を流せといへることありげに候ふ」
マメにこの信心の溝をさらって、如来様の法の水を流しなさいな。
こういう表現って、蓮如さんやなぁと思いますよね。

昔の人は「耳を育ててもらった」なんて表現をよくされたそうですが、世事にかまけ、浮世に耳を奪われ、その中でついつい「正しさ」という耳でモノゴトを聞くクセがついてしまいますけど、マメにこの耳に法を聞かせててやらにゃぁ、ついついこの慈海は如来様をこちらに引き寄せて考え始め、自己弁護、自己正当化、自己満足の道具にしようとしてしまいます。

「御信心」がなにかそういったモノがあるように思い込み、「御信心」を頭でカタチ作り、「御信心」を少ない言葉で小さくまとめようとしてしまう。
そんでもって、いつか、どこかで、だれかが、わけのわからないものに成るといった、わけのわからない話をし始めるのです。

信心の溝は、この耳にある。この慈海の耳を通って、如来様の御信心が なんまんだぶ と流れてくださる。

暑いさなかだけれども、どうぞどうぞ、この「溝さらい」に吉崎までいらしてください。
汗を流しながら、法の水をこの耳に流し込んでもらいましょ。

さて、ということで、吉崎のこの報恩講がおわるとすぐにお盆です。
なんだかんだ言って、日本人なら一年で一番「仏教」に触れる機会が多くなるのが、このお盆の時期じゃないでしょうか。

お寺さん界隈は、全国的にざわざわと忙しい時期に入って、なんだか浮かれた感じにもなってきますが、この時期、何を願い、何を拠り所とするのか、一緒にゆっくり味わえたらいいですね。

なんまんだぶ

 

手紙を送る。手紙をもらう。

たまに母に手紙を送る。

離れたところで暮らしているとはいえ、週に一度は父母と食事をしたりしてちょくちょくと顔を合わせている。だから、あらたまって手紙を書くのも気恥ずかしいのだが、痴呆が進む母にとって息子からの手紙はいい刺激にもなるようだ。むず痒い照れはあるものの、そんな感情を押しのけてたまに手紙を書いている。

用事で父に電話をすると「今泣いて読んでたわ」と笑っていた。早速返事を書いているそうである。

色々と出来ないことも増え、忘れることも多くなり、今後自分がどうなってしまうのか、自分が自分でなくなるような、おそらくそんな恐怖と常に戦っている母ではあるが、筆を持つと「自信」を取り戻す。

これまでと同じように返事を書いたことはおろか、息子から手紙が届いたことさえも明日朝には忘れてしまうかもしれないが、何か嬉しいことがあった感情だけは心に残っていて、機嫌がよくなるようである。そして、たまに引き出しから忘れてしまっていたその手紙を見つけ、「あらこんなのもろてたんやわぁ!」とまた新鮮な気持ちで読んで涙ぐんでくださるのであろう。

「忘れる」ということは、ときに幸せなことでもあるのかもしれない。

会えばいつも同じ話を繰り返し、「あんたここだけの話やけど」を何十回も繰り返してはまた同じ話が始まる。一緒に生活している父にとってはまるで苦行のようであるそうだが(笑)、文句も愚痴だけでなく、喜びまでも、何度も何度も新鮮に味わっているのかもしれない。

母の息子であるから、慈海もいずれ同じにように痴呆になるのかもしれない。
今、母が見せてくださっているように、なんども同じことに腹を立て、なんども同じことに悲しみ、なんども同じことに喜ぶようになるのであろうか。

慈海には手紙を書いてくれるような子はその時にはいないであろうが、今とりかえしとりかえし戴いているこの蓮如さんからのたくさんのお手紙(文章様)に、なんども同じように頭が下がり、なんども同じように喜べる、そんな爺になりたいものだ。

自分が何者かも忘れ、どこにいてどこに向かっているのかさえもまたわからなくなったその時に、「摂取不捨」のすくいを新鮮に驚けるのは、すこし楽しみかもしれない。

そのときに、慈海の口からお念仏が溢れてくれたら。

なんまんだぶ

残響

久々に晴天が続き、風雪厳しいこの吉崎にも春の兆しを感じ始めた。
冬の間は特にお参りの方の足音も聞こえず、いつもにもまして寂びさびとした境内であったが、ふらりと訪れてはお念仏を申されて帰って行かれる方の姿もぽつぽつと見かけるようになった。早朝には鳥たちが「アーサムイサムイ!スヲツクロウ!スヲツクロウ!」と騒がしくなり、床を掃除すると風で飛ばされてきた花粉が雑巾を黄色く染めるようになってきた。

今日から三月である。
春の兆しを感じ始めたとはいえ今朝も霜が降った。お御堂に入るとひんやりと冷えた空気が鼻の奥をくすぐる。明かりを灯し、香を焚き、お仏飯をお供えし、いつもと同じく晨朝勤行(おあさじ、朝の勤行のこと)をお勤めする。たまにお参りの方もいらっしゃることがあるがほとんど一人きりのおあさじである。昔は毎朝通われた方もいらっしゃったそうであるが、そういった方々も高齢になり、また先に往生されていかれたそうだ。しかし誰も来ないからといって、この別院で晨朝勤行をしないわけにはいかない。

まだまだへたくそだけれどもせめて声だけでも大きくと、正信偈を誦しながら阿弥陀様のお顔を見上げるとその表情が明るい。この時間でも日が本堂に差し込むようになってきたからか、お優しくて柔らかい如来様のその表情にみとれながらひとり声を出し続ける。

二百年以上前から残る総欅(ケヤキ)の伽藍に、自分の声が反響して心地いい。大きなお御堂でのおあさじは、どんな日でも本当に気持ちいいものだ。ふと、昨日お参りに来られたご夫婦と、この本堂で会話したときの話を思い出す。

そのご夫婦は、以前にもご参拝にこられたことがありその時も慈海とお話をしていた。愛想よく始終嬉しそうに笑われる旦那様と、静かに優しくたたずまれる奥様は、仏様のお話をとても喜ばれ、お二人ともとても聞き上手であった。ついつい話も長くなり、そろそろお帰りになられるとのことで、最後にご一緒にと、仏様の方に向かって手を合わせると、不意に旦那様が「なんか聞こえんか?」と奥様に尋ねられた。「なんかお念仏聞こえる。聞こえんか?」三人で息をひそめ、阿弥陀様の方に向かって耳を澄ませる。

風の音であろうか、それともストーブの音であろうか、かすかに高くすんだ声のお念仏のような声が聞こえた気がした。「この本堂はもう二百年以上お念仏がしみ込ませ続けていますから、もしかすると過去無数の方々のお念仏が、柱やら壁やら天井やらからしみだしてるのかもしれないですね。」と慈海が言うと、「あははは!それは間違いない。間違いない!そうかもしれん!」と旦那様たいそう喜ばれた。

無数の方々が、それぞれの人生のなか、それぞれの思いを抱え、それぞれの口から、なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ ……とこの吉崎でお念仏をされてきた。蓮如さんの当時からしみこみ続けたその響きの記憶と、今私の口から聞こえるお念仏の声とが、共鳴するかのようである。そういう意味で言えば、「聖地」という言い方はあまり当流では言わないかもしれないが、やはりまさしくここはお念仏の聖地であったか。少なくとも慈海にとってここは、お念仏の聖地であり、僧侶としての原点の地でもある。

軒を連ねるお隣の大谷派さまの別院では、毎年蓮如上人御忌法要にあわせ、京都のお東のご本山さまから吉崎まで、蓮如上人の御影を御輿に乗せて往復歩いてお運びされている(蓮如上人御影道中)。毎年、この道中を往復全て歩かれていらっしゃるという方がある。中には八十を過ぎてらっしゃる方もいらっしゃるそうだ。六年前、たった片道だけ歩いただけで自身の誇りに思ってしまっていた時もあった。六年前の三月一日、京都のご本山(西本願寺)を出発して、この吉崎に向かった。七日間の旅路であった。片道であるから240キロほどであったか、もっと短い距離だったかもしれない。しかし、毎年八十過ぎて往復500キロほどを踏破されるうえに、十日間の法要も泊りがけでお勤めされるような、そんなバケモノのような方の話を聞くと、なんだか自分が恥ずかしくなる。

数年前、まだ吉崎に住み込みでご奉公することになるなんて夢にも思っていなかったとき、夜中にふと蓮如さんに会いたくなり、実家からこの吉崎別院まで車を走らせたことがあった。境内の前、石階段の下から念力門を見上げると、その門の屋根の向こうに見事な満月が見えた。つい時を忘れ、その念力門と満月の景色をしばらく眺めた。自分自身が慈海なのか、念力門なのか、はたまた月であるのか、眺めている方であるのか眺められている方であるのか、仰いでいる方なのか仰がれている方であるのか、分からなくなるような、不思議なひと時であった。

数限りない方が、お念仏とともにくぐられ、お念仏喜ぶ方々の力によってこの地に運ばれ、今日もまた様々な方のお念仏を聞きながら、念力門はこの地にたたずんでいる。

ああ、いずれこの慈海の口から聞こえるお念仏も、この地の残響となるのであろうか。
なんともったいないことであろうか。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

春の兆し

早朝の鳥の声がまた賑やかになってきました。夜中にネコの唸り声を聞いたり、日中から本堂脇にイタチを見かけたり、夜にはタヌキも喧嘩しながら通り過ぎて行ったり、動物たちもにわかに活気づいてきました。もうすぐ春だなぁ。梅の香りでも探しに行きたくなります。今日はいい天気。

歳を重ねるごとに、冬の寒さのなかで春の兆しに気づくようになってきたのは、季節はめぐることを知ったからでしょうか。

先日、父が急に
「おい、お念仏があってよかったな!」
と声を上げました。
何事かと思ったら、死ぬということがわからなかったけれども、行くところがあるということやなぁと。それはとても幸せなことやなぁと、しみじみ語り始めました。

ありがたいことです。
なんまんだぶ