まるでそこに蓮如さんがいらっしゃるかのように

今日いらしたその方は、部屋に入りその塑像を見つけられると、静かに前まで進まれて、ゆっくりと正座されると手を合わされた。

「なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ …」

手にされているお念珠が、小さなお念仏の声とともにゆっくりと揺れる。

案内していた慈海は、その光景に息をするのを忘れる。気が付けば慈海自身も膝が折れ、同じく背を正して座り、手が合わさっていた。

「なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ …」

これまでも幾人かの方々をその塑像の前までご案内した。そしてどのかたも、その朽ちかけた塑像を見下ろして、「あらぁ」と驚きの声を上げ、眉をひそめ、「もったいないねぇ」「なんとかせんとねぇ」と言いながら通り過ぎて行った。

それは、慈海も同じであった。

いままで、このお姿に手を合わせようとしたことがあっただろうか。ただ単に、モノとしてしか見えていなかったのではないか。

「そうですかぁ……。釈尊のおっしゃることは、ほんとうに真でありましたなぁ」

そうおっしゃいながら、ゆっくりと立ち上がられるお姿は、まるでそこに蓮如さんがいらっしゃるかのようにも見え、なんともかたじけない思いがした。

なんまんだぶ

母は何度も何度も予定を確認する。

母は何度も何度も予定を確認する。

机の上に置いたカレンダーの書き込みを見て、手帳を出して、同じことを繰り返し繰り返し何度も何度も確認し、何度も何度も何度も何度も同じことを父に尋ね続ける。

安心できないのだろう。
確認しても確認したことを忘れてしまい、メモをしてもメモをしたことを忘れてしまい、父に尋ねて理解したこともまた聞いたそばから忘れていく。忘れたことを忘れてしまうので、毎回毎回確認することも、メモをすることも、尋ねることも、その時その時が「初めて」のことなのだ。

疑問に思ったことを何度も同じように疑問に思い、慌てたことも何度も同じように慌てて、不安になったことも何度も同じように不安に感じ、腹を立てたことも、嬉しかったことも、笑ったことも、全部が毎回初めてのことように繰り返す。

「そういえばそんな話したっけ?」とか「そういえば聞いてたわね」ということも無い。完全にその度、その度に忘れていく。

忘れるということは、どういうことなんだろうと、繰り返し繰り返し予定を確認する様子を、もはや機械的に同じように返事をしつつ何気なく観察していると、ふいに母は”どこに”居るのだろうかという気持ちになった。

それは、裏返せば、この私が”どこに”居るのだろうかという恐ろしい不安でもある。

ふとそのことを思い出し、先日お取次ぎした法話で「こちらが忘れても、忘れてくださらん方がいらっしゃった」と、以前聞かされた話を取り次いだ。

そのことさえも、また私自身も忘れてしまうのだろうけど、忘れていない間は、心強いことでもあるし、忘れてしまってもまたそう聞かされたなら、その聞かされた瞬間だけでも、安心できるのかもしれない。不安は消えないけれども、その不安は「安心」の座上にある。

なんまんだぶ

Youtube「仏教どうでしょう?」のこと

どうも、慈海です。お久しぶりです(‘ω’)ノ

突然ですけどYoutube「仏教どうでしょう?」はチャンネル名を変えることにしました。新しいチャンネル名はまだ決めていません。
とりあえず、それまでの間は慈海が運営している「聞見会(もんけんかい)」の名前にしています。

そして、過去の動画も一部を除き非公開にしています。まぁ、なんというか、気まぐれでごめんなさい。
放送したりしなかったり、新しいシリーズを始めてみたりやっぱり途中で投げ出したりしていますけど、ずっと放送はしたいと思っていました。
けど、なんとなく初めてなんとなく中断したまんまの動画をアップしてばかりいたので、「また気まぐれで動画アップしてもなぁ(‘Д’)」とキッカケを見失って1年以上も経っていましたね。

で、「どれか過去動画の視聴数が四桁超えたらそれに関する動画をまたやろうかなぁ」とぼんやりと思っていました。あぁ、なんとやる気のない慈海でしょうか。ええ、それが慈海というやつです。すみません。

そしたら、なんか御文章の動画が気づいたら四桁超えてるので、あれまぁこれは困ったことだと、変なやる気がわいてきてしまったという今日この頃です。

ユーチューバーとか言う言葉もすでに死語っぽく感じ始めた昨今、こんなおっさんの顔をさらけ出して何を放送するんやろうと思っていますけど、なんですなぁ、やっぱり「御文章」ってすごいですよ。この「御文章」のすごさをですねやっぱりぜひ共有したいなぁなんて思っているわけですよ。こころのなかのJさんが「ユーヤッチャイナヨ」ってささやくんですよ。ええ、もちろんJさんというのはJIKAIさんのことですよ?

こんなユルイ感じでいろいろ書いていますけど、ガッツリ「御文章」についての動画をやろうかなって思っているわけです。

そういうことで、ガッツリ「御文章」の動画をちゃんと作ってみようかと思っています。

ということで、「仏教どうでしょう?」は近日名前も変えてまた放送を再開しようと思います。しないかもしれませんけど。いや、しますって。はい。

そうそう、ところで、このFBページもですね、あわせて名前とかいろいろ変えると思います。っていうか、このFBページって必要?いらない?ぶっちゃけあんまり見る人いないよね?Twitterでいいんじゃね?とか思ってるんですけど、まぁ存続も含めて何かご意見ありましたら是非是非コメント欄におねがいします。

なんまんだぶ

https://www.youtube.com/user/kuzjikai/

携帯電話をスピーカーフォンにしての晨朝勤行。

携帯電話をスピーカーフォンにしての晨朝勤行。

思っていたよりも、先方の方によく声が聞こえていた(むしろ聞こえすぎたくらい)様子で、こちらもまるで、今までと同じようにその方がお御堂で一緒にお勤めをされていらっしゃるような気持で、お勤めができました。

本堂だけでなく、中宗堂でのお勤めも携帯電話越しで一緒にされて、ご文章もしっかりとお聴聞され、さらに短いお話も聞いてくださいました。

「ご迷惑じゃないですか?お手間じゃないですか?」

と何度も恐縮されながらも、久々に一緒にお勤めできたのがとてもうれしかったご様子で、「それではまた明日同じ時間に。ようこそようこそのお参りでございました。」と電話を切りました。

蓮如上人がこの吉崎にいらっしゃったときから始められた「日常の勤行」。

電話を切った後、蓮如上人の方を振り向くと、いつものと変わらず静かに座っていらっしゃいましたが、まさかこの吉崎と、吉崎から遠く遠く離れた場所とで、こんな小さな機械を通じて一緒にその「日常の勤行」をお勤めできるということに、内心とても驚かれているのではないかなぁなんて思いましたが、きっと蓮如上人であれば、

何が驚くことがあろうか、驚くべきことは、
「無始曠劫よりこのかたのおそろしき罪とがの身なれども、弥陀如来の光明の縁にあふによりて、ことごとく無明業障のふかき罪とがたちまちに消滅するによりて、すでに正定聚の数に住す」(帖内御文章 二帖十五通)
ことであろう

と、おっしゃられるかもしれません。

なんまんだぶ

「晨朝勤行の際に携帯電話越しでお勤めの声を聞かせてほしい」

毎朝晨朝勤行にお参りに来られてた方から、荷物が届き、その上先ほど電話をいただいた。

荷物には、室内履き用のサンダルと、スピーカーのカバーに添えて、お手紙も入っていた。

慈海がいつも履いていたサンダルは、何度も壊れてそのたびに紐や針金で修理しながら使っていたのだけど、それに気づいてらしたようで「サイズ合うかしら?」と似たものを探して買ってこられたようだ。

スピーカーのカバーというのは、本堂にあるスピーカーには埃避けに黒いビニール袋をかぶせてあったのだけど、それの代わりにと、黒い布を繕ってカバーを作ってくださったという。

サンダルも、カバーも、まさか、そんなところを見てくださっているとは思わず、添えられていた手紙を読む手が震えた。

そして、先ほどお電話をいただいた際、そのお礼を伝えると、その方がなんだか言いにくそうに「あのぉ、お願いがあるのだけど…」とおっしゃる。

どんなお願いかと思えば、なんと、晨朝勤行の際に携帯電話越しでお勤めの声を聞かせてほしいということであった。

その手があったか!とうれしくなって、それじゃ明日の朝から早速そうしましょうかとお話しすると、「ご迷惑じゃない?ほんとにいいのかしら?」ととてもとても喜んでくださった。

ここしばらくまた一人のおあさじで、少し寂しい感じもしたけれども、お姿は見えなくてもまたご一緒に朝のお勤めができる。でも、携帯電話越しだとちょっと大変かもしれないから、何か他にもよい方法がないかなぁ。ネット経由は難しいし、やっぱり、しばらくは携帯越しかな。

お勤めの際に携帯を持ちながらというわけにはいかないから、スピーカーホンにして、畳に置いて、お勤めする感じになるだろうか。

なんだか、また朝のお勤めが楽しみになってきた。

なんまんだぶ

声をかけられるのは困るのだ。ほうっておいてほしい。

お御堂で一人黙って座って、小一時間じっとしてらっしゃる方をたまに見かける。中には泣きながらお勤めをされていらっしゃる方もいれば、ぼうっとご本尊を眺めていらっしゃる方、うつむいてらっしゃる方、腕を組んでコックリコックリされてらっしゃる方、時には仰向けになって眠るわけでもなく天井をじっと眺めてらっしゃる方もいたりする。

こちらからそっと声をかける場合もあるけれど、大抵はこっそり様子をうかがうのみで、仏様との会話の邪魔をしないようにしている。

そういう方を見かけると、自分がかつてサラリーマンだったとき、キリスト教さんの教会で同じように、ひとりでぼうっと座っていたときのことを思い出すからだ。

声をかけられるのは困るのだ。ほうっておいてほしい。神様仏様とだけ、ひっそりと、誰にも、誰にも聞かれたくない話を、しているのは邪魔されたくない。

とはいえ、全く人の気配もないと言うのは、なんだか忍び込んでいるような気がして、悪いことをしている気分になる。だから、微かに人の気配があるだけで、ちょっとホッとするのだった。こちらに気づいているのかいないのかわからないけれども、でも誰かがいる。もし、大きな声を出したらフラットな笑顔、作り笑顔でも満面の笑みでもなく静かな微笑みの表情で「ようこそいらっしゃいました」と言いながら聖なる装いをされた方がふわりと顔を出してほしい。

そんな我儘なことを思いながら、微かに聞こえる衣擦れの音や、遠くに聞こえる静かな足音に、ちょっとだけホッとしながら、ゆっくりと神様やら仏様と話をする。

それってつまり、自問自答であったり、妄想との会話だったりするのかもしれない。言葉にしてしまえばなんとも青臭くて、どうでも良いこと、つまらないこと、くだらない悩みなのかもしれないけど、でも、世間の喧騒のなかでかき消されてしまうような、そんなちいさなモノローグを、安心して吐露できるそういう場所というは、いつの間にか社会人になって、いつの間にか常識人になって、いつの間にか正解ばかりを求るようになってしまった、そんな「オトナ」になってしまった私には必要なのだったと思う。

「宗教」というのは、時として喧しすぎる。

だけれども、仏像も、絵像も、十字架は、何も語らずそこにあるのだった。宗教は、本来「沈黙」であってほしい。

言葉が聞こえるのは、自分の口からだけで十分なのだ。「南無阿弥陀仏」の念仏だって、勝手にどこからか無理やり聞かされるのだったら、ありがたくもなんともない。私の口から私が思ったときに、言葉となって聞こえてくるからこそ、なのだろう。

そんなことだって、でもやっぱりどうでもよくて、ただただ手を合わせられる場所があって、静かに誰にも聞かれたくない話を、誰からも声をかけられることなく、そこに座っていられるそんなところがあるというのは、とても頼もしいことでもあった気がする。

なんまんだぶ

「なんや、死んだ後の方が忙しそうやな。」

「今日とも知れず明日とも知れず、ってなぁ~」

そう言いながら近所のおじさんが入ってこられた。数か月前に癌が見つかり、手術をしたものの全身に転移して今は抗がん剤を投与されながら、それでも「食ってかなアカンからな」と、林業の仕事を続けていらっしゃる方だ。

「これが入道(慈海のこと)に会うのも最後になるかもしれんなぁ~」

と、にやりと笑いながら話し始めたことは、最近のニュースの話だったり、政治の話だったり、グチだったり、家族への感謝の言葉だったりと、とりとめもない。

「まぁ、でもよ、おれもちょーっと悪いことしてきたからよ、ちょーっとだけだけどな、ほんのちょーっとだけ、まぁ、俺みたいなどうしようもないやつは、間違いなく地獄行くんだろうからよ。だから、入道、死んだら俺が迷わないように”さっさと地獄行け”ってな、お経あげにきてくれな。」

と笑い顔とも、泣き顔ともわからない表情で話される。

「そやねぇ。間違いなくおんちゃんは地獄行くんやろうね。」

そう言いながら、涅槃経にある『阿闍世の廻心』の話をする。

「だから、そやねぇ、死んだあとお浄土でぼーっとしてられると思ったら大間違いやろうねぇ。今娑婆世界にいるときの方がぼうっとしてられるんかもしれん。やから、今のうちにしっかりぼけーっとしといたらいいやないの。」

というと、

「なんや、死んだ後の方が忙しそうやな。」

そう言って困った顔を作った後に、またにやりとあどけない男の子のような表情で笑うのだった。

酒の匂いか、薬の匂いか、少し甘ったるいにおいの息を吐きながら、「ほなまたな!」と帰っていかれたと思ったら、しばらくしてこんどは参拝者の方らしいご夫婦と一緒にまた階段を上がってこられた。

「おーい!お客さんや!説明してやってーや。」

遠方から「一度来たかったんです」とおっしゃるそのご夫婦にいろいろとお話をしている間、おじさんも隣に座って静かに話を聞いてらしたけれども、突然

「よかったやろ!来てよかったやろ!いい御縁にあえたな!」

と大声で声を出すそのおじさんの目から、涙がボロボロとこぼれていらっしゃった。

なんまんだぶ

聞いてないのは慈海だった

お取り次ぎしたご法話を録音しておいて、実家に寄った際に父母と一緒にそれを聞く(お聴聞する)のが、最近の恒例になっている。

父は聞きながら「うーん」と唸ったり「早口やなぁ」とダメ出ししながら聞いている。
母は始終手を合わせっぱなしでお念仏しながら聞いている。

最後のご文章拝読のところに差し掛かると、父は寸評が始まる。母は一緒になってご文章を諳じる。
「うるさい!肝要はご文章や。黙って最後まで聞きね!」と慈海が言うと、父はゴニョゴニョ言って口を閉ざすが、母は小さい声でそれでも諳じ続ける。

「ご文章は聞きもんやで、お母さんも聞いてねの」
と言うと
「ほんでも、聞こえると出てきてまうんやもん。」
と母が悲しそうに言う。

聞いてないのは慈海だったと気づく。

なんまんだぶ

「この時間が、一番心が休まる時間でした。」

昨年の秋から毎朝吉崎の晨朝勤行にお参りに来られるようになった方がいらっしゃる。

最初は7時からのお参りに来られるだけだったけれども、いつからか5時過ぎにはいらっしゃるようになって、慈海と一緒に朝の掃除を手伝ってくださるようになった。

落ち葉がひどい時期には雨の日も傘をさして境内を掃いてくださり、冬になって掃除が楽な時期になると時間を持て余したのか「ほかになんかやることありませんかねぇ?」と、こちらがお願いするわけでもないのに、雑巾を持って、慈海が気づかないところなども率先してあちこち掃除してくださった。

しかし、春の気配がし始めたころ、息子さんの仕事の都合で朝来るのが難しくなったという。それでもせめてお参りだけでもしたいと、7時から8時までのお勤めにだけは出られていた。

「ごめんなさいねぇ。お掃除したいんだけど……」
と何度も謝られたけれども、もともと謝られるようなことではない。「いえいえ、お参りに来てくださるだけでもとてもうれしいです。もともと掃除は私の仕事ですし、本当にありがとうございました」とこちらも何度も言うのだけれどもそれでも「ごめんなさいねぇ」と繰り返された。

毎朝のお勤めでは、本堂で正信偈と御和讃の繰り読みをいただく。最初のころは正信偈を「昔聞いたことがあるかも?」という感じであったので、晨朝勤行聖典をいくつか購入して別院に寄贈し、貸出用として本堂に備え付けた。

御和讃の繰り読みは、僧侶であっても毎日お勤めしていないとなかなか難しい。おばさんも最初はただ聞いているだけだったけれども、そのうちたどたどしく声を出されるようになり、最近は大きな声で慈海の声に合わせてお勤めされるようになっていた。

中宗堂では讃仏偈のお勤めの後にご文章を拝読する。吉崎別院では帖内80通を、こちらも繰り読みしていく。慈海が拝読している間、頭を垂れていつも静かに聞いてらした。御文章を拝読した後、その日拝読した御文章の解説も交えながら少しお話しをする。時には興が乗ってしまい長い時には20分くらいお話をしてしまう時もあったけれども、いつも真剣に聞いてらして「ありがとう、ありがとう」と嬉しそうに帰っていかれた。

吉崎に来られたばかりのころは、いつも吉崎の晨朝勤行にお参りに来る前に、近くの神社にもお参りをして、息子さんの商売繁盛をお祈りしていたという。あるとき、今でもお参りに行ってるのですかと尋ねると「いやぁ、今はこちらだけ来ています」とおっしゃる。”雑行雑修自力のこころを振り捨てて”と蓮如上人に聞かされたからだという。「もちろん神様をないがしろにはしてませんよ!でも、”たのむ”のは阿弥陀様だけですもんね」そうおっしゃって、手を合わせられた。御文章を毎日お聴聞されるというのは、こういうことかと、蓮如上人御真影を仰いで、お念仏を申さざるを得なかった。

その方が、急遽故郷に帰られることになった。
明日の晨朝勤行のあと、飛行機で故郷のご実家にお帰りになられるという。今朝の晨朝勤行の後突然そのことを聞かされた。

「帰敬式を受けてね、もし私が死んだらここに名前を載せてもらいたかったけれども…」と帰り際涙をこらえながらそうおっしゃった。

(吉崎別院では永代経を納められた方々のご法名を中宗堂の蓮如上人御真影の隣に掲げている法名軸にお書きしている)

そして、「この時間が、一番心が休まる時間でした。」そう言って、ありがとうありがとうと、お帰りになっていかれた。

その方がいらっしゃるようになったころは、慈海は少し落ち込んでいておあさじの時の声も小さくなっていた。朝の掃除もなんだか面倒に感じ始めていて、いくら綺麗にしてもそれが何の意味があるんだろうとか、そんなことを思う日もあった。すこしたるんでいたように思う。

でも、どんなに天気が悪くても、どんなに寒い朝でも、まだ暗いうちから小走りで別院までいらして、だれに何を言われるわけでもなく、黙々と掃除をし、お参りをされて行かれるその方の姿に、大切なことを忘れていたことを気づかされた。

蓮如さんが、慈海にカツを入れるために、その方を呼んでくださったのかもしれない。そんな風に思えた。蓮如さんのご文章をお聴聞するということはどういうことなのか。お念仏をよろこぶということはどういうことなのか。慈海のような愚図は、ついつい愚かな知恵を働かせて、さかさかしく分かったつもりになりがちである。そんな慈海に、蓮如さんは厳しく沙汰してくださっているように、その方のお姿に感じていた。

また一人きりの朝の掃除、晨朝勤行に戻ってしまう。
正直に言えば、とても寂しい。けれども、たった半年ほどであったとはいえ、ともに如来様を仰ぎ、ともに蓮如上人のお取次ぎを聴聞した方が、姿は見えなくても、声は聞こえなくても、違う空の下で同じく蓮如さんのお示しを聞き続け、同じくお念仏をよろこびあえる人ができたというのは、なんとも心強いことか。

今朝の晨朝勤行の後、その方がお帰りになった後でいつも通り蓮如さんに向かってあらためて少しご挨拶をする。その時「その命を捨てよ」とおっしゃったようにも聞こえた。

なんともかたじけないことである。

なんまんだぶ

「私にはね、毒が、毒があるんです。」

お晨朝が終わってお御堂から出たところ、ぽとりとムカデが足元に落ちてきました。

「おぉ、ようこそお参りに来なさった。朝のお勤めは気持ちいいすねぇ。」
と声をかけるのですけど、こっちの声が聞こえていないのか、慌ててどこかの隙間に逃げ込もうとジタバタしています。

「そんなん慌てんでも別につぶしたりしませんよ。」
と声をかけると、そのムカデは、落ち着きなくジタバタさせていたたくさんの足を少し止めて、

「いやぁ、そんでも私は…臆病なもんで……あの…つい、ついですね、驚いくとかみついてしまうもんで……」
と、見た目と違ってなかなか謙虚なやつでした。

「驚かせたのは私の方だし、咬まれたわけじゃなし、まぁゆっくりしていきなさいな」
と声をかけると、

「いやぁ、そんでも、そんでも、私は、私にはね、毒が、毒があるんです。だから……」
そうしょぼくれたあと、またバタバタと足を動かして、床板の隙間に隠れていきました。

なんまんだぶ