1月14日、毎年この日は三国町にある憶念寺さまで「御正忌報恩講」が勤修される。四年前から、こちらでのご法話お取り次ぎをお任せくださっている。
「御正忌報恩講」というのは、1月16日にご往生されたご開山親鸞聖人のご命日法要のことで、ご本山の本願寺(西本願寺)では毎年1月8日から16日まで、この法要がお勤まりになっている。
いわば、キリスト教様のイベントで言えば、イエス・キリストさまの誕生をお祝いされるクリスマスのような行事といえば、わかりやすいかもしれない。
ご命日を誕生日と同じというと、おかしな感じがするかもしれないけれども、日本では誕生日よりも、命日を大切にする事のほうが多いのではないだろうか。亡くなった方の誕生日を祝う行事というのは少ないけれども、亡くなった日つまり命日に法要などを行うのは、日本文化が仏教文化と密接であるからであろうか。どうだろうか。
まぁ、文化的にどうかは知らないけれども、少なくとも、私らお念仏の同行(どうぎょう)は、死を無に帰する出来事とは捉えない。浄土に生まれる日と聞かされている。つまり、真実に生まれていく本当の誕生日が、命日ということか。
であるから、ご開山聖人がお浄土にお生まれになっていかれたこのご命日を盛大にお祝いし、ご開山聖人が示してくださった浄土往生の道、生死を出ずる道の教えのご恩を改めて報(しら)され、また、その御恩にお礼を告げるのが、この「報恩講」という法要であった。
慈海にとっては、ここ数年は、毎年今日が、ご法座でのお取り次ぎ始めとなっている。今日のご法座が済むと、ああ新しい年が始まったなぁという実感がやっと湧いてくる。
いつもなら、この後15・16日とご本山にお参りに行くのであるが、今年は吉崎別院で16日にこの御正忌報恩講がお勤まりになるので、残念だけれども、ご本山へ上がるのはご無礼することになる。
一年で最も寒い時期である。
今朝のお晨朝勤行は特に冷えた。風もおそろしくお御堂を揺らすなかであったけれども、この寒さの中であっても、口に世事を交えずただ仏恩の深きことをのみおっしゃってられたというご開山聖人を思うと、また背筋が伸びる思いであった。もったいないことやなぁ。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ