電話越しの晨朝勤行というのもなんとなく慣れてきて

なかなかバタバタ落ち着かず、落ち着いた日常を過ごせずにいますけれども、忙しいのではなくて、なんとなく気ぜわしいのでした。

それでも、晨朝勤行のときはゆっくり仏様の前に座っていられるので、「日常の勤行」ということを定めてくださった蓮如上人には、かたじけないばかりなのです。

電話越しの晨朝勤行というのもなんとなく慣れてきて、まるでそこにいらっしゃるかのような気持ちで、以前実際にそこにいらっしゃったときと同じように、お勤めをしています。

電話の向こうのその方も、電話越しに聞こえるお勤めの声はもちろんのこと、かすかに聞こえる足音や、衣擦れの音からも、私の様子が手に取るようにわかりますとのことで、「慈海はこれまで通り気を抜くことできませんね」と、笑いあったことでありました。

先日、電話越しにお若い声がかすかに聞こえました。お勤めの後電話の向こうにそのことをたずねると、小学校低学年のお孫さんが泊まりに来ていたそうです。「おばあちゃんなにしてるんだろ?」と、一緒にお仏壇の前に座り、仏様に手を合わせ、おばあちゃんと一緒に、携帯越しの慈海の声を聞きながら、お勤めをされていらっしゃったとのことでありました。

電話越しに声をかけると、恥ずかしそうに挨拶をしてくれるかわいい声と、嬉しそうにお孫さんを紹介してくださるおばさんの声が、朝からお御堂の空気を柔らかくしてくれました。

お勤めが終わればまた気ぜわしい日常が始まるのです。あれやこれやあれやこれやとばたばたとしながら、食うて寝て食うて寝てを繰り返すばかりであるけれども、それもまた、手を合わせる間のモノゴトなのでありました。

なんまんだぶ