新しい年が始まりました。また一つ歳を取りました。なんまんだぶ
さて、今年の年賀状は、越前和紙のハガキに、蓮如さんがいらっしゃった御山から湧き出ている水で墨をすって筆を走らせました。
先日聞いた話ですが、越前和紙というのは、蓮如さんがこの地にいらしたことから工芸として発展していったのだと、越前和紙職人の方がおっしゃっていらっしゃったそうです。その方いわく、それは和紙だけでなく、漆器や打刃物などについてもきっとそういうことが有るだろうとのことだそうです。
なぜ蓮如さんがこの地にいらしたことで越前和紙という工芸が盛んになったのか?それは蓮如さんのご功績といえば和紙に関係することが多くあるからでしょう。この地で正信偈和讃でのお勤めを定められ、それに合わせてお勤めの本をこの地で印刷し門徒衆に配り始められました。当然当時は本にする紙は漉いた和紙です。そして多くのお名号を下付されるようになりましたが、そのお名号を書くのももちろん和紙に書かれるわけです。さらにはご文章、つまりお手紙というのも紙です。蓮如さんと和紙は切っても切れない関係にあったのかもしれません。
さて、蓮如さんと紙といえば『蓮如上人御一代聞書』にあるエピソードを思い出します。
蓮如上人、御廊下を御とほり候ひて、紙切れのおちて候ひつるを御覧ぜられ、仏法領の物をあだにするかやと仰せられ、両の御手にて御いただき候ふと[云々]。総じて紙の切れなんどのやうなる物をも、仏物と思し召し御用ゐ候へば、あだに御沙汰なく候ふのよし、前住上人(実如)御物語り候ひき。
<現代語>
蓮如上人が廊下をお通りになっていたとき、紙切れが落ちているのをご覧になって、「阿弥陀仏より恵まれたものを粗末にするのか」と仰せになり、その紙切れを拾って、両手でおしいただかれたのでした。
「蓮如上人は、紙切れのようなものまですべて、仏より恵まれたものと考えておられたので、何一つとして粗末にされることはなかった」と、実如上人は仰せになりました。
「仏法領の物」をこの現代語訳では「阿弥陀仏より恵まれたもの」と訳してらっしゃいますが、慈海は「阿弥陀仏の物」と表現したほうがしっくりくる気がします。阿弥陀様のもの、仏からお借りしているもの、という感じでしょうか。ああでも、同じことかな。
ともあれ、
「もったいない」という日本語の根底にはこういうことがあるんだろうなと思います。御恩報謝ということについてもそうです。たんに粗末にしてはいけない。大事にするというだけでは、子供だって納得できない。なぜ粗末にしてはいけないのか。なぜ大事なのか。それは、私のものではないからです。この私の体でさえも、仏法領の物かもしれません。それが言いすぎであるならば、如来様の御恩を被る身であるからこそ、大事にするんでしょう。長生きするため。やりたいことをやるため。健康で気持ちのいい日常を送るために、大事にするわけではないのでしょうね。仏様のおはたらき場であるのが、この私という体ですから、そりゃ、自分勝手に粗末にしてはいかんのでしょう。といいながら、慈海は正月お下がりのお餅を食べすぎて数キロ太ってしまったのですが、あはは。。。 いや、これは、お供えのお下がりを大事にしたんです。ゲフンゲフン。
話題がそれました。
ということで、蓮如さんと紙の話でした。まぁ、ソースを追ったわけでもないですし多分に想像だけで話しているので、勘違いとかもあるかもしれませんけど。
蓮如さんがご文章をお書きになられた越前和紙に、蓮如さんも同じように墨をするときに使われた御山の湧き水。今朝もこの正信偈和讃でのお勤めが始まった場所で、同じく正信偈和讃でのおあさじを戴き、蓮如さんお形見の御真影の前で、蓮如さんからのお手紙であり、お形見のご法話であるご文章様を聴聞し、蓮如さんが形見としてくださった御六字を「なもあみだぶ なもあみだぶ なんまんだぶ なまんだーぶ」と口から耳に聞かせてくださいました。まるで法の水の中に身を浸しているような気分です。
どうです?吉崎暮らしってなかなか羨ましい生活でしょ?
風雨荒く、県境で辺境の地とも言われますし、アクセスはしにくいけど、ほんと仏法のど真ん中の場所ですよ。吉崎って。
けど、まぁ、それは吉崎だけが仏法のど真ん中ではなかったですね。この口からお念仏が聞こえる場所がどこであっても、如来様のど真ん中、正信偈のお勤めをすればそこに御開山上人もいらっしゃって、ご文章をお聴聞すればそこが蓮如さんの御法座にいるのと同じでありました。
どうぞ今年も、ともに仏法に身を浸し、ともに如来様の智慧の光を仰ぎ、ともに如来様の御恩とともに なんまんだぶ とよろこばせてくださいませ。
なんまんだぶ