「生活の中での仏法ではない。仏法の中での生活です。」
以前、福井東別院さんでの暁天講座にて池田勇諦師はそうお話しされたそうである。
かつて蓮如上人も
その籠を水につけよ、わが身をば法にひてておくべきよし仰せられ候ふよしに候ふ。
と仰せられたそうだ。その逸話は蓮如上人御一代聞書にある。ある方が蓮如上人に、
「わたしの心はまるで籠に水を入れるようなもので、ご法話を聞くお座敷では、ありがたい、尊いと思うのですが、その場を離れると、たちまちもとの心に戻ってしまいます」
と申しあげたところ、蓮如上人はその方に、
「その籠を水の中につけなさい。わが身を仏法の水にひたしておけばよいのだ」
と仰せになったという。
浄土真宗の門徒にとって、日々の暮らしの中での基点ともなるべき”たしなみ”といえば、毎日の日常での勤行であろう。朝起きて、顔を洗い寝間着を着替え、身支度を整え、仏間に向かい、お仏壇の扉を開け、仏様の周りに埃や汚れを見つけたらそれを掃除し清め、仏花の水を替え、御燈明を灯し、香を焚き、炊き立ての釜から湯気の昇るご飯を仏飯器によそい、自身の息がそのお仏飯にかからぬよううやうやしく頭上に掲げながら、そろりそろりと仏様の前にお供えしたら、背筋をのばして仏様の前に座るのだ。「なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ … 」とお念仏をつぶやいて、仏様のお姿を仰ぐと「チーン チーン」と”キン”を二度鳴らして「きーみょーうむーりょーうじゅにょらいー ……」と正信偈のお勤めが始まる。これが、御開山聖人のお示しをいただく浄土真宗の門徒の一日の始まりではある。
この、浄土真宗門徒の日常勤行のカタチを始められたのが蓮如上人であった。文明五年(西暦1473年)にここ吉崎の地で、御開山聖人の顕された『正信念仏偈』そして『ご和讃』をわれらの日常の勤行『正信偈和讃』として定められたのであった。それまでは、浄土教の日常勤行といえば、僧侶による六時礼讃(一日に六度、それぞれの時間にそれぞれの礼讃という勤行。善導大師様の作「往生礼讃」)をお勤めするのが一般的であった。しかし、蓮如上人がこの『正信偈和讃』をわれら門徒の勤行として定めてくださったことで、われらの生活は「生活の中でたまに仏法を戴く」日常から「仏法の中での生活」に大きく転回したのであった。
朝起きて仏様の前に座り、仏徳讃嘆のお勤めをして今日一日が始まり、夕べには今日の一日もまた仏法の中での生活を送らせてくださったと、仏様のお徳を仰ぎながらお勤めをして床に入るのである。仏法から始まり、仏法に終わる日暮らしが、浄土真宗門徒の生活であった。
とはいえ、現代は言葉の通り”忙しい時代”である。毎朝毎晩、たった数十分であったとしても、なかなかこの「日常の勤行」をたしなむ余裕を持つことさえもできずにいるのが、この慈海である。テレビをだらだらとみる暇も、スマホを眺めて電脳世界に興じる暇も、酒を飲んで世間の話に花を咲かせる暇も、ぜい肉に変えるだけの飽食にかける暇も、枕を引き寄せて惰眠をむさぼる暇もあるけれども、ついつい「後生の一大事」に心をかける時間を惜しみ、メンドクサイだのジカンガナイだのと言い訳をして、お勤めがおろそかになるどころか、仏様の前に座ることからさえも逃げようとする。「簡単に手を合わせておけばいいか」「布団の中でお念仏しても同じこと」とうそぶいているうちに、怠惰はより一層怠惰を助長させ、そのうち手を合わせることも、挙句はお念仏を申すことさえも忘れていくのである。いずれは気が付けば、「生活の中でまれに仏法を思い出す」いや、「生活の中で仏法を戴くことなど無い」一生となりかねない。それがこの私というものである。そんな「私」に気づいた時、以前交わしたとある方の言葉を思い出す。
ほぼ毎朝、福井別院での晨朝勤行に顔を出されるその方に、ある時慈海はたずねた。
「何が**さんをそうさせるのですか?どうしてそこまで熱心にお参りすることができるんですか?」
慈海の祖母も、毎朝毎晩お勤めを欠かすことがなかった。口癖のように「なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ ありがたい」と、ことあるごとにお念仏を申された祖母であった。慈海がこの”念仏”というものに興味を示したのは、何をして祖母にそうさせたのか、何が祖母にお念仏をさせしめたのか、ということを思ったことがきっかけであった。だから、その方のすがたに祖母のすがたを重ねたのかもしれない。祖母に聞くことが叶わなかったその問いを、その方に投げかけたのかもしれない。
「何がそうさせるんですか?」
慈海のその問いを聞くと、それまでにこやかに微笑んでられたその方の表情が一変した。そして、キッと慈海の目を見据え、震えるような声でぽつりとこうおっしゃった。
「だって、ご本尊様が待ってなさるやないか……」
その方の目には涙が浮かんでいらっしゃった。慈海の歳の倍近く生きられた方がこんな若造の問いに涙を流してそう答えられたのだ。慈海はハッとして、何も返す言葉が出なかった。その真剣な表情と、ぽつりとおっしゃったその言葉の気迫に圧倒されたのか、気が付けば慈海の目にも熱いものがこみ上げていた。
夜更かししてしまった翌朝など、布団から出るのもおっくうで、おあさじが面倒と思う。体をシッカリ休めるのも大事などと言い訳をして温い布団の中により深く潜り込もうとする私がいる。そんな時「ご本尊様が待ってなさる」の言葉が頭をよぎる。唸りながら、うだうだしながら、ゴロゴロとしながら、ご本尊のお姿が頭をよぎる。そして結局、面倒と思う私を後ろめたく引きずりながら、渋々と布団から這い出るのだ。そして、ご本尊の前に座り「なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ … 」とお念仏をつぶやき、仏様のお姿を仰いでいつも思うのだ。「あぁ、今日もここに座らせてもろうた。慈海よ、よかったなぁ……」
このお勤めの時間ほど、自由な時間はない。面倒と思いながらもいざ座れば、この自由な気持ちに心が休まるのである。お勤めをすることさえも面倒くさがり、世事にかまけ、仏に背を向け、仏を裏切り、仏を忘れていこうとするこの慈海の日常ではあるけれども、それでも、このお勤めをしている間だけは、少なくとも慈海は仏様の前に座っているのだ。この慈海の口から出る言葉は、自分可愛さの言葉しか出てこない。自分を飾り、自分を大きく見せ、自分を慰めるような言葉しか出てこない。それでも、少なくともこのお勤めの間だけは、御開山聖人のお示しがこの口から聞こえてくるのだ。驚くことに、怠惰なこの私から、である。心の底から自慢できることも、誇れることも、褒められることもなにもない、真実も知らず、真実を知ろうともせず、自らの虚言に惑い、迷ってばかりいるこの私が、真実のひとかけらもないこの私が、決して「善人」とは限りなく程遠い私が、少なくともこの勤行の間だけは「善人」でいられるように思えるのだ。慈海が、私から解放されるひと時である。
朝のお勤めが終わると、今日一日の始まりでありながら、なんだかいつも、その日の仕事が済んだような気持になる。今日もまた、この私を、法の水にひたしてくださった。そして、夕べのお勤めが終わるとまた、今日一日この私が法の水にひたされていたことを思い出しながら、今日という私の一日を終えていくのである。
仏法の中での生活は、自由に生きることではない。心安らぐ生活でもなければ、自身の罪悪も煩悩も昇華されるような生活でもない。決して善人らしい生活でもなく、決して愚かさから逃れることのできる生活でもない。お勤めをすることが偉いわけでもなければ、精進された生活となるわけでもない。この私は、慈海のままである。何も変わることはない。一瞬たりともこの慈海が私ではなくなることもない。微塵も褒められ、讃えられるような生活でもない。けれども、そうであることさえも忘れてしまう私であるから、せめて、せめて、一日の始まりと終わりくらいは、自由な時間から始めさせてやってもよいのではないかと思うのだ。だって、蓮如さんがせっかくこの慈海に、そういう日常のカタチをこしらえてくださったのであるから。
なんまんだぶ