25日(火)から始める『スペースおいち』さんでの勉強会の準備をしている。
母に手本を頼むと、久々の大筆に苦戦しながらも、とりあえず最初の一枚分だけ書いてくれた。
そういえば、慈海も最近筆の練習してなかったなと、数ヵ月ぶりに臨書をしてみた。綺麗な字を書くのは苦手だけど、紙の上に擦れる筆の音を聞くと、気持ちが落ち着く。ふと薫る、墨の香りがまたいい。
「本物のアドリブちゅうのは、もう一回やってみいといわれても、おんなじアドリブができるもんや。適当にやることがアドリブではねぇぞ。」と聞いた。
先日もこのブログで書いた「手に入ったもんは手放しで話ができる」というのも、同じことだろう。
最初はただ楽しくて好き勝手に筆を走らせていたが、臨書の本を買って少し練習してみたら、ただ字を書くだけのことの、その基本がいかに難しいかということを思い知った。そして、きっと基本をもっときちんと押さえられるようになったほうが、筆字はもっと楽しくなるのだろう。
ずいぶん昔、志村けんさんがインタービューに答えて
「ベタなことが一番難しくて腕が必要だ」
というようなことをおっしゃっていた、という記事を読んだ。だいぶ昔の記憶なので、思い違いもあるかもしれないが、確か「受け手が予想した通りのことをして笑わせる方が、お笑いの腕が必要だ」というような話だったと思う。
一風変わったこと、奇をてらったことよりも、実は王道こそが、その技能をもっとも試されるのかもしれない。
逆に言えば、王道を歩むだけの力がないことを誤魔化すために、奇をてらったことに走ってしまう、ということもあるのかもしれない。
このお念仏の教えは、凡夫がすくわれるという教えと、仏さまが仰っているらしい。であれば、今慈海は、大乗仏教の王道を歩まされているのかもしれない。知らんけど。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ