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聞見会

お念仏の会

手

2014年1月7日 by 慈海

手

【手】

体の部位である。
上肢の先、肩からのびる腕の先の、それである。
手は、いろんなものをつかんだりする。
いろんなものに触れたりする。

一時期カウンセラーを目指して勉強していた時、
下宿していたタバコ屋のおじさんが、慈海の手を取り、自身の胸に押し当てて、こういった。

「お腹が痛いとき、お母さんが君のおなかに手を当てて、さすってくれたことがあるだろう。
痛いところに、手を当てると、少しだけ痛みを忘れるだろう。
手当てというのは、その字の通り、そういうことだ。
君は心の痛みを治す人になりたいのであれば、
まず、その人の心の痛みに、手を当てられるようになりなさい。」

ぽつぽつとそう語った、そのタバコ屋のおじいさんは、戦争の時の怪我で、足がなかった。
足がないので、手を足代わりに、歩いていた。
まるで、象の足のように太いその腕の先についた、厚くて、力強い手は、
熱くて、柔らかかった。

この手は、心の痛みにも、触れることができるらしい。
カウンセラーになる夢は、あきらめてしまったけれど、
今は、手を合わせて、その手に、仏の名前を、吹きかける。

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カテゴリー: 口耳四寸記 タグ: 書

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