少し耳をすませばそこに海がある

近所のお醤油屋さんにお金を払いに行ったついでに、ふと何となく塩屋海岸まで足をのばした。

脛くらいの小さい波だけど、うねりが寄せて割れて白波となって打ち寄せる景色が、とっても懐かしくて、夕闇が濃くなるまでしばらくその風景に見とれていた。

夕暮れの浜辺に腰かけて、おっさんが一人潮風に吹かれて昔を懐かしむ。うーん、なんと絵にならない光景だろうか。

いつも波の音が聞こえるほどのところに住み込んでいるのに、海岸に出るのは年に1,2回くらいしかない。砂丘を超えて目の前に現れる広大な景色に圧倒されて、「あぁ、もっと頻繁に足を運ぼう」と、海岸に出るたびに思うのだけど、別院に戻るとついつい海鳴りを聞くのみで満足してしまう。

お浄土もこれくらい近いところにあるんかもしれんなぁとか、坊主らしいことが頭に浮かんで海の向こう西の彼方に手が合わさる。

近くにあってこれほど行きやすいところは無いのに、行きやすいほどに行く理由ばかりをこざかしく考えて足が向かない。

そんでも、これほどなく近いからこそ海の音は常に耳に届いていて、少し耳をすませばそこに海があることを知れるというのは、あぁなんともかたじけないことであるのだろうなぁ。

なんまんだぶ