本願寺派の寺院では、今日「宗祖降誕会」の法要がお勤まりになってらっしゃるところが多いのではないでしょうか。
新暦での5月21日は、宗祖親鸞聖人(御開山聖人)がこの娑婆世界にお出ましになられた日であります。聖人の門徒たるべきものは、この日を縁として、宗祖親鸞聖人がおすすめくださった「一流の安心(あんじん)」を心にかけ、仏恩報尽のお念仏を申す日であります。
「お誕生日おめでとう」な日ではないです。
おめでたいのは、この私です。むしろ、御開山聖人がこの娑婆世界にお出ましになられなければならなかったそのことを慙愧すべき日でもあります。私がいなければ、わざわざ御開山聖人はこの濁世にお出ましになる必要はなかったわけです。
私に念仏を申させ、極楽浄土に往生させ、仏果を得させしめんとして、御開山聖人はこの世にお出ましになられた。
「誕生会」ではなく「降誕会」と先人がこの日の法要を名づけられ、ご本山でも各寺院でも今でも「降誕会」として法要をされ続けているその理由に少しは思いをはせたいものです。
ちなみに…吉崎では宗祖降誕会は数年前から休座状態だそうです。なんとも寂しいです。今日はいい天気でお参り日和なのに、いつも通りの静かな境内です。
昔は、この吉崎別院でも降誕会の法要をお勤めになり、法要のあとにはレクリエーションをしていたそうです。しかし、参拝の方の数がほとんどなくなってしまい、レクリエーションだけが地域のイベントとして近くの公園で毎年行われるようになったそうです。(日程も夏の時期に代わりました)
イベントごとであれば、別にお寺でやる必要はないですからね。都会ならまだしも、田舎ならイベントごとをやるスペースはたくさんあるもの。
ともかく、蓮如さんであれば、そのことよりもなによりも、「それ、解脱の耳をすまして渇仰のかうべをうなだれてこれをねんごろにききて、信心歓喜のおもひをなすべし。」と仰せになられるような気がします。
なんか似たようなことを毎年花まつりの時期にも言ってる気がするけれども、ま、同じことです。
なんまんだぶ