今日は祖母の月命日。
うちのおばばさまは、大正生まれということもあってか、それはもう口が悪くて、性格もキツかった。しかし、口もたつけどそれに行動が伴う人であった。器用になんでもこなして、ボーッとしてることがなかった。だから、キツイこと言われても誰も何も言い返せなくて、より一層めんどくさいばあさんだったかもしれない。
慈海が小学生の頃、膝にイボがたくさん出来てしまったので、祖母に連れられて皮膚科の病院に行き、それらのイボを取ってもらう処置を受けた。処置室に通されると、お医者さんがアルミの水筒のようなものを出してきて、その中に長いピンセットを突っ込むと、モクモクと煙を吹き出す綿だったか何かを取り出し、慈海の膝のイボにそれを押し当てた。たしかドライアイスでイボを焼きつぶす処置だったように思う。ドライアイスとは言いながらも、膝に当てられたそれはとても熱く感じて、膝からモクモクと立ち上るその煙の様子と相まってとても恐ろしかったことを覚えている。熱いのと怖いのとで泣き叫びそうになったけれども、「男の子だからがまんしてねー」という優しく声をかけてくださる看護婦さんに涙を見せるのが恥ずかしくて「泣かない!僕男の子だから泣かない!」と、心の中で唱えて必死で耐えていた。
涙をこらえながら、歯を食いしばりながら、ふと付き添いで私のそばに立っている祖母の表情を見る。いつもいかめしい表情をしている祖母であったが、その時見たその祖母の表情は、慈海と同じように歯を食いしばって、眼鏡の奥にうっすらと涙が滲んでいた。
そんな祖母の表情を見て「なんでおばば様が泣いてんだよ」と、ちょっとだけ可笑しくなって、そしてなんだか痛みと恐怖が和らいだ。
如来さまの慈悲というのは、こういうことなのかもしれない。
金子みすずさんの有名な詩にこんなのがある。
わたしがさびしいときに、
よその人は知らないの。わたしがさびしいときに、
お友だちはわらうの。わたしがさびしいときに、
お母さんはやさしいの。わたしがさびしいときに、
ほとけさまはさびしいの。
慈海が苦しかった時、ほとけさまも同じように苦しかった。
これを、「同悲」というそうである。
慈悲とは、ポワンとして暖かいものと表現されるけど、慈海はそんな曖昧な慈悲などいらない。しかし、仏さまの慈悲とは、今この慈海のリアリティそのままなんだろう。慈海が歯を食いしばっているそのままが、如来さまの慈悲に包まれている姿だ。
慈海は如来様のひとり子と聞く。
なんまんだぶ
# 過去のFacebook 投稿記事をもとに加筆修正しました)