地獄に三部経弘めに

日曜ですが今日は吉崎にいます。慌ただしく吉崎でもお晨朝をお勤めしました。たまに晨朝勤行二回するのもなんか慣れました。二回もさせてくださる。ありがたいありがたい。ありがたい×2です。倍ありがたい。有難いが倍あるんだからより一層有難い。

ところで今日は蓮師の月忌です。ということは、来月の今日(5月14日)が蓮如上人祥月御命日です。最近は、5月14日が蓮師の祥月御命日ということが先に立って、自分の誕生日ということを忘れることがおおくなりました。慈海45歳じゃん。りっぱなおっさんじゃん。いいんだろうか?こんなワラビシイ(福井弁:幼い、童らしい、未成熟、青二才、ガキっぽい)まんまで。

先日友人であり先輩である方から電話があって、少し話し込んでたんですが、あちらは少し酔っぱらってらしたのもあってか、「地獄に三部経弘めにいこうぜ☆」って話になってそのためには三部経憶えてないと血の池地獄や針の山ではお経様いちいち出して手にもって読んでいられないよね、という話になりました。いくら読んでも全然頭に入っていきませんけど、読むしかないし書くしかないよなぁ。この憶えの悪い頭とすぐ怠惰に流れる心は、なんとほんとにやっかいやなぁと、我ながら憐れんでいましたけれども、よくよく考えれば、慈海がこの娑婆に人間の姿で生まれたのは、三部経様を読むために生まれてきたんかもなぁと思いいたり、それをスッと憶えてしまってはあんまりにも慈海の人生味気ないわなぁと、憶えの悪いこの頭と怠惰に流れる我が心に対して、かたじけないなという思いました。何言ってるわかからんけれども、わからなくてもいいです。

つまりは、「身口意業もし清浄ならずはまさに知るべしこの人かならず地獄に堕せん」は慈海です。ということです。本人がいちばんよくわかってないけど。

なんまんだぶ