少し疲れがたまってきていたのか、なんだか今朝は体が重くて、掃除もあまりできず、おあさじの準備も「しんどいなぁ」と思いながらダラダラとしてしまいました。
お勤めも声を出しづらいし、足もしびれるし、いつものようにお参りの方もいらっしゃらないので、ぼんやりとしながらお勤めをしていると、「お勤めご苦労!」と元気な声で近所のおじさんが、栗の入った袋をもってお御堂に入ってきました。
「なんでも(どんなふうに食べても)うまいからな!栗ご飯もいいな!」
ぶっきらぼうに差し出された袋を受け取ると、おじさんの顔が朝日に照らされてツヤツヤしてました。早速仏様にお供えしましょう!と恭しく仏前にお供えをすると、ニコニコ顔だった表情が急にキリっとした表情になって、静かに頭を下げていらっしゃいました。
お勤めの続きをして、また振り返った時にはニコニコ顔にもどっていて、ご文章の話やら世間話やらでにぎやかなおあさじになりました。
おじさんが帰った後、お供えした栗をお下げしながら、まるでだらだらとした気分でおあさじをしていたのを見透かされたのかなぁと、申し訳ない気持ちになり、掲げている栗の袋がよりずっしりと重く感じられました。
もしかすると、仏様やら蓮如さんが励ましてくださっているのかもしれません。
栗を洗っていると、にょろにょろと栗の堅い皮を破って虫が這い出てきました。必死で這い出てくる虫の様子に「横超」の言葉を思い出します。慈海は堅い皮を破ることさえも這い出ていくことさえも考えもせんのになぁ。それにしても、これはうまそうな栗です。
台風が近づいているからか、湿った南風で今朝は少し温い青空です。おじさんが帰ってからはより一層静かに感じられる境内を、トンビがヒョリョリヨヨロロと鳴いて飛んでいきました。
吉崎の朝は、一切が大悲を演舌しているかのように思えるときがあります。その真ん中にいるのは、なにもしていない慈海ひとりでした。
なんまんだぶ