今年も真夏の報恩講が始まります

 

今年も本願寺吉崎別院の報恩講がお勤まりになります。

期間は8月7日から9日まで。
7日と8日は、午前10時からと、午後1時半から。
9日は午前10時からのみです。
7日と8日はお斎(オトキ、法要の時に出るお食事)がでますよ。
※お斎を召し上がりたい方には御懇志1000円以上をお願いされています。

真夏の報恩講。
汗だらだらで御聴聞です。
今年の御講師様は、福井県千福寺ご住職の高務先生です。
大きなお体から軽快な語り口でお取次ぎされるご法話、慈海も今からとても楽しみです。

毎年恒例、真夏の報恩講法要。
報恩講と聞くと、この御文章を思い出します。

そもそも、今度一七箇日報恩講のあひだにおいて、多屋内方もそのほかの人も、大略信心を決定したまへるよしきこえたり。めでたく本望これにすぐべからず。さりながら、そのままうちすて候へば、信心もうせ候ふべし。細々に信心の溝をさらへて、弥陀の法水を流せといへることありげに候ふ。(略)
<帖内 二帖1通目「御浚え」の御文章より>

「細々に信心の溝をさらへて、弥陀の法水を流せといへることありげに候ふ」
マメにこの信心の溝をさらって、如来様の法の水を流しなさいな。
こういう表現って、蓮如さんやなぁと思いますよね。

昔の人は「耳を育ててもらった」なんて表現をよくされたそうですが、世事にかまけ、浮世に耳を奪われ、その中でついつい「正しさ」という耳でモノゴトを聞くクセがついてしまいますけど、マメにこの耳に法を聞かせててやらにゃぁ、ついついこの慈海は如来様をこちらに引き寄せて考え始め、自己弁護、自己正当化、自己満足の道具にしようとしてしまいます。

「御信心」がなにかそういったモノがあるように思い込み、「御信心」を頭でカタチ作り、「御信心」を少ない言葉で小さくまとめようとしてしまう。
そんでもって、いつか、どこかで、だれかが、わけのわからないものに成るといった、わけのわからない話をし始めるのです。

信心の溝は、この耳にある。この慈海の耳を通って、如来様の御信心が なんまんだぶ と流れてくださる。

暑いさなかだけれども、どうぞどうぞ、この「溝さらい」に吉崎までいらしてください。
汗を流しながら、法の水をこの耳に流し込んでもらいましょ。

さて、ということで、吉崎のこの報恩講がおわるとすぐにお盆です。
なんだかんだ言って、日本人なら一年で一番「仏教」に触れる機会が多くなるのが、このお盆の時期じゃないでしょうか。

お寺さん界隈は、全国的にざわざわと忙しい時期に入って、なんだか浮かれた感じにもなってきますが、この時期、何を願い、何を拠り所とするのか、一緒にゆっくり味わえたらいいですね。

なんまんだぶ