「どうせ誰も見てないし、福井でちゃんと晨朝勤行やったし、別にやんなくてもいいんじゃね?汗ばんでる時にまた着替えるの面倒じゃん?準備だってしなきゃだし、かったるいし、お勤めしないと地獄堕ちるとかじゃないしさぁ。」
といつも福井から吉崎に帰ってきた朝はふと思ってしまうのです。思うのですけどカギを開ける時になって如来様も御開山聖人も蓮如さんもそれに肯定もせず否定もせず、黙っていらっしゃるので、なんか後ろめたい気持ちになって、後ろめたいってことは、やった方がいいじゃん、っていうかやんないと後ろめたいまんまじゃんって思うので、渋々着替えて、渋々準備して、二度目の晨朝勤行をお勤めするのです。
だからといって、やっぱり如来様も御開山聖人も祖師方も、蓮如さんも褒めてくれるわけでもないし、誰かに見られて「あらぁ偉いわねぇ」と思われるわけでもないのですけど、終わった後は後ろめたい気持ちよりも誇らしい気持ちになるので、少し気分がよくなるのです。
朝晩のお勤めをするような日暮らしになって数年経ってもまだまだ「日常の勤行」にできていないなぁと、今朝の先ほどの吉崎のお勤め中にもそんなことを思えて、情けないなぁと思うのですが、ご文章を拝読する前になって外からたくさんの鳥たちがとてもとても賑やかに囀る声が聞こえてきて、それが「やった、今朝はお休みかと思った!今日も聞けた!今日も聞かせてもろた!」とよろこんでるようにも聞こえて、せめてあの鳥たちくらいに自然に毎日の日常の務めができるようになりたいなぁと思うのでした。
誰のためにするお勤めでもない、自分のためのお勤めだと立派なことを言われたりすることもありますけど、報恩行というのは、だれのためでもなければ、同じく自分のためでもないんだろうなぁ。「~の為」というのじゃない、というのがありがたいことなんだろうと思うのでした。
なんまんだぶ