お秋廻りと母の痴呆と父の涙の話

今日は、当家竹内家の報恩講でありました。お手次寺の浄善寺様がお秋廻りにきてくださいました。

「お前も絶対に来てくれや」
と父に強く言われていたのもあって、慈海は吉崎別院でのご奉公半休をいただき、午後実家に戻りました。

実家につくと、父と母が喧嘩をしていました。むくれた母は家を飛び出し父はうだうだと文句を言いながら母を探しに出ていきました。

近頃、母は幻聴もあるらしく夜中に「誰かが仏間から歩いてくる」と訴えることがあるようにまでなったそうです。毎日母の様子を見ることはできていませんが、合うたびに「あれ?」と、そのアルツハイマーの痴呆の症状を感じることが多くなってきました。

着実に、母の脳は壊れていっています。刻一刻と母の脳は萎縮し、記憶する機能を失っていっています。

父と母の喧嘩の原因は、今日のお秋廻りでの準備でのことであったようです。母曰く「お父さんなんもしてくれん!なーんもせんと寝てばっかりいる!」とか。父曰く「手伝えば文句を言うし、手伝わんかったらこうや。もうどしていいかわからん…」憔悴しきった表情です。

祖母が往生してから、実家のお仏壇は母が面倒を見ています。難しいことはわかりませんが、仏様をお敬いする気持ちは強く、お仏壇はいつもピカピカにしています。いくら痴呆が進んでも、毎朝お仏壇を掃除し、お仏花の水を替え、御仏飯をお供えし続けているようです。それだけは忘れない。

それはまるで、祖母の姿のようでもあります。

今日のお秋廻り、お勤めが終わったあと役僧さんが「それにしてもお仏壇ピカピカですね」と声をかけてくださいました。たまたまその時母はお茶の用意で席を外していました。父は、その役僧さんの言葉を聞いて、必死に涙をこらえていました。

父の涙の訳はなんだったのでしょうか。

報恩講。
御恩を知らされる会座でありました。

今年も、当家の報恩講が無事勤まりました。
今日この居間の瞬間から、また来年の報恩講の準備が始まることであります。

それは、様々な思い、様々な苦悩、様々な悲しみ寂しさ悔しさ情けなさのなかで、お念仏よろこぶ日々がまたまた始まるということでもありました。

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