吉崎別院での晨朝勤行(おあさじ、朝のお勤め)は、いい。
蓮如上人のご旧跡地、つまりお形見の場所で、蓮如上人のお形見の御真影の前で、蓮如上人のお形見のご法話であるご文章を聴き戴いて、今日という一日が始まる。
高い壇上から述べられる講釈を聞くのではなく、位の高い派手な衣を着たやんごとなき僧侶の読誦する経をいただくのではなく、同じ畳の上で、平座で、ご開山聖人のお示しである正信偈のお勤めを、蓮如さんと一緒に、僧俗ともに戴くのだ。
そして、そういう勤行の形が始まったのも、この吉崎からである。蓮如上人が正信偈そしてお念仏ご和讃を、われらが”日常”の勤行として、定めてくださった。
つまりは、吉崎でのおあさじというのは、まさにわれらが日常のお勤めのルーツともいえるかもしれない。
各々が、各々の心を持ち寄って、各々の口から、同じ時に、同じ場所で、同じお勤め、仏徳讃嘆ができるようになったのは、まさに蓮如上人の最大のご功績だ。
吉崎のおあさじは、ほんとうに気持ちがいい。
慈海はこの吉崎別院でおあさじをする日々を、誇りに思っている。この、無数の先人方の、念仏者方の、御恩報謝のカタチの上で、蓮如さんと一緒に、御恩報謝のなかでの日常を始めることができる。こんなにかたじけなく、そして誇りに思えることはないだろう。
とあるおばあさんが、自宅のお仏壇のお磨きをあえて若い人に手伝ってもらうのだという。それは、いわく
「だって、お仏壇のお磨きすると、とっても気持ちいいもんね。だから、その気持をおすそ分けしたいの」
だそうだ。
慈海もね、この吉崎でのお勤めのありがたさ、もったいなさを、ぜひ多くの方におすそ分けしたいの。
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