今日は本願寺吉崎別院で、加賀両度講の報恩講がお勤まりになられました。
「両度講」といえば、御文章にもでてくる由緒ある御講です。広如上人の時代に一度廃絶してしまったようですが、おそらくこの両度講をこの地で復活させたものか、この地に加賀両度講という御講があります。大変多くの講員数を誇る御講ではありましたが、残念ながらここ数年、年を経るごとに講員の方々の高齢化が進んでいることもあって、この報恩講にお参りに来られる方もどんどん少なくなってきました。そして今年は、寂しいことですが、たった六人だけの報恩講でした。
吉崎別院の職員も、ご輪番様と参勤そして臨時勤務員という肩書の慈海だけの三人だけです。名いっぱい声を張り上げて、お勤めをしました。この両度講のお勤めの声が、この別院境内を超え、吉崎の地域も超え、越前加賀の国を超え、京都までも、いやこの日の本の国中に響けとばかりに、腹の底から声を出し切ったお勤めでありました。
寂しい報恩講とはいえ、今年もそれでも無事にお勤まりになったことにほっとしたところ、境内の老朽化した電気配線の検査をお願いしていた業者さんがいらっしゃったので、衣姿のまま境内に出て業者さんとお話ししていると、遠くから慈海を見ながらひそひそ話をしている家族連れのような方がいらっしゃいました。
「ようこそのお参りです」と声をかけると、なんとこの前の夏にも県外から参拝に来られた方でした。久々の再開をよろこびつつ、でもどうしてわざわざ遠いところからまたこの吉崎に来られたのかが気になってたずねると、前回本堂でご案内してお話ししたのが心に残っていたらしく、また行こうということになって来られたとのことでありました。
なんだかとてもうれしくなってゆっくりお話ししたかったのですが、業者さんとの話もあったり、ほかの寺務的なことも立て込んでいたので、じっくりお話しできなかったのが申し訳なかったのですが、代わりに、慈海の好きな蓮如さんの御詠歌をご紹介すると、またとても喜んでくださってお帰りになっていかれました。しかしその際に、「この前の夏に来たときは境内がすごく綺麗で感動していたのですが、きょうは少し荒れていて…心配していたんです」とおっしゃっていかれました。とても遠くから、「また来たい」といらしてくださったことにうれしくなりながらも、境内の荒れようを気にされていらっしゃるその声に、胸が痛みました。先日の台風で経堂の屋根が散乱し、また今年は雨も多く、それを言い訳に外の掃除が行き届いていませんでした。もっと頑張れたんじゃないか、もっと綺麗に出来たはずじゃないかと、反省もしました。とても申し訳ない気持ちになりました。
蓮如さんの御威光は、今もこの地に熱くひかりをはなっていらっしゃいます。その御威光は紛れもなく無数の念仏者の方々が必死につないできてくださったものでもあります。蓮如さんが身命を賭してこのわれらに伝えてくださった「後生の一大事」ということを、そして「浄土真宗」というカタチ、つまりお念仏をよろこび、後生をたずね、安心(アンジン)を沙汰しあうことができる集まりというカタチを、後世に残していくためであったことであります。それはまさに、報恩の思いがカタチとなった場所であります。
諸行無常のこのわれらの世界で、常ならざる者ばかりをよりどころとし、目先の茶飲み話にもならないことに終始して、仏恩を思うことさえもままならぬ日常を過ごしてしまいがちな時代かもしれません。ですが、それは今に始まったことではなく、蓮如さんの時代からもそうでありました。それでも、蓮如さんはこの地から、お覚りの智慧の光が常にこのわが身を照らしてくださっていることをお示しくださいました。
慈海ができることは、ただこの場所を守ることだけであったな。懈怠ないように、安心して気持ちよく、安心(アンジン)の沙汰を戴ける場所にしなければと、気が引き締まった今日でありました。
それ当流の安心のおもむきといふは、あながちにわが身の罪障のふかきによらず、ただもろもろの雑行のこころをやめて、一心に阿弥陀如来に帰命して、今度の一大事の後生たすけたまへとふかくたのまん衆生をば、ことごとくたすけたまふべきこと、さらに疑あるべからず。かくのごとくよくこころえたる人は、まことに百即百生なるべきなり。このうへには、毎月の寄合をいたしても、報恩謝徳のためとこころえなば、これこそ真実の信心を具足せしめたる行者ともなづくべきものなり。
なんまんだぶ