家の中に女が独り、佇んでいる。
そんな様子が「安」という文字だそうだ。
いくら風がオンオンと吹き荒もうとも、
いくら雨がザラザラと降り荒もうとも、
屋根と壁に守られて、女は、心安く、落ち着いて、悠々とした様子だ。
外の景色とは異なった、生ぬるい空気に、心地よくまどろむ姿だろうか。
その女は、身の置き場所が決まったのだ。
心の置き場所が定まることを、「安心」するという。
不安であろうとも、不安の心のまま、置き場所が決まれば、それは安心なのだ。
不安でしかいられないその心を、安置することを、安心というのだろう。
人によって、心を安置させる場所は異なる。
それぞれが、暴れる心を落ち・着かせて、置き、定めて、
その場所に根を張るのだ。
慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。
(顕浄土方便化身土文類 (末))
しかし、それを「信心」というのではない。
「信心」と「安心」は別だ。
信心は、ひとつの場所に、とどまらない。
なんまんだぶ