福井県と石川県の県境に、吉崎御坊跡という史跡があります。
ここは、浄土真宗中興の祖と言われる、蓮如上人(本願寺第八世法主)という方が、北陸における布教の拠点として建立した坊舎でした。
吉崎山の山頂にあるこの史跡のふもとに、浄土真宗本願寺派(お西)の別院と、真宗大谷派(お東)の別院があります。
そして、この本願寺派(お西)の別院にある山門を、「念力門(ねんりきもん)」と呼びます。
この「念力門」は、もともと京都にある本願寺の「北乃総門」、通称「天狗門(てんぐもん)」という門でした。それがなぜ、60里以上(約250キロ)も離れた、越前の国の山奥にひっそりと建っているのか。
そして、なぜ「念力門」と呼ばれるようになったのか。
それには、心震えるドラマがありました。
2011年3月、関東で大きな地震がありました。
この地震、そしてその地震による大津波によって、多くの方が家を失い、家族を失い、命を落とされました。
原発の問題も深刻です。2年以上経った今でも、家に帰ることのできない方がいらっしゃいます。
いまだに復興が叫ばれ、あの時の記憶はまだ生々しいものがあります。
或る時、京都に住む友人に、この「念力門」の話をしました。
すると、その友人は
「その話は、今したほうがいい。」
と、慈海の目を見て、力強く言ってくれました。
その言葉を受け、この「念力門」の話をもう一度調べ、こうしてネット上に公開しようと思い立ちました。
これからお話しするのは、念仏の力によって、京都本願寺から、福井県の山奥にある吉崎の地に運ばれた、「念力門」のお話です。
それは、今から60数年前に実際にあったお話です。
以前、別のブログに書いたこのお話を、再構成しなおし、あらためてここに連載していく予定です。
再構成するにあたって、聞見会会員である河久保道場水上さんのご協力がありました。
貴重な資料などをデジタル化された御苦労は、大変なものだったと思います。
改めてここでお礼を申し上げます。
さて、本編は後日徐々に公開していきます。
どうぞご期待ください。
合掌
なもあみだぶ