お同行というのは、言葉は一つもいらない。
遠方から月に一度ほど、泊りがけでお参りに来られる方がいらっしゃる。
雨が上がったころ、今日もふらりといらっしゃった。
いつもは正信偈のお勤めなどを一人ひっそりとされて行かれるのだけど、先ほど用事で本堂に上がったら、先日差し上げた御文章の本を拝読されていた。
拝読の合間合間に「なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ …」とお念仏をされる声が、お御堂の畳にじんわりとしみこんでいかれるようであった。
これまでも、ふと見かけると泣きそうな声でお念仏をされているときもあれば、弾むようにお勤めをされていらっしゃるときもある。今日は、とても静かな気持ちでお念仏をよろこばれているご様子であった
あぁ、慈海もそうだったなぁと、とくに挨拶だけで言葉を交わすこともなかったけれども、お同行と深く深く話し合えたような気持になって、うれしい気持ちになって、音をたてないようにそっとその場を離れた。
お同行というのは、言葉は一つもいらない。お念仏の声一つで、会ったこともない、直接会うこともかなわないような同じお念仏の道を歩むかたと、よろこびあえるのかもしれない。
なもあみだぶ