聞いてないのは慈海だった

お取り次ぎしたご法話を録音しておいて、実家に寄った際に父母と一緒にそれを聞く(お聴聞する)のが、最近の恒例になっている。

父は聞きながら「うーん」と唸ったり「早口やなぁ」とダメ出ししながら聞いている。
母は始終手を合わせっぱなしでお念仏しながら聞いている。

最後のご文章拝読のところに差し掛かると、父は寸評が始まる。母は一緒になってご文章を諳じる。
「うるさい!肝要はご文章や。黙って最後まで聞きね!」と慈海が言うと、父はゴニョゴニョ言って口を閉ざすが、母は小さい声でそれでも諳じ続ける。

「ご文章は聞きもんやで、お母さんも聞いてねの」
と言うと
「ほんでも、聞こえると出てきてまうんやもん。」
と母が悲しそうに言う。

聞いてないのは慈海だったと気づく。

なんまんだぶ

「この時間が、一番心が休まる時間でした。」

昨年の秋から毎朝吉崎の晨朝勤行にお参りに来られるようになった方がいらっしゃる。

最初は7時からのお参りに来られるだけだったけれども、いつからか5時過ぎにはいらっしゃるようになって、慈海と一緒に朝の掃除を手伝ってくださるようになった。

落ち葉がひどい時期には雨の日も傘をさして境内を掃いてくださり、冬になって掃除が楽な時期になると時間を持て余したのか「ほかになんかやることありませんかねぇ?」と、こちらがお願いするわけでもないのに、雑巾を持って、慈海が気づかないところなども率先してあちこち掃除してくださった。

しかし、春の気配がし始めたころ、息子さんの仕事の都合で朝来るのが難しくなったという。それでもせめてお参りだけでもしたいと、7時から8時までのお勤めにだけは出られていた。

「ごめんなさいねぇ。お掃除したいんだけど……」
と何度も謝られたけれども、もともと謝られるようなことではない。「いえいえ、お参りに来てくださるだけでもとてもうれしいです。もともと掃除は私の仕事ですし、本当にありがとうございました」とこちらも何度も言うのだけれどもそれでも「ごめんなさいねぇ」と繰り返された。

毎朝のお勤めでは、本堂で正信偈と御和讃の繰り読みをいただく。最初のころは正信偈を「昔聞いたことがあるかも?」という感じであったので、晨朝勤行聖典をいくつか購入して別院に寄贈し、貸出用として本堂に備え付けた。

御和讃の繰り読みは、僧侶であっても毎日お勤めしていないとなかなか難しい。おばさんも最初はただ聞いているだけだったけれども、そのうちたどたどしく声を出されるようになり、最近は大きな声で慈海の声に合わせてお勤めされるようになっていた。

中宗堂では讃仏偈のお勤めの後にご文章を拝読する。吉崎別院では帖内80通を、こちらも繰り読みしていく。慈海が拝読している間、頭を垂れていつも静かに聞いてらした。御文章を拝読した後、その日拝読した御文章の解説も交えながら少しお話しをする。時には興が乗ってしまい長い時には20分くらいお話をしてしまう時もあったけれども、いつも真剣に聞いてらして「ありがとう、ありがとう」と嬉しそうに帰っていかれた。

吉崎に来られたばかりのころは、いつも吉崎の晨朝勤行にお参りに来る前に、近くの神社にもお参りをして、息子さんの商売繁盛をお祈りしていたという。あるとき、今でもお参りに行ってるのですかと尋ねると「いやぁ、今はこちらだけ来ています」とおっしゃる。”雑行雑修自力のこころを振り捨てて”と蓮如上人に聞かされたからだという。「もちろん神様をないがしろにはしてませんよ!でも、”たのむ”のは阿弥陀様だけですもんね」そうおっしゃって、手を合わせられた。御文章を毎日お聴聞されるというのは、こういうことかと、蓮如上人御真影を仰いで、お念仏を申さざるを得なかった。

その方が、急遽故郷に帰られることになった。
明日の晨朝勤行のあと、飛行機で故郷のご実家にお帰りになられるという。今朝の晨朝勤行の後突然そのことを聞かされた。

「帰敬式を受けてね、もし私が死んだらここに名前を載せてもらいたかったけれども…」と帰り際涙をこらえながらそうおっしゃった。

(吉崎別院では永代経を納められた方々のご法名を中宗堂の蓮如上人御真影の隣に掲げている法名軸にお書きしている)

そして、「この時間が、一番心が休まる時間でした。」そう言って、ありがとうありがとうと、お帰りになっていかれた。

その方がいらっしゃるようになったころは、慈海は少し落ち込んでいておあさじの時の声も小さくなっていた。朝の掃除もなんだか面倒に感じ始めていて、いくら綺麗にしてもそれが何の意味があるんだろうとか、そんなことを思う日もあった。すこしたるんでいたように思う。

でも、どんなに天気が悪くても、どんなに寒い朝でも、まだ暗いうちから小走りで別院までいらして、だれに何を言われるわけでもなく、黙々と掃除をし、お参りをされて行かれるその方の姿に、大切なことを忘れていたことを気づかされた。

蓮如さんが、慈海にカツを入れるために、その方を呼んでくださったのかもしれない。そんな風に思えた。蓮如さんのご文章をお聴聞するということはどういうことなのか。お念仏をよろこぶということはどういうことなのか。慈海のような愚図は、ついつい愚かな知恵を働かせて、さかさかしく分かったつもりになりがちである。そんな慈海に、蓮如さんは厳しく沙汰してくださっているように、その方のお姿に感じていた。

また一人きりの朝の掃除、晨朝勤行に戻ってしまう。
正直に言えば、とても寂しい。けれども、たった半年ほどであったとはいえ、ともに如来様を仰ぎ、ともに蓮如上人のお取次ぎを聴聞した方が、姿は見えなくても、声は聞こえなくても、違う空の下で同じく蓮如さんのお示しを聞き続け、同じくお念仏をよろこびあえる人ができたというのは、なんとも心強いことか。

今朝の晨朝勤行の後、その方がお帰りになった後でいつも通り蓮如さんに向かってあらためて少しご挨拶をする。その時「その命を捨てよ」とおっしゃったようにも聞こえた。

なんともかたじけないことである。

なんまんだぶ

「私にはね、毒が、毒があるんです。」

お晨朝が終わってお御堂から出たところ、ぽとりとムカデが足元に落ちてきました。

「おぉ、ようこそお参りに来なさった。朝のお勤めは気持ちいいすねぇ。」
と声をかけるのですけど、こっちの声が聞こえていないのか、慌ててどこかの隙間に逃げ込もうとジタバタしています。

「そんなん慌てんでも別につぶしたりしませんよ。」
と声をかけると、そのムカデは、落ち着きなくジタバタさせていたたくさんの足を少し止めて、

「いやぁ、そんでも私は…臆病なもんで……あの…つい、ついですね、驚いくとかみついてしまうもんで……」
と、見た目と違ってなかなか謙虚なやつでした。

「驚かせたのは私の方だし、咬まれたわけじゃなし、まぁゆっくりしていきなさいな」
と声をかけると、

「いやぁ、そんでも、そんでも、私は、私にはね、毒が、毒があるんです。だから……」
そうしょぼくれたあと、またバタバタと足を動かして、床板の隙間に隠れていきました。

なんまんだぶ

カラスが本堂の入り口に

最近おあさじの後、カラスが本堂の入り口にとまって、何度もお辞儀しているので、
「せっかくならおあさじ中に一緒にお参りしたらいいのに」
と声を掛けたら

「うんこするけどいいか?」
って首をかしげるので

「それはやめてください。掃除が大変」
というと

「ここは”雑行雑修自力のこころ”を捨てるところやなかったんか?」
とさらに首をかしげるので

「ゴメンナサイその通りですいくらでもうんこしてください頑張って掃除します」
と反省したら、

「カカカ」
と笑って飛んでいきました。

(途中から妄想ですし、慈海少し疲れてます。)

なんまんだぶ

動物たちの参拝時間が始まる

屋根裏をのしのしと歩く音を一階からそうっと追いかけていくと、裏庭の軒下からひょっこりとタヌキが顔を出した。

辺りをキョロキョロと確認して、まだちょっと明るいなと、軒下に引き返す。

人間の参拝時間が終わって、動物たちの参拝時間が始まる。

なんまんだぶ

少し耳をすませばそこに海がある

近所のお醤油屋さんにお金を払いに行ったついでに、ふと何となく塩屋海岸まで足をのばした。

脛くらいの小さい波だけど、うねりが寄せて割れて白波となって打ち寄せる景色が、とっても懐かしくて、夕闇が濃くなるまでしばらくその風景に見とれていた。

夕暮れの浜辺に腰かけて、おっさんが一人潮風に吹かれて昔を懐かしむ。うーん、なんと絵にならない光景だろうか。

いつも波の音が聞こえるほどのところに住み込んでいるのに、海岸に出るのは年に1,2回くらいしかない。砂丘を超えて目の前に現れる広大な景色に圧倒されて、「あぁ、もっと頻繁に足を運ぼう」と、海岸に出るたびに思うのだけど、別院に戻るとついつい海鳴りを聞くのみで満足してしまう。

お浄土もこれくらい近いところにあるんかもしれんなぁとか、坊主らしいことが頭に浮かんで海の向こう西の彼方に手が合わさる。

近くにあってこれほど行きやすいところは無いのに、行きやすいほどに行く理由ばかりをこざかしく考えて足が向かない。

そんでも、これほどなく近いからこそ海の音は常に耳に届いていて、少し耳をすませばそこに海があることを知れるというのは、あぁなんともかたじけないことであるのだろうなぁ。

なんまんだぶ