何も変わってなくて鼻血が出そうになりました
得度を受けて八年が経ちました。
「慈海」になって八歳です。
十五年前の日記を偶然発見して読み返したら、基本的なところ何も変わってなくて鼻血が出そうになりました。
なんまんだぶ
得度を受けて八年が経ちました。
「慈海」になって八歳です。
十五年前の日記を偶然発見して読み返したら、基本的なところ何も変わってなくて鼻血が出そうになりました。
なんまんだぶ
明日は福井県春江町針原のお寺 放光寺 で2か月ぶりの「蓮如さんのご文章をまなぶ」です。
今回は『雪中章』です。
「幸ひに五里・十里の遠路をしのぎ、この雪のうちに参詣のこころざしは、いかやうにこころえられたる心中ぞや。千万心もとなき次第なり。」
(五里・十里の遠意雪道をはるばると越え、吉崎まで参詣に来られたのは、どういう心持ちでありましょうか? なんとも心もとないことであります。)
わざわざ、雪の中を必死に吉崎まで参詣に来られた方々に向かって、「いったいどんなつもりでここまで来たのか?」という厳しいお言葉ではあります。しかし、それは何よりも蓮如さんの優しさがあふれ出た問いでありました。
ほんとうの「優しさ」というのはどういことでしょうか?そして、何のために寺に参り、何のために仏法を聞くのか?
そういったことを、この『雪中章』から味わっていこうと思います。
針原地区の方だけでなく、どちらの方でもご遠慮なくいらしてくださいませ。始めていらした方には慈海から本願寺出版の「御文章 ひらがな版 - 拝読のために」を差し上げております。
◆雪中章
http://labo.wikidharma.org/…/%E5%BE%A1%E6%96%87%E7%AB%A0_(%…
◆御文章 ひらがな版 - 拝読のために
https://hongwanji-shuppan.com/item/detail.html…
◆放光寺
https://goo.gl/maps/HX2x8ArNWXF2
なんまんだぶ
「今日は妹の命日なんです。」
おあさじにお参りに来られた方がそうおっしゃるので、それならばと、晨朝勤行の後、阿弥陀経様をいただきました。
「白血病でした。いまから十年ほど前のことでした。用事で泊まりに来て、朝送っていこうとしたところ猛吹雪でしてね、それでこれは出られないかもしれないなと寝ている間に、気を使ってこっそり起きる前に帰っちゃってたんです。そのあと急変して、もう会うことはありませんでした。」
もうしわけなかった、かわいそうなことをしたと、今でもふと思い出すそうです。
そうでしたか、そうだったんですね、と頷きながら聞き、今朝も少し仏様の話をしますねと、いつも通り短い御本願のお話をしました。
死ぬことも、生きることも、素晴らしいのです。
生きることが素晴らしくて、死ぬことがかわいそうなことではないんです。
生きることが苦痛だから、死ぬことを望むのではないのです。
生きることも、死ぬことも、同じく素晴らしい。
だから、死んでいかれた方を、かわいそうとは言わないでほしい。
決して、かわいそうなものになるために、私は今生きているわけではなかった。
決して、寂しいものになるために、今この世界に生きているすべてのものは、生きているわけではない。
仏様は、生きることも死ぬことも、素晴らしいのだと、生と死を分けることなく、この私の命全てが、存在全てが、素晴らしい命なのだと、常に今もほめてくださっている。
「なもあみだぶ」とつぶやけば、この耳に「なもあみだぶ」とほめてくださる。
そんな話を、これからも聞いていきましょう。
少し寂しげだった表情が、少しずつ赤く染まり、ホッとした表情で「きょうもほんとにありがとうございました」と深々と頭を下げられました。
こちらも深く頭を下げます。
そしていつも通りに、また同じくお念仏を申し、お御堂の戸を開けると、白いものが舞っていました。二人とも同時に「あらぁ」と声が出ます。
明るくなってきた境内に、散華のように雪が舞っています。とても綺麗でした。
「降ってきましたねぇ。うふふ……」
そう言いながら、いそいそと帰っていかれる後姿に、どうぞ気をつけて帰ってくださいねと声をかけながら、蝋燭の火を消しました。
なんまんだぶ